「この戦いが終わったら」
「バルバトスっ! こんなことはしなくていい!!」
声の主はキョーコだった。鎖に繋がれたキョーコは、うなだれたまま「お願いだから、止めて……」と小さく言う。
「前にも言ったが、これはお前のためだけではな――」
「そうじゃない! そうじゃなくって……バルバトスは……もし、バルバトスが……」
詰まらせながらも言葉を探しているかのように何度も私の名を呼ぶ。あぁ、あのことを言っているのか……。キョーコが言いたいことは「私の命」に関することだろう。
あのとき彼女に語った言葉。「私には治癒や蘇生は効かない」という話。決闘とは、言い換えれば命のやり取りだ。相手が降伏すればそこで終わりではあるが、とどめを刺してはならないというルールもない。
彼女の気持ちはありがたいとは思う。誰かに心配されることが、これほど嬉しいものだと気づかせてくれたのはお前だ、キョーコ。だが、ここで止めたとして、あとに何が残ると言うのか。彼女を見捨てたことを一生後悔しながら、長らえた命が尽きるまでの日々に一体どういう意味があるのか。
しかし、それを言って聞かせる時間はない。あとでキチンと伝えなくてはなるまい。
「キョーコ、この戦いが終わったら、お前に言うことがある」
その言葉に周囲がざわつき始める。ん……、何か変なこと言ったか……? 事態が飲み込めず困惑するが、冒険者たちから「……告白?」「盛り上がってきたな」「これって、あの女の子を取り合ってるの?」などといった会話が聞こえてきてようやく理解する。
って、違っーーーうっ!!
「趣旨が変わりつつあるが、面白いからいいかの」と会長まで。キョーコ、ほらお前からも否定してくれ、と彼女の方を見ると、うつ向いたまま顔を真っ赤にしていた。おい、お前まで勘違いしてどうする? キョーコは口をワナワナと震わせながら、何か言いたげだ。そして、くいっと顔を上げると天に向かって絶叫した。
「……っ、絶っ対、勝ってよ!!」
「ちょっ、おまっ――」
「それじゃぁ、開始じゃの」
話の途中でしょうが! 私がツッコミを入れる間もなく、会長の一言で決闘は開始された。くそっ、どいつもこいつも私の話を聞かない奴ばかり。怒りがこみ上げてくる。そして当然その矛先は……ヘルムート、お前に向ける!
ヘルムートは腰に下げていた剣を抜き、その場を動かない。なるほど、魔法よりも剣に自信があるというわけか。それなら戦い方は簡単だ。
すばやく後方へバックステップで下がる。同時に魔法の詠唱を開始。多少回復したとは言え、完全に魔力が戻ったわけではない。短期決戦で行くぞ!
詠唱していた魔法は『無敵の大砲』。周囲の空気を圧縮し、巨大な力で押し出す魔法だ。剣士相手には距離を取って戦うに限る。できるだけ遠距離から、しかも逃げ切れないほどの広範囲に及ぶ魔法が最適。
呪文の詠唱を続けると、私の前に青く光る魔法陣が出現する。右手を上げて魔法を放つ。周囲の空気が振動し、耳をつんざくほどの音が鳴り響く。同時に閃光が走り、辺りが白い光に包まれた。
圧縮された空気がヘルムートに向かって飛んでいく。さぁ、どうする? これはかわせないぞ。
しかしヘルムートは動かない。その場に立ったまま両手で剣を掲げる。まさか……斬るつもりか……? 魔法がヘルムートに襲いかかろうとした瞬間、彼の剣が目にも留まらぬ速さで振り下ろされた。
真っ二つにされた空気の塊は行き場を失い、そのまま周囲へと拡散していく。巨大な風が巻き起こり、周囲の冒険者たちをふっ飛ばしていった。くっ……本当に斬るとは……。
やはり腐っていてもダンジョンマスター。そう簡単にはいかないというわけか。それにしても、あの剣。いくら剣の腕が良いとは言え、魔法を斬ることができるということは……。
剣の表面にうっすらと文字が浮かんでいるのが見えた。なるほど、そういうわけか。魔力を宿した魔導剣。その効果は切れ味を鋭くしたり、剣速を上げたり、強度を増したりなど色々あるが、魔法を無力化するということは相当な上級アイテムらしい。
流石は公爵の家系。金持ってんなぁ……。
という感心をしている場合ではない。私の魔法を叩き切ったヘルムートはそのまま、私の方へと突進してきていた。彼にしてみればいくら私の魔法を斬れると言っても、それは守りの姿勢になる。彼のプライドの高さはそれは許さないだろう。
再び呪文を唱える。右手を地面に当てると、周囲の地面が地響きを立てながら隆起した。『大地の守護』は、地面を自在に変化させ、土の防御壁を作り出すことができる。ちなみに、これら魔法はオリジナルではないが、名前だけは私が勝手に命名したものだ。
私とヘルムートの間に、半円形の土の壁が出現する。背丈ほどある壁ができたことで「ひとまずこれで防御しつつ、次の魔法を――」と思っていると「ふん!」と言う声と共に、ガシュっという音。そして剣先が土の壁から現れて、私の顔……の真横をかすめる。突いてくる……だと……。
「ちっ、外したか。だが次は」
剣が再び壁の向こうに消えていき、再びの突き。今度は顔の逆をかすめた。まずい、このままでは。壁と距離を取ろうと下がる。が、そこは既に広場の端。少し後ろには、この戦いを見守っている冒険者たちがいる。
私は無詠唱の魔法を放った。壁の一部が壊れ、そこから脱出する。同時にヘルムートの剣が、私のローブをかすめる。私はそれを避けようとし転倒する。すぐに起き上がるが、頭上には剣を構えたヘルムートの姿が――。
避けようと身体をひねるが、わずかに間に合わない。腹部に強烈な痛みを感じた。そのまま転がり、何とか体勢を立て直す。痛みの元を確認すると、どうやら脇腹を斬られたらしい……が、それほど深くはなさそうだ。ひとまず魔力で覆って出血を止める。
「どうした、バルバトス。逃げてばかりでは戦いにならないぞ」
ヘルムートは薄笑いを浮かべながら剣先を私に突きつける。どうする……? 魔力はもうあまり残ってはいない。小さな魔法であれば何発か打つことができるが『無敵の大砲』クラスだと、せいぜい1発が限度だろう……。
それに魔法を放ったとしても、やっかいなのがあの魔導剣の存在だ。距離を取って戦えば、どんな魔法でも無効化されてしまう。かと言って接近戦に持ち込めば、彼の剣の餌食になる恐れが増す。
リスクを取らずに何かを得ようとするわけにはいかないか……。
ヘルムートは私に一撃を与えたことで、恐らく勝利を確信しつつあるだろう。それならば……。
再び呪文の詠唱を開始する。『無敵の大砲』の魔法陣が出現するのを見て、ヘルムートは「何度も同じ手を」と突進してくる。思った通りだ。
ヘルムートが用心深い状態であれば、距離を取った状態で魔法を斬っていたに違いない。そうやって私の魔力切れを待つのが彼にとっての最善の方法だった。だが彼の脳裏には、私に傷を負わせたことで「勝てる」という言葉が浮かんだに違いない。
相手の消耗を待って勝つよりも、魔法ごと相手を叩き斬って終わらせる。
だが、その傲慢さこそがお前の弱点だ。
ヘルムートの掲げた剣が頭上で鈍く光る。「終わりだ、バルバトス」
そこで、すかさず魔法をキャンセル。右手を掲げ無詠唱の爆裂系の魔法を放つ。それを察したヘルムートの動きがが一瞬鈍る。爆裂系の魔法がヘルムートにヒットする。同時に前方へ駆け出し、ヘルムートにしがみつく。
「な、なにっ!?」
「付き合ってもらうぞ」
ヘルムートを抱えたまま、浮遊魔法『位相空間』を発動。身体がふわりと浮き上がり、そのまま上空へと駆け上がっていく。うっ……二人はやっぱ重いな……。
魔法が効かなければ、直接打撃を与えるしかない。だが私は、人並み程度しか剣術も体術も使うことができない。ならば、高々度から落とせばいい。その自慢の魔導剣でも、重力には逆らえまい?
惜しみなく魔力を注ぐ。ヘルムートを抱えたまま、身体はグイグイ上昇していった。
「はっ、離せっ!!」
ヘルムートは狂乱したかのように剣を振るう。だが、この距離だ。当てることなど叶わな……って、柄で殴るなっ! いってぇぇぇ!! ふんっ、ふんっ! と頭突きを2発ほど食らわせると、少し大人しくなった。
ダンジョンマスター同士の争いが、最後は石頭の強さで決まるというのも微妙な気がするが……。
ふと下を見ると、冒険者たちが私たちを見上げているのが見えた。まだ……距離が足りない。もう少し……もっと上空からでないと。そう思うが、魔力はすでに枯渇しつつあった。止血していた部分から血が吹き出している。意識が朦朧としてきた……。
そこで魔法が停止する。同時に身体の力が抜け、ヘルムートを手放す。ふわっと身体が宙に浮く感覚のあと、落下が始まる。地面が近づいてきているのが分かる。私は空を見ていた。ギラギラ光る太陽が眩しい。
死を確信できるほどの高さには行けなかった。だが無事、というわけにもいくまい。打ちどころが悪ければ、それこそ命に関わる可能性もある。しかし不思議と怖くはなかった。その理由は考えるまでもない。
誰かのために死ねるのならば本望。
それも……る人のためなら……。
意識が薄れていく。視界が狭まっていく。
太陽はもう眩しくない。




