「契約成立だね」
目が覚めると、アルエルが心配そうに覗き込んでいるのが見えた。
「私は一体……」
「あっ、バルバトスさまっ! お気づきになられましたか?」
上体を起こそうとするが、頭が割れるように痛い。視界も少しぼやけていた。
「まだ起きちゃダメですよ」
アルエルはそう言って、私の頭を押し戻した。ん? 地面とは違う、なんだか柔らかい感触。それにほんのり温かい。これ、もしかして……膝枕!? アルエルがニコッと笑う。なんだよぉぉぉぉ! 膝枕なんてしてもらったの、初めてなんだけどっ!
随分付き合いの長いアルエル相手でも、思わずドキドキしてしまう。ちょっとだけいい匂いもしてて、もうしばらくこのままでいいかなぁ、という気になってくる。
「お前、何ニヤニヤしてるんだ?」
その言葉にハッと我に返り、首を少しひねる。少女があぐらをかいて座っていた。ちょっと、ダメダメ! そんなはしたないカッコをしちゃ! 見えちゃうでしょ!! 慌てて顔を戻す。少女は不機嫌そうな顔をしていた。そう言えば、何があったんだっけ……?
扉が吹っ飛ばされて、彼女が乗り込んできて、馬乗りにされて、魔法で引き剥がして、アルエルが人質に捕られて、必死で……あっ。
「どこまで覚えてるんだ?」
少女の冷たい言葉が突き刺さる。正直に言えば殺される。直感でそう思った。
「アルエルからお前を引き剥がした辺り……まで」
嘘はいけないことだが、この際そんなことは言っていられない。幸いなことに少女は「ふーん?」と疑いの目を向けつつも、とりあえずは納得した様子だ。よかった。ホッとしたところで、頭もスッキリしてきた。アルエルの膝枕の感触に、少しだけ後ろ髪を引かれながらもゆっくりと起き上がる。
「それで、先程の話だが」
「あぁ、そうそう。あたしをここで雇えって話。結局どっちなのよ?」
どうしてこんなにも強引なのか? 雇う雇わない以前に、主従関係をはっきりさせておくべきだろう。アルエルを見ろ。私を前にこんなにも震えているではないか。そう、ダンジョンという場では、主従関係はこのように恐怖をよって成り立っていないといけないのだ。
「それはそうと、この部屋ちょっと寒くない?」
少女が両手をさすって、ブルッと震えた。
「寒い……だと?」
「寒いでしょ? ほら、ちょっとだけ息が白くなってるし」
「この部屋は魔導エアコンディショナーが完備されているからな」
「だからって、こんなに冷やさなくても――」
「チッチッチ。よく聞き給え。運良く冒険者がここにたどり着くだろう? そのとき、謎の冷気が彼らを襲うわけだ。『なんだ、ここはっ!?』と慌てふためくだろう。そういう演出も大事なのだ」
「は? なにそれ?」
「それに、そんなに言うほど寒くはないだろう? 現に我は平気だし」
「あんたは、たくさん着込んでいるからでしょ」
「ムッ、魔王のローブを侮辱するか? これは代々受け継がれた由緒正しき魔王のローブであり……って、こら、やめろっ! 引っ張るんじゃない、脱がさないでっ!!」
悦に入りながら私が話している途中で、少女はローブに手をかけ脱がし始める。1枚、2枚、3枚、4枚……最終的に、薄手のシャツをパンツになるまで引き剥がされた。
「さむっ、寒いっ!!」
「だから、寒いってさっきから言ってるでしょ。そこのダークエルフも、ずっと寒そうに震えてるじゃない」
「なっ!? そ、そんなバカな!」
アルエルは私に対する恐怖心から震えていたはず。しかし当の本人は「寒いですぅ」と鼻水を流していた。何ということだ……。
「かわいそうに」少女は、私から引っ剥がしたローブをアルエルの肩からかけてやる。それをくるっと身体に巻きつけると「あったかいです」とアルエルが笑みを浮かべた。
「馬鹿もの! それは由緒正しい魔王のローブであって――」
「なんだかバルバトスさまの匂いがします~、いい香り」
「そ、そうか?」
「加齢臭じゃないの?」
「お前は黙ってろ!」
少女に突っ込みながらも、アルエルの幸せそうな顔を見て「ま、いっか」と思った。1枚だけローブを返してもらい、それを羽織りながら話を戻す。
「それはそうとだ。少女よ、なぜこの私に忠誠を誓いたいと欲するか?」
「いや、別にあんたに忠誠を誓いたいわけじゃないし」
「な、なんだと!?」
「それにあたしは少女じゃない。キョーコっていう、ちゃんとした名前があるんだ」
「キョーコ……? それはファーストネームか? ファミリーネームはなんと言う?」
私の問いかけにキョーコは、先程までの威勢の良さがなくなり、寂しそうにうつ向いてしまった。あらっ? もしかして、これ聞いちゃいけない話だった? 隣でアルエルがジトッとした目で私を見ている。しょうがないじゃない。だって、事情が分からないんだし。
「あー……キョーコよ」
「なによ?」
「それで、忠誠の話なのだが」なんとか話を逸らそうと努力した。
「だからぁ、忠誠を誓いたいとかそういうんじゃないんだってば。ただ、ここで雇えって話」ちょっとだけ元気が戻ってきたようだ。よかった。
「しかしここで働いてもらうからには、私に忠誠を誓ってもらわないと――」
「あーはいはい。じゃ『ワタシハ、バルバトスサマニ、チューセイヲ、チカイマス』はい、これでいいでしょ?」
どこか引っかかる言い方が気になるのだが……。それにしても、どうしたものだろうか? 戦ってみて分かったが、彼女の戦闘能力は相当に高い。しかし彼女は「経営幹部」として雇えと言う。つまりダンジョン内で冒険者の相手をするだけでなく、この魔王バルバトスの補佐役をしたいということだ。
魔王の個人経営だけでは確かに立ち行かなくなってきているのは事実だ。複数の経営幹部による集団的指導体制。そういうものも必要になってきているのかもしれない。しかし私は彼女のことをまだ良く知らない。強力な戦闘力を持った人間を、安易に引き入れて良いものだろうか?
それに別の問題もある。どちらかというとそちらの方が切実だ。
「あ、給料は別にいいよ。一日三食、当面はそれでいい。後はここの経営がよくなったら、出世払いってことで」
私の中で何かが緩むのを感じた。「無給」素晴らしい。使えるだけ使って、上手く行かなかったら放り出せばいいし、例え上手くいったとしても口約束だ。どうとでもなる。キョーコに視線を向けると、私の思考を読み取ったかのようにニヤリと笑っていた。
それがちょっとだけ怖い。とは言え、ここで断ってまた暴れられるのも困るし、アルエルもいつの間にか懐いたみたいで「キョーコちゃん、よろしくね~」と、私のローブを肩にかけてやったりしている。いやだから、それ由緒正しい……。
「契約成立だね」キョーコが伸ばしてくる手を取った。ガッチリと握手をかわ……イテテ、痛い、痛いって! 必死で耐えている私に、キョーコは満面の笑みを浮かべていた。