「だから、お前が」
展望台から見える景色が好きだ。
特にこんな晴れた日は遠くに見える山々がよく見える。いくつもの山が連なりそびえ立っている様は、まるでこのダンジョンを守護してくれているかのような感覚になる。
既に夏は過ぎ、秋の足音が聞こえてきそうな季節になっていた。山の一部では木々が茶色や黄色に衣替えしつつあり、緑の葉とのコントラストが美しい。そんな景色を見ていると、あの騒動からもう1ヶ月以上が経とうとしているのが嘘のことのように思われた。
『精霊たちの夢』との1件。
名を呼ぶ声で目を覚ました私は、咄嗟に浮遊魔法を使った。と同時にヘルムートの手を取り、急上昇を試みた。重力と魔法の競い合いは結局重力が勝ることとなり、私と彼は地面に叩きつけられることとなった。
地面に接した瞬間、一瞬息もできぬほどの苦痛に襲われた。だが、多少でも魔法で威力を削げたことが大きかった。朦朧としながらも私は立ち上がった。しばらく静寂が続いた後、周囲から突然歓声が沸き起こった。
意味が分からずふと足元を見ると、そこにはヘルムートが気を失って倒れていた。
そうか、私は……勝ったのか……?
会長がそれを告げている声が聞こえてきた。フラフラになりながらも、なんとか意識を保つことだけに集中する。遠くから金属が擦れ合う音が聞こえた。振り返るとキョーコが私に向かって走ってくるのが見えた。
足に付けられた鉄球を物ともせず駆け寄ってくる。……相変わらず凄いな、お前。
キョーコが私の胸へ飛び込んできた。何度も何度も私の名を呼んでいる。だが、それはバルバトスではない。真命「リョータ」のあだ名である「りょーちゃん」を連呼している。こらこら、キョーコ。魔王りょーちゃんって、ちょっと恥ずかしいから。締まらないでしょ?
小声で注意するが彼女は聞かない。顔をくしゃくしゃにしながら、涙や鼻水が出ているのを気にもせず……って、おい。ローブで拭くんじゃありません! それは由緒正しい魔王のローブであって……って、もう……。
私からハンカチを受け取ったキョーコは、ようやく落ち着いたようで「色々、ごめん」と言ったきり顔をプイッとそむけてモジモジしている。ふと辺りを見回すと、周囲の冒険者たちも興味津々といった面持ちで、私とキョーコに視線を注いでいる。
ん……? なんだ……?
何がどうなっているのか分からないでいると、背中をチョンチョンと突かれる。振り向くと私を見上げながらアルエルが「キョーコちゃんに言うことがあるんじゃなかったですか?」と言う。
あっ……。
そう言えば戦いの前に、そんなことがあったよな。確か私がキョーコに愛の告白をするって勘違いされてたやつ。まぁ、まんざらかんち……。
私の記憶にあったのはそこまでだった。どうやら気が抜けてしまったことで、意識を失ってしまっていたらしい。
『精霊たちの夢』との1件は、会長が責任を持って収束してくれたようだ。ヘルムートの出した訴えは取り下げられ、キョーコの契約も解除された。それどころか今回の件がマルセール大公の耳に届き『精霊たちの夢』は閉鎖となったそうだ。
どうやらヘルムートが事実を捻じ曲げ一方的な主張をしていたらしく、それが大公の逆鱗に触れたとのことだ。後日、大公より「お詫びがしたい」との書状が届いたが、それは丁重にお断りした。もう、このことに関わるのはうんざりだと思ったからだ。それに今まで通りの生活が戻るだけでも十分だった。それ以上を求めることは過分に思われた。
我がダンジョンは、相変わらずだ。ヘルムートに勝利した直後は、それこそごった返すほどの盛況ぶりだったと聞くが、1ヶ月もすると落ち着いてしまったらしい。まぁ、世の中そんなものだろう。
私の方は2週間ほど眠り続けた上、先日からようやくベッドを離れることが可能になった。まだ身体中のアチコチが痛いが、歩けるくらいにはなってきた。リバビリも兼ねて、ダンジョン内をウロウロ歩き回っているわけだが、アルエルなんかは「バルバトスさま、安静にしなきゃダメですよっ」ってうるさいからな。人目を引かない場所を選んで歩いている内に、自然と展望台へとやって来てしまったわけだ。
それにちょっと気まずいこともあるし……。
あれ以来キョーコとは会っていない。何度か見かけたことはあるのだが、私の視界に入るや否や、彼女は回れ右してどこかへ行ってしまう。
もしかしたら怒ってるのかな……?
とは言え、無理やりキョーコを捕まえて話をする根性もなく、ずるずると日にちだけが過ぎていってしまったというわけだ。我ながら情けないことだが、こればかりは仕方がない。
まぁ、折を見て一度謝っておこう。キョーコに言いたかったことはともかく、彼女をそこまで追い込んでしまったのは私の責任だ。
「そんなことないよ」
突然隣から声が聞こえてきて、思わず飛び上がる。「ヒィ、ってなんだよ」と憮然とした表情で隣に立っているのはキョーコ。って言うか、お前いつもいつも、そっと忍び寄るの止めてくれないかな……。
「バルバトスのせいじゃないって」
「いや、私が悪い」
「そんなことないよ。私が軽率に動いたから」
「それをさせたのが私だ」
「だから、それは――」
「じゃ、お前が悪い」
自分でそう言っておいて、慌てて「暴力反対! ぐーは止めて」と懇願する。が、キョーコはぷくーっと頬を膨らませて「そんなこと……しないって」と答える。
「もう、そういうのしないって決めたんだ」
うむ、良い心がけだな。そう思う反面、どこかで寂しさを覚えた。あれ、何だろうな、この気持ち。キョーコに叩かれることが快感だというわけではないと思うのだが……。
「まぁ、それはそれとして……とにかく、今回の件は色々ごめん」
深々と頭を下げるキョーコ。私はその頭に手を当ててそっと撫でてやる。
「部下の責任は魔王の責任。それに前にも言ったが、お前だけの問題など存在しない」
キョーコはちょっと照れくさそうにうなずいた。
よかった。これで一件落着。後は私の傷が癒えたら、また元の通りダンジョン運営に戻って……そうだな、今度はもっと良いトラップを設置してみようか。だが『精霊たちの夢』のように魔力を供給する手段は考えないといけないな。どこかに魔力を貯めておけるようなものがあればいいのだが……。
そんな妄想を垂れ流していると、突然足に痛みを感じた。むぅ、少し無理をしすぎたか。キョーコに肩を支えられながら、よっこらしょと展望台の端に設置してあるベンチへと腰を下ろす。
「まだ、痛むの?」
「あぁ、少しだけな」
再びヘルムートとの戦いを思いを馳せる、と同時にあのとき見た夢がふわっと再生された。ずっと昔に交わした約束。あれは、恐らく……。
「お前、もしかして昔、ここに来たことあるのか……?」
それは質問でありながら質問ではない、どちらかというと確認の言葉だった。キョーコは少し驚いた顔で「思い出した?」と照れ笑いで答える。やっぱり、そうなんだ。
「あたしもさ、ずっと覚えてたわけじゃないんだ」
そう言ってキョーコは語りだす。
キョーコはここ3年ほどより前の記憶を失っていたらしい。彼女の中の最後の記憶は、ひとりで荒野に立っていたこと。そこから彼女は一人で旅をしてきた。旅の途中で断片的な記憶だけが戻ってきた。
以前の彼女はキャラバンに連れられ、世界の各地を旅していた。色々な国を巡る度に、その記憶はまるでパズルのピースのように、彼女の元へと戻っていった。そして半年ほど前に、このカールランド王国へとやってきた。
しばらくブラブラしていたそうだが、ふと「老舗のダンジョンがある」という噂を聞き「とりあえず行ってみよう」とここへ来たらしい。ダンジョンを一目見たとき、ここでの記憶が甦ったそうだ。私にダンジョンを案内してもらった記憶。トラップを夢中で紹介してもらった記憶。そして、この展望台でした約束の記憶……。
気がついたら、ダンジョンに入り私と対峙していた。素直に言うことができず、力で私をねじ伏せダンジョンに加えてもらおうとした。
「途中で何度か本当のことを言おうと思ったんだけどね……なんか、今更って気がして」
キョーコは苦笑いしていた。
そんな小さいころの約束を律儀に守らなくてもいいだろう、とも思うが、そこが彼女の良い所なのだろう。実直さと言うか、一度言ったら必ず守るという頑固さと言うか。
そこでようやく彼女のそういう面に惹かれているのだと気づく。私も言い出したら聞かない頑固者である自負はあるが、それは本当の自分ではない。
ブレてはいけない。迷ってはいけない。信念を曲げてはいけない。
他の者の上に立つ魔王はそうあるべきだ。そう言い聞かされて育ってきた。それを忠実に守ってきただけだ。だが、本当の私はそんなに強い人間ではない。周りに振り回され、他者の顔色を伺って空気を読んで生きてきた。そして、さもそれが自分の意見であるかのように振る舞ってきた。
だから、彼女のような生き方に憧れたのだと思う。それはいつの間にか、彼女に対するある種の感情へと変化していた。それに気づいたのはいつからなのかは、はっきりしない。彼女と過ごす日々の中で、いつの間にかそういう思いを抱いていた……としか言えない。
問題はそれを告げるのかどうか? だが、相変わらず私の中の優柔不断さがそれを阻害している。
人に気持ちを伝えるのは怖いことだ。相手にもよるし、抱いている気持ちにもよるだろう。どうでもいいと思っている相手に、どうでもいいことを伝えるのは簡単だ。しかし、大切な人に、大切な思いを伝えるには勇気がいる。それが否定、拒絶されたとき、自分にそれを受け止める度量や勇気があるのだろうか?
そんなことを考えれば考えるほど、言葉は奥へ奥へと潜り込んでいく。そしていつしか、もう取り返しのつかないところまで入っていき、そうなるともう自分ではどうしようもなくなる。
私が諦めかけていると、ふと腕を突かれる感触がした。隣を見るとキョーコが「あのさ……」と珍しくモジモジしている。
「この前の……その……言いたいことって……?」
一度手から離れかけたチャンスが舞い戻ってきた気がした。同じ失敗はしない。再び自分が考え込む前に、すかさずそれを掴む。
私は彼女に思いを伝えた。正直、何を言ったのかは覚えていない。何度も何度も同じような話を繰り返ししていたような気がする。必死で彼女に対する思いを伝えようと、回りくどい言い方をしていたことだけは理解している。
始めは怪訝そうな顔で聞いていた彼女だったが、やがて顔を真っ赤にしながら「そ、それって、どういう……」とモゴモゴ言っていた。そこは察してくれよ! いつも勘だけはいいくせに……。
「だから、お前が……キョーコが好きだっ!」
それを聞いたキョーコは、肩をビクッとさせ、そのままうつ向いてしまう。いつの間にか傾きかけた太陽が、彼女の顔を照らしている。長い髪の毛の影のせいで、彼女の表情は伺えない。しばらく返事を待ったが、キョーコは顔を背けたまま微動だにしない。
そうか、ダメか……。考えてみれば、彼女は約束を果たすためにここに来ただけだ。彼女は好意でここに来て私に協力してくれたわけではなく、ただ約束を守るためだったのだ。一人で浮かれて、勝手なことを言ってしまった。
少し落ち込んだが、後悔はしていない。心はすっきりしている。問題は、今後キョーコとの関係がどうなるかということだ。当然、気まずくなるだろう。もしかしたら、ここを離れて行ってしまうかもしれない。だが、それを止める権利は私にはない。それを思うと、少し寂しさを覚えた。あぁ、やっぱり言わなかった方がよかったのかも……。
ループする思考を断ち切ろうとする。が、考えないようにしようとすればするほど、気持ちは悪い方へと向かっていく。肩を落とし、頭を垂れる。目を閉じて、できるだけ何も考えないように努力していると、突然何かが私の肩を掴んだ。
顔をあげると、キョーコが両手で私の肩を掴んでいた。
「目をつぶれ、ばる……りょーちゃん」
「あ、え?」
「いいから、目を閉じて!」
訳が分からず困惑していると、キョーコが「もうっ!」と頬を膨らませる。そしてぎゅっと目を閉じ……顔を近づけてきた。また何か囁かれるのか……それとも。そんなことを考える間もなく、キョーコの唇が私のそれに触れる。
10秒……20秒……どのくらいの時間が経ったのかすら分からない。永遠のようなときが過ぎた。瞳を瞑ったキョーコの顔がゆっくりと離れていく。
「ま、まぁ……そういうことだから」
そういうことってどういうことよ? 心の中でツッコミを入れたが本当は分かっている。
ひとつの約束から、きみとぼくの関係は始まった。それはほんの些細な出来事だったのかもしれないけれど、今や互いを必要とする存在になっている。それは漠然としたものにも思えるけれど、一方で確実なものであるようにも感じられた。
そしてそれは、これからもっと強くなっていくのだと思う。
ぼくたちのダンジョン運営は始まったばかりなのだから。
小説家になろう版は、ひとまずこれにて終了です。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!




