「必ず返すから」
何事もなく数日が過ぎたころ、それは突然やって来た。
キョーコはヘルムートをふっ飛ばした翌日から眠り続けていた。正確には本当に寝続けていたわけではない。何度か彼女の様子を見に行ったとき、明らかに狸寝入りしていたこともあったからだ。しかし、あぁいうことがあった後なのだ。顔を合わせにくいと言うのも理解できる。
それでも3日もすると飽きてきたのか、ごそごそと起き出し『最後の晩餐』へと朝食を取りにきた。
「もう大丈夫なのか?」
「……うん」
「今日はまだダンジョンに出るなよ」
「……うん」
「ほら、朝ごはん。お前の苦手なお魚だけど残すなよ」
「……うん」
ぼけーっとした顔でオウム返しに答えるキョーコ。本当に聞いてんのか……。
「さてはこのバルバトスさまに惚れたな」
「……うん……って、なっ、何言ってんの!?」
って、ちょっ、暴力反対!
しかしキョーコは振り上げた手をゆっくりとそのまま下ろす。ふむ「すぐに手を上げる」ことは改心したようだな。決して叩かれたいというわけではないのだが、少し物足りない感もある。
隣に座ってモグモグと朝食を取っているキョーコを見ていると、なんだか心配になってくる。あのとき言いかけていた「彼女がここに来た理由」というのを聞きたかったのだが、もうしばらく後にしたほうが良いだろう。
そんなことを考えていたときのことだった。
「チョーカン トッテキタヨー」
ボンが新聞や郵便物を抱えて部屋に入ってきた。机の上に置いて「コレハ アルエル。コレハ レイナチャン」と郵便物を分けていく。
「バルバトスサマ ニモ キテルヨ!」
そう言って渡してくれた封書。あまり見かけない形式の大きなもの。裏を見ると仰々しく蝋で封印さえており、その下に『王立司法裁判所』という文字が書かれていた。ふと横を見ると、キョーコが魚をくわえたままじぃっとそれを凝視していた。
「うん、まぁ、大丈夫だ。暴力沙汰とは言え、いきなり実刑はないだろう。お金で解決できるんじゃないか」
「……うん。ごめん」
「気にするな。ダンジョンはともかく『憩いの我がダンジョン亭』は結構稼いでいるからな。それに元々の蓄えもあるし」
「必ず返すから」
だから気にするなって言ってるだろ。ほら、口の周りにお魚が付いてるぞ。『由緒正しい魔王のハンカチ』を手渡す。気づかれないように小さくため息をついて、封を空けてみる。
中には一枚の書状が入っていた。そこには「事件の経緯」「罪状」などがツラツラと書かれており、最後に出廷日時が記されている。出廷を求められているのは、私とキョーコ。まぁ妥当なところだろう。
「私も行きたいです!」
「ボクモ!」
アルエルやボン、それに他のクルーたちも立ち会うと主張していたが、ぞろぞろと皆で出かけるのも、心象を悪くしてしまうやもしれぬ。そう言って、何とか納得させた。
食事を終えて片付けをしていると、隣で皿を吹いているアルエルが「心配ですぅ」とつぶやく。
「大丈夫だ。お前がそんなに気にすることでじゃない」
「でも……キョーコちゃんが……」
「裁判って言っても、簡易的なものだからな。罪状を言われて、それが正しければ認めて罪を受け入れる。それにさっきも言ったが、この手の判例を見る限り、おそらく罰金刑で済むだろう」
「お願いします、バルバトスさま! キョーコちゃんを守ってあげて下さいね!!」
「任せておけ。そのための魔王バルバトスだろ?」
「はいっ!」
□ ◇ □
数日後、私とキョーコは王都の裁判所へやって来ていた。王国には3つの裁判所があり、この手の揉め事は最も下級の「第一審裁判所」で行われることが慣例となっている……はずだったのだが、通されたのは「王室直轄裁判所」。ここは通常非公開で、複雑な犯罪などを扱うはずなのだが……。
法廷は豪奢な作りで、中央に被告人席。その左右には弁護人、判事席があるが、空席になっている。正面には見上げるほどの高さに3つの席が用意され、3人の裁判官が座っていた。「王室直轄」というだけあって、その更に右上部には王家のためのテラス席も設けられているが、こちらも空席だ。
室内には、私とキョーコ、それに3人の裁判官だけ。異様な空気が法廷を支配していた。
「それでは裁判を開始します」
右側に座っている裁判官が口を開き、小槌を叩く。続いて左側に座っている裁判官が、抑揚のない声で裁判に至った経緯などを話し始めた。その内容はヘルムート側の主張に則ったものではあるが、それなりに公平な視点から語られているものとも言えた。
恐らくダンジョン協会が手を回してくれていたのだろう。ヘルムートが行った、私への屈辱的な強要についてもキチンと述べられており、特に反論するところは見受けられない。
しかし私は、なぜこの「王室直轄裁判所」で、この事件が取り扱われることになったのかが分からず、終始混乱していた。それは経緯が読み上げられた後、中央に座った裁判長の口から告げられた。
「本件は通常、第一審裁判所で扱うものではありますが」
そうだろう。普通はこんな仰々しい裁判など必要ないはずだ。
「ことが国と国の問題に発展しそうであるため、本裁判所で取り扱うこととなっています」
それを聞いてようやく理解した。ヘルムートは本国に根回ししたのだろう。彼の祖国「マルセール公国」と我がカールランド王国は、現在同盟を結んでいる。隣国である2つの国は過去には争っていた時期もあったと聞くが、ホウライ襲来以降は軍事同盟のお陰で平和な関係が続いている。
国力を見比べれば、ほぼ均衡しているものの若干マルセール公国の方が力が上だという意見もある。それがこの裁判に影響しているとだとは分かったが、それでも理解に苦しむ点もある。
たかだかダンジョンマスターが訴えた程度で、国が動くというのだろうか? 私の疑問を感じ取ったのか、裁判長はやや声を低くしながら補足を加える。
「彼――ヘルムート・ヴァンゲンハイム侯爵は、マルセール大公の甥に当たる方であらせられる故、と言えば分かるかな」
それを聞けば当然理解できる。まさか国家元首の甥っ子だったとは……。マルセール大公と言えば、民衆からの支持も厚く、大陸でも随一の善政を敷いていると評判の君主ではあるが、身内のこととなるとそうはいかないらしい。甥っ子に泣きつかれて、圧力をかけてきたということか。
ここまで楽観的に考えていたことが、見事に根底から覆されどうして良いのか分からなくなる。だが、裁判長が続けて放った言葉に一縷の望みを覚えた。
「大公はこの一件が大事になることを危惧されておる。そこで、示談を提案されておる」
つまりは「金」ということだ。国家間の問題ごとにされなかったことに胸を撫で下ろすが、問題はその額だ。国家元首の身内を殴りつけた示談金が一体どれほどになるのか……?
続いて告げられた示談金に、私は目眩すら覚えなかった。ざっと想像していた金額とは桁がふたつほど違う。『憩いの我がダンジョン亭』などの収入を入れたとしても、約10年くらいは飲まず食わずで返さないと追いつかない金額だ。
ふと隣に立っているキョーコを見ると、顔は真っ青になり目の焦点も合っていない。私は裁判長に休廷を申し入れた。裁判長も無理難題であることは承知しているようで「では、再開は1週間後に」と、それを認めてくれた。
「バルバトス……ほんとにごめん。あたしの……あたしのせいで」
裁判所を出て木陰のあるベンチに腰掛けると、キョーコは小さく震えながらそう言った。
「あたしが何とかするから。何をしてでもお金を作るから」
私のローブを掴みながら、そう訴える。私はキョーコをギュッと抱きしめた。「ちょ、ちょっとバルバトス……? 痛いよ。それに恥ずかしいし……」と、狼狽えながらキョーコに言われても離さない。
「何度も言わせるんじゃない。お前だけのせいじゃない。これは私たちみんなの問題だ。ダンジョンクルーは皆家族。家族の問題をひとりだけに負わせるわけがないだろう?」
それを聞いたキョーコは私のローブに顔を埋めて泣き始める。まったく、しょうがないやつだな。あ、こら、涙をローブで拭くんじゃありません。それは由緒正しい魔王のローブであって……って、もぉ……。ほら、ハンカチ使いなさい。
私はキョーコの頭を撫でてやる。少し安心したのか、ようやく泣き止んだキョーコはハンカチをポケットにしまいながら「洗って返すから」と言う。
「でも、本当にどうしよう? あんな金額、とても用意できないでしょ?」
「まぁ、そうだな。だが、私に任せておくがよい」
この呼出しを受ける前から、ひとつの覚悟を決めていた。それを実行すればキョーコは救われる。




