「怖いのか?」
「……なぜ、お前がここに……!?」
突然飛び出してきた私たちに、流石のヘルムートも驚いていたようだった。
「そこまでだ。この契約は中止しろ」
「何度も言わせないで下さい。既に契約は済んでますし、そもそもご本人の意向が――」
私の前に立ちはだかろうと出てきた質屋の店員。だが、すぐに言葉に詰まりモゴモゴと言いながら、後退りしていく。ふむ、さてはこの本気のバルバトスの迫力に押されたか……。
そう思っていたのだが、どうやら私の後ろに立っていたサキドエルに怯えていたらしい。まぁ、ミノタウロスは怖いもんな。普段ならふてくされるところだが、余裕がない今は猫の手、もといミノタウロスの手でも借りたいところだ。結果オーライ。
だが、ヘルムートは引く気はないらしい。指をパチンと鳴らすと、ハッチの奥から完全武装の衛兵たちがゾロゾロと出てきて彼を取り囲む。
どうする……?
こちらも頭数は揃っているとは言え、それは相手も同じことだ。戦えば勝負は微妙な所だろう。何より、私の魔力がまだ回復していないことが、判断を鈍らせていた。魔法は使えても1発。それも、高度なものを使えるほどではない。
お互い一言も発しないまま、にらみ合いが続いた。どちらかが手を出せば一気に乱戦へと発展しそうな勢いだった。何か手は……ないだろうか?
「ホッホッホ。様子を見にやって来たのだが、早速やっておるの」
その場の緊張感に見合わない、のんきな声が響いた。振り向くと、一人の老人があごひげを撫でながら立っていた。ダンジョン協会会長レンドリクス。まるで祭りにでも来たかのような楽しそうな顔で私たちを見つめていた。
「揉めているのか、バルバトス?」
一見、ただの変哲もない問いかけ。だが、私はその一言に何かを感じ取った。会長は何かを私に伝えようとしている。しかし私にはそれが何か分からない。ただ「ここは肯定しておくべきだ」という直感に従う。
「えぇ、ダンジョン間での意見の相違により、揉めております」私の言葉を聞き、満足そうに頷く会長。だが、それ以上は何も言わない。一体どういうことだ……? 何を言いたいのだ? 恐らく会長は何かしらの助け舟を出してくれているはず。それなのに、私にはそれがどういうことか分からない。
「揉めて……いるときは……」
茂みの奥から息を切らしたような声が聞こえてきた。木の葉がガサガサと揺れ、ボロボロのローブをまとった老人――リッチのランドフルさん――が姿を現した。
「まったく……とっとこ行ってしまいおって……老人を労らんとは……まったく……」
ゼエゼエ言いながらも、なんとか言葉を繋いでいく。アルエルが「おじいちゃん、これ」と手渡した水筒に口をつけると、ようやく落ち着いてきたのか小脇に抱えた書物を取り出す。
あれは……。
「ダンジョン会則、第239条7項にこうある。『ダンジョン間で解決不可能な問題が発生した場合、ダンジョンマスター同士の決闘により決着をつけるものとする』とな」
そう、私は以前ランドフルさんに頼んでいた。「ダンジョン協会の会則を調べて欲しい」と。私自身すっかり忘れてしまっていたのだが、彼は律儀にそれを調べ上げてくれていたのだ。
ダンジョン協会の会則は、協会が発足してから様々な条項が積み上がっていた。500条にも及ぶそれは膨大なものとなり、最早ダンジョンマスターと言えども全てを把握している者などいない。だが、普段はそんなことを気にしたことなどない。
前にも言ったが、協会の会則は既に形骸化している。
だが、それでも会則は会則だ。この国でダンジョンを運営していく者にとっては、国王の勅令の次に遵守せねばならないもの。そうだろう? ヘルムート。
「くっ、そんなもの私は知らないし、そもそも揉めているとゴネているのはバルバトスだけだ。私はそんなことは言っていない」
知らない、言ってない……か。
短い期間だが、彼の性格はよく分かっている。ヘルムートは私との決闘において、万が一にも負けてしまうことを恐れている。リスクを取ることを恐れている。自身を圧倒的な優位な立場に置くことに腐心し、それを使って他者を陥れたり打ち勝つ道具として使っている。
だから、このような状況には対応できない。
「怖いのか、ヘルムート?」
「な、何を言うかっ!? お前のような三流のダンジョンマスターが怖いだと? 私を誰だと思って――」
「なら、受けろ。私との決闘を」
正直な所、ヘルムートが同意したとしても私に勝機があるとは限らない。彼がどれほどの実力の持ち主かは分からないし、私自身魔力はまだ十分に回復しているとは言えない。それでもここは賭けるべきだ。例えブラフでも、張らないといけないときはある。
ヘルムートは顔を歪ませて、私と会長を交互に目で追っている。まだ迷っているのか、それなら背中を押してやろう。
「お前の部下たちも、主人の動向を気にしているようだぞ」
その言葉にヘルムートは、背後に控えていた衛兵たちに視線を向けた。衛兵たちは咄嗟に姿勢を正す。傍から見れば、彼に忠誠を誓っている衛兵たちの行動ではあるが、ヘルムートにはどう見えているだろうか……?
いや、どう見えるかなどは関係ない。彼が部下の前に立ち、私と対峙していることを思い出させるだけで十分だ。部下の前で勝負を挑まれて、簡単に引けるプライドをお前は持っているのか?
想像通り、ヘルムートは苦虫を噛み潰したような顔をして「いいだろう」と答えた。
「ホッホ。決まったようだの。それではいつ、どこでやるかの?」
恐らくヘルムートは準備を万端に整えたいと思っているはず。それは魔力が十分に回復してない私にとってもありがたい話ではある。だが、時間を与えればヘルムートに決闘を回避する猶予を与えることにもなりかねない。かと言って「今すぐに」と私が主張すれば、あれこれ理由を付けて延期を主張するだろう。
「生憎、私は魔力が枯渇しかかっており、万全の態勢とは言えません。ですから……」
思った通りだ。私の言葉を聞いた途端、ヘルムートの眉がピクリと動いた。もう一押しか。「手を」隣に立っていたアルエルの手を取る。「魔力を生成しろ」
キョトンとしていたアルエルだったが、すぐに意味を理解したようで瞳を閉じると「うーん、うーん」と唸り始めた。ちょ、お前、そんなに頑張らなくても……う、うぉぉぉっ!?
もの凄い量の魔力を手の平に感じた。そこから体内にアルエルの魔力が流れ込んでくるのが分かる……って、ちょっとタイムタイム! 痛いっ! もっとゆっくり、そんなに一気に入れようとしないでっ!!
「止めろっ!!」
ヘルムートの怒号が響いた。「1対1の決闘だというのに、魔力の供給を受けるなど卑怯だろう!」と私を避難している。「そうか、そう言われてみればそうかもな」とアルエルの手を離す。
普通の人間であれば、あれほどの短時間で供給できる魔力の量など知れている。だから、ヘルムートは「すぐに止めさせれば、魔力は供給されない」と思っているはずだ。だが実際には、私の魔力量は半分ほどに回復していた。ほんの数秒ほどであったが、やはり恐るべしアルエル。
ちょっと手の平が焦げかけているけどな……。
それはさておき、これでヘルムートは引くに引けなくなった。予想通り「バルバトスが言い出したことだ。やるなら今すぐ、それは譲れない」と言い出した。彼の実力が分からない以上どう転ぶかは分からないが、これで道は開けた。後は半分の魔力で、どこまで戦えるのか。
つまりは私次第というわけだ。
どこでやるかは、あっさりと決まった。『精霊たちの夢』の前にはそこそこの広さの土地があった。ダンジョンを訪れている冒険者が並んでいたところだ。彼らを立会人に加えるということは、私にとってもヘルムートにとっても都合の良いことだった。
どちらにとっても「自分のダンジョンの方が上」ということをアピールする絶好の機会だからだ。当初は決闘を渋っていたヘルムートも、やると決めたからには必ず勝つ気でいるらしい。
私は彼に対して敬意を感じたことはなかったが、この点だけにおいては認めざるを得ないと思う。ダンジョンマスターは、ダンジョンを背負っている。無論、仲間がいてその協力が不可欠であることは間違いない。だが、いざというときは自身が矢面に立ち、自ら切り開いていかなくてはならないときもある。
彼もまたダンジョンマスターであると言えるのだろう。
ダンジョン前に移動した我々を、冒険者たちが何事だと取り囲む。会長がことの経緯を簡単に説明すると、一斉に喝采が上がった。ダンジョンマスター同士の対決など、そうそう見れるものではない。とくと見るが良い。これこそ極上のエンターテイメントだ。
遠巻きに冒険者たちが見守る中、私とヘルムートは対峙した。辺りは静まり返り、会長の発する開始の合図を待つ。ヒリヒリとした緊張感が周囲を包み込み、異様な空気を形成していた。
誰もが固唾をのみ見守る中、広場に響いたのは会長の声ではなかった。




