#14 「幼女に手を上げるような奴が偉いわけないでしょうがッ!」
総督府に辿り着いた桜子たちは受付でヨハンナを呼び出してもらった。
総督府の外観は巨大なバロック様式風の宮殿だったが、中は近代的かつ機能的な作りとなっていた。時間帯的に昼休みのせいなのかロビーにはそれなりの人の往来があった。その様子を眺めながら桜子はアルベルティーナに質問した。
「そう言えば、『ヨハンナ』さんってどんな人なの?」
「公王府秘書官で、今はアンネリーゼ様のグロービス視察の事前準備として数日前からここを訪れてる。歳は二十代半ば、仕事熱心、以上」
「一番重要なところが一番短い……」
「そこは実際会ってみれば分かるから」
桜子はヨハンナの人物像を想像していたが突然、辺りをキョロキョロと見回した。
その様子を不審に思ったアルベルティーナが「どうしたの?」と尋ねた。
「ちょっと、お花を摘みに行ってくる」
「アンネも一緒にお花摘みたい」
アンネはその暗喩の意味を知らず言葉通りに受け取り、無邪気に桜子のスカートの裾を引っ張った。
桜子はその姿を見詰める。
「……アンネちゃんと……トイレの個室で……二人っきり……、ハッ! 閃いた!」
「閃くなッ!」
アルベルティーナが桜子の耳元で怒鳴る。
「ちょっと、アル……。耳元で怒鳴らないでよ……」
「まったく、このロリコン変態クソペド野郎は……。アンネリーゼ様、お花を摘みに行くとていうのは桜子たちの世界で、トイレに行くという意味です」
「よく知ってるね、アル」
「貴女と違って学があるのよ、私は」
「なんで、サクラコはそんな言いかたをするの?」
「それはね、私が乙女だからだよ」
「乙女が、そんな犯罪者予備軍みたいな思考回路であってたまるか」
「じゃあ、私トイレ行ってくる」
「普通に言うのかよッ! 乙女はどうした!」
アルベルティーナのツッコミを気に留めることなく、桜子は出前の入ったかごバッグをアンネに預けトイレへと向かった。
「まったく、アイツは本当に何なのよ……」
アルベルティーナは疲弊しきった様子でそう言葉を漏らした。
そんな彼女とアンネがロビーで待っていると、アンネは人にぶつかられてしまう。ぶつかった者はアンネやアルベルティーナの姿が視界に入っていなかったのだろう。そのまま通り過ぎて行った。
アンネはそれ程強くぶつかられたわけではないが、手に持っていたかごバッグを落としてしまった。
そして、中に入っていた料理が床に転がってしまう。
更に間の悪い事に通行人がそれを踏み付け、盛大に転んでしまった。
転んだのは身なりの良い小太りの中年の男だった。その男が転んだ瞬間、辺りの空気が張り詰めシーンとなる。
「誰だ! 私に恥をかかせた奴はッ!」
男は突如として怒声を上げ騒ぎ立てた。そして、どうしたら良いのか分からずに怯えるアンネの姿をその目に捕らえた。
その男はズカズカとアンネの方へ近づき、苛立ちを露わにした表情で彼女を睨みつける。
アンネは突然の事にパニックに成り、言葉が出てこず、オドオドしていた。
その様子は男を更に苛立たせた。
「謝罪もできんのか、このガキはッ!」
男は激昂し、そう叫ぶとアンネの頬を平手で張った。
アルベルティーナは男の行動に驚いたが、すぐさま怒り心頭に発した彼女はその男に詰め寄った。
「ちょっと、貴方! 何するのよ!」
「何だ、お前は? このガキの子守か。『総督』である私に恥をかかせ、それに対し謝罪もできない無作法なガキを教育してやったのだ」
「ふざけないで! 料理が落ちたのは事故だし、貴方が勝手にすっ転んだんでしょうが!」
「口の利き方に気を付けろ、妖精風情が。私は『総督』だぞ。お前のようなバカな妖精を子守につける、このガキの親の顔が見てみたいわ!」
自分のみならず、アンネリーゼやテレージアの事も罵られたアルベルティーナは怒りに任せ言葉を吐き出そうとする。
しかし次の瞬間、彼女の視界からその男は勢いよく猛スピードで消え失せた。
桜子の凄まじい助走をつけたドロップキックが命中し、男は床を転げていた。
転がって行った総督に慌てふためいた取り巻き連中が群がる。
総督は自分を吹っ飛ばした桜子を指さし激怒した。
「『総督』である私に対し無礼なッ! どうなるか分かっているんだろうなッ!」
「総督なんて知ったことじゃないッ! 幼女に手を上げるような奴が偉いわけないでしょうがッ!」
桜子は総督以上に激昂した状態で言い返した。しかし、すぐさま警備兵たちに取り押さえられてしまった。
一連の騒動でロビーは騒然となる。
「騒がしいですね。何かありました?」
場の空気とは場違いな、穏やかで落ち着きのある声がした。
声のした方に一同が視線を向けると、そこにはスーツを着こなした銀髪でボブカットの知的な女性が居た。眼鏡の先の青い瞳はどこまでも見透かしているようで危うさを覚える。
「ヨハンナ!」
アルベルティーナは驚いた様子で、その女性の名前を思わず叫んだ。
「これは、アルベルティーナ様」
そう言った彼女も驚いているようだったが、立ち振る舞いには余裕が感じられた。
「秘書官殿。お知り合いですか?」
総督は先程の傲慢さとは一転して、気取った様子で言った。
「知り合いも何も、こちらの妖精アルベルティーナ様はブラインミュラー家の相談役をされております。公王アンネリーゼ様、執政官であらせられるテレージア様との面識も深い御方です。御無礼があっては貴方にとって良い結果にはならないと思いますが?」
「ご、御冗談を……」
「公王秘書官である私が此処に居るのですから、突飛な話ではないと思いますが?」
ヨハンナにそう言われ総督は恐る恐るアルベルティーナの方を向く。アルベルティーナは膨れ顔で両手を胸の前で組み威厳を出そうとしていた。
総督は慌てて彼女の所へ駆け寄ると、跪き深々と首を垂れ謝罪の言葉を並べた。アルベルティーナは先程まで自分に不遜な態度を取っていた男が目の前でヘコヘコと頭を下げる様子に嫌気が差していた。
「こちらの身内も暴力という形で貴方に無礼があった。だから私への非礼は問わない」
アルベルティーナの言葉に総督は胸をなでおろす。しかし、彼女はきつく言葉を続けた。
「でも、幼い子供に手を上げた事は許せない。それに関しては私が直接テレージア様ひいては公王アンネリーゼ様に――」
「アルベルティーナ。もういいよ」
アンネのその言葉にアルベルティーナは虚を突かれる。
「アンネが、ごめんなさいって言えなかったのが悪いの。だから許してあげて」
「しかし……」
アルベルティーナは反論しようとしたが、アンネの健気でひたむきな眼差しに心を打たれ言葉を飲み込んだ。
「もういいわ。早く私の前から消えなさい」
その言葉を聞いた総督はそそくさとその場から逃げるように去って行った。
警備兵から解放された桜子は慌ててアンネに駆け寄る。
「アンネちゃん、大丈夫だった! 痛い所はない?」
「ほっぺたがジンジンするけど、だいじょうぶ。それに、お母さまの方がもっと怖いから」
(テレージアさん、本当にどういう教育してるの……)
引きつった笑いを浮かべる桜子を他所に、ヨハンナはアルベルティーナに尋ねた。
「アルベルティーナ様、ご無沙汰しております。しかし、どうしてこちらに?」
「貴女に昼食を届けに」
二人は総督に踏まれ無残に潰れた料理に視線を向けた。
「あら、残念。楽しみにしてましたのに。それにしても、副業なさるほど生活が困窮しているのなら十一で貸して差し上げましょうか?」
「例えそうだったとしても貴女からは絶対に借りない」
冗談を言い合う二人に桜子は質問した。
「ねえ、アル。この人がヨハンナさんなの?」
「はい、私は『ヨハンナ・ヴァインスハープト』と申します。お名前をお伺いしても?」
「あ、失礼しました。私、一色桜子って言います」
ヨハンナは桜子の左手に指輪(翻訳用の聖石)を見つけた。
「御使い人……なのですね。アルベルティーナ様がどうして御使い人と一緒にグロービスまで来られたのですか? それにそちらの女の子はいったい?」
ヨハンナの視線の先には彼女の顔を見つめるアンネの姿があった。
「それについては後で話すわ……」




