「認めない」
「クソっ! もっと……もっと速く飛べないのかっ!?」
私は浮遊魔法で王都へと向かっていた。気持ちが空回りしているせいか、いつもより速度が出ていない気がして、思わず悪態をつく。
今朝、目を覚ますとアルエルが私に馬乗りになって泣きじゃくっていた。彼女は何度も言葉を詰まらせながら「キョーコちゃんが……キョーコちゃんが」と繰り返していた。
そんなアルエルを椅子に座らせ、何とか落ち着かせて話を聞いてみた。どうやらアルエルは自分を質に入れて、ヘルムートへの和解金にしようと思っていたようだ。誰かに言えば、反対されると分かっていたので、明け方にこっそりここを出ていこうと思っていたらしい。
だが、それはキョーコによって阻止された。そして、アルエルが目覚めるとキョーコの姿はどこにもなかった。それを聞いた私は、キョーコがアルエルに代わって王都に向かったのだと直感した。
アルエルの話では、その時点で既に数時間が経過していた。馬車はなくなっていなかったが、キョーコが肉体強化魔法を使って移動しているとしたら、もう一刻の猶予はない。
通常、魔法を使う者はいざというときのために、蓄えている魔力を全部吐き出すということはしない。普通の人間が立てなくなるほど動いたりはしないように、無意識の内にリミッターをかける。
だが、このときのは私はそうではなかった。とにかく必死で魔力の枯渇を恐れることなく飛び続けた。
途中で『精霊たちの夢』の上空をかすめる。あんなことがあったというのに、相変わらずこのダンジョンは満員御礼らしい。朝だと言うのに、既に行列ができているのが見えた。
そこから更に小一時間ほど飛ぶと、ようやく王都の城門が見えてきた。目的地が見えて安堵してしまったのか、途端に自分の中の魔力が尽きかけていることに気づいた。軽い目眩を感じ、地に下りる。
徒歩で城門を通過し、質屋へと急いだ。足がもつれそうになるのを何とか堪えながら、息も絶え絶えの状態で店の前に到着。大きなガラス張りの壁面が、朝日を受けてギラギラと光っている。
眩しさに手をかざすと、店の中に幾人かの人影が見えた。ふらつきながらも扉に手をかけ開く。日差しが差し込み明るく照らし出されている店内には、以前「アルエルを質に」と提案してきた恰幅の良い男の店員と、屈強そうな数人の別の男たち。その輪の中に……キョーコがいた。
両手は鎖と金具で固定され、足にも巨大な鉄球が鎖で繋がれていた。
「キョーコっ!!」
私が彼女の前に駆け寄ろうとすると、屈強な男たちがその前に立ちはだかる。くそっ、そこをどけ!! その男たちの脇から恰幅の良い男が歩み寄ってきた。
「これはこれは『鮮血のダンジョン』マスター、バルバトスさま。以前のお話を検討頂けていたとは……あー、これは別の話でしたね?」
「私はこんなことを許可していない!」
「ですが、既に契約は完了しておりますので」
「認めない。解約しろ」
「できません。どうしてもとおっしゃるのであれば、違約金が……」
どいつもこいつも金金と……。いいだろう、いくらでも払ってやる。ダンジョンを含めて資産を全て売ってもいい。だから、こんなことは止めろ!
「いいんだ、バルバトス。あたしが決めたことだから」
それまで口を閉ざしていたキョーコが首を振る。「もう決めたんだ」そう言って微笑む。だが、それが本当の気持ちでないことは、私がよく知っている。お前は、そんな笑い方をするやつじゃない。
「いいや、駄目だ。ダンジョンに仕える者は全て私のものなのだ。勝手なことは許さない」
「あたしが決めたんだ。ダンジョンは関係ない」
「前にも言っただろ。お前は私に忠誠を誓った。それは私のものとなるということだ」
「なら、ダンジョンを辞める」
この強情娘め。キョーコに言って聞かせることを諦め、店員と直接話すことにする。
「今言ったように、彼女は私の所有物だ。彼女の契約は無効だと主張する。違約金が要るのなら出そう。だから彼女を解放しろ」
「バルバトスさまともあろうお方が、そのようなことをおっしゃるとは意外ですな」
「な、何……?」
「キョーコ殿は自分の意思で契約をなされた。それは誰にも侵害できるものではありません」
「だから先程から言っているように、キョーコの意思以前に私との――」
「それではまるで奴隷制ではないですか」
なん……だと……。この私がキョーコを奴隷扱いしていると言うのか。「それはお前たちの方だろう。一緒にするな」その言葉が喉まで出かかる。だが、言えない。当然納得はいかない。しかし反論できない。男の言っていることは虚言ではあるが正論だ。
だからと言って「はい、そうですか」となるわけはない。力ずくでも連れて帰る。私は男に飛びかかった。が、魔力を使い果たしたせいか、足がもつれる。その一瞬を逃さず屈強な男たちが私の前に立ちはだかる。
「ここまで魔法で来られたのでしょう。流石はダンジョンマスターさまですね。しかしながら既に魔力切れ……とお見受けしました。キョーコ殿を納品先にお連れするついでに、ダンジョンまでお送りしましょう」
男たちの隙間からキョーコが連れて行かれるのが見えた。それでも私にできることはない。考えなしに魔力を使い果たし、挙げ句に何も抵抗できない自分の無力さを痛感した。
□ ◇ □
1時間後、私は馬車に揺られていた。馬車は2両用意され、前の馬車にキョーコと屈強な男たち。後ろには私と店員が同乗した。若干、魔力は回復しつつあるが、それでも彼らを全て打ち倒し、キョーコを救出するまでには至っていない。
何度かチャンスを伺っていたが、男は余程用心しているのかスキを見せることはなかった。せめてキョーコ自身が味方になって暴れてくれれば勝算はあるのだろうが、彼女にその意思がないのでは打つ手がない。
そういうことを考えていると、馬車が突然停車した。「納品を済ませて参りますので、お待ち下さい」そう言って男が馬車を降りる。
馬車の幌の隙間から辺りの様子を伺う。ここは……。『精霊たちの夢』の近くか? キョーコが売られた先があのダンジョンだと言うのかっ!? それだけは認めるわけにはいかない。そんな酷いことがあってなるものか。
私は馬車を降り、男たちの後を追う。ダンジョン前に出来ていた行列の脇を通り、茂みへと入ってい行く。しばらく歩くと、ラスティンたちが言っていたように大きなハッチがあるのが見えた。
男がそれをノックすると、鉄の軋む音と共にハッチが開く。私は茂みからそれを見ていた。開いたハッチの奥から一人の男が姿を現した。『精霊たちの夢』のダンジョンマスター、ヘルムートだ。
男はヘルムートと何か話している。ヘルムートはうなずきながらも、卑しそうな目でキョーコを見ていた。そっぽを向いているキョーコの顎を掴み、自分の方へと向かせると、恍惚の表情で何かを言っている。
ここを逃したらもうチャンスはない。私は茂みから飛び出そうと身構えた。そのときだった。背後から「バルバトスさま」と小さな声で呼び止められた。慌てて振り向くと、そこにはアルエル、そしてボン、ロック、薄月さん、サキドエル……それに、剣士4人組に酒場4人娘まで……。
ダンジョンのクルーたちが全て揃っていた。
「私たちも気になって、王都に向かってたんです」
アルエルが言うには、私が出ていったあと全員で話し合ったそうだ。そしてキョーコがいなくなるのを阻止しよう、ということになり王都へと向かっていた。その途中で馬車が止まっているのが見え、私が男を追っている姿を見つけて後を追ってきたということらしい。
「私も同じことをしようとしていたんですけど、やっぱり誰かがいなくなるのって嫌だなって……。だから、ダンジョンがなくなっちゃうのは悲しいですけど、キョーコちゃんだけでも助けないとって」
そうだな、アルエル。お前もキョーコも誰一人でも欠けてはいけない。さっさとケリを付けてキョーコを取り戻そう。
私たちは一斉に茂みから飛び出した。




