「つべこべ言うな」
頭が痛い。それに胃がムカムカする……ちょ、ちょっとストップストップ! 馬車止めて!!
大急ぎで馬車から降り、近くの草むらに駆け込む。吐こうするが、もはや胃には何も残っていないので、それも叶わない。
「大丈夫かよ?」
キョーコが差し出してくれた水筒を受け取り、一口飲む。あぁ、少しだけすっきりした……かも……って、やっぱり無理。立ち上がろうとして、ふらつき倒れる。
昨晩のことはほとんど思い出せない。確かレイナとマルタがやってきて、夕食を皆で食べていた辺りまでは覚えているのだが……。今朝目を覚ますと、私は『最後の審判』の床に大の字になっていた。『由緒正しい魔王のタオルケット』を掛けてくれたのは、誰なのだろうか?
「なぁ、キョーコよ。昨晩のことなのだが」
「知らない」
今朝からずっとこの調子だ。別に怒っているような雰囲気ではなさそうなのだが、この話になると途端に否定するか話を逸らされる。何か悪いことをしてしまったのだろうか……。
「バルバトスさま、本当に申し訳ございません」
レイナが必死で謝っているのも気にかかる。こちらも理由を訊くと言葉を濁してしまうのだが。一方マルタは「自業自得だよ」と呆れ返っている。必死で思い出そうとするが、まるで脳がそれを拒否しているかのように、ぽっかりと記憶が失われたままだ。
ぼんやりと「怖いものを見た」という感覚だけはあるのだが……。
「気分が良くなったのなら、出発しようじゃないか。こんな調子じゃ、日が暮れちまうよ」
マルタの言葉にうなずき、再び馬車に乗る。我々はレイナとマルタの残りの荷物を運ぶため、王都へと向かっていた。馬車をダンジョンから北へ走らせると、数時間ほどで王都へ着く。この立地の良さが、我がダンジョンの最大の利点なのだ。
「バルバトスさま、誰かいますよ」
アルエルが指さした方を見ると、一台の馬車が止まっていた。ひとりの男がその傍らに立ち、大きな地図を広げている。
「道に迷っているんでしょうか?」
「どうかな? 声をかけてみるか。おーい」
男は一瞬こちらに振り向いたが、すぐに再び地図に視線を落とす。馬車を近くまで走らせ、もう一度声をかけてみるが、今度は反応すらしない。地図と周囲の森を丹念に見比べている。
「放っておこう」
再び馬車を走らせる。本当に困っているのならば、私の呼びかけに反応するはずだし、道に迷っているのなら森の奥を眺めたりはしないだろう。
「お家でも建てる予定なんでしょうか?」
「こんな辺鄙なところにか? どうせなら王都周辺の方が便利だろう」
「こういう田舎っぽいところの方がいいって言う人もいるかもしれませんよ」
「もしかして、新しいダンジョン建設の下見だったりして」
キョーコの言葉に会話が止まる。そう言われてみれば、この辺りはちょうど王都とダンジョンの中間地点。以前、そういう噂が立っていたのもこの周辺だ。馬車の空気が一気に重くなる。アルエルが「そ、そう言えばお弁当持ってきたんですよ。後で食べましょう」と苦笑いした。
そうだな。今はまだちょっと無理だけど……。こういう噂話はいつでもどこにでもあるものだ。いちいち気にしていてはキリがない。
小一時間ほど馬車を走らせると王都に到着。久々に訪れたが、王都はやはり賑やかだ。人で溢れかえっているし、メインストリートには多くの商店が立ち並び活気に満ち溢れている。アルエルなどは馬車から身を乗り出し、キョロキョロとあたりを見回している。
「すごーい! 人がいっぱいですよ、バルバトスさま」
「そうだな。まぁ王都だし当たり前だけどな」
「あっ、あのお店かわいいですね! 何のお店でしょうか?」
「あぁ、あれは菓子などを売っている店だな」
「!? も、もしかして伝説のケーキ屋さんってやつでしょうか……」
「別に伝説にはなってないと思うのだが」
「いい香りがしていますぅ」
「アルエル、帰りに買って帰るか?」
「あー! いいですね、キョーコちゃん!」
アルエルがはしゃぎまくっているのを見て、そう言えば彼女が王都に来るのは久々のことだったことを思い出す。一族から追い出された経験を持つ彼女は、外に出るのを怖がりすっかりダジョンに引き篭もる生活を送るようになってきていた。
そのアルエルが王都に行きたいと言い出したのは、恐らくキョーコがいるからだろう。同年代の彼女の存在は意外と大きいのかもしれない。
「あ、あそこです」
レイナの視線の先を見ると、そこには小さな1軒の宿屋があった。よく手入れはされているようだが、老朽化が激しく近所の新しい建物と見比べると、みすぼらしくも見える。
「それにしても立地だけは良いのにもったいないな」
「あたしがここを建てたときは、まだ王都もこんなに発展してなかったからね」
「マルタが建てたのか?」
「おばあちゃんは、前のお仕事で貯めたお金でここを建てたらしいんですよ」
「……もしかして、マルタの家系って結構名門のところだったりするのか?」
「そんなのなら、あんたのところのダンジョンで働かせてくれって言わないよ」
「おばあちゃん! そんなこと言っちゃダメだって」
そうか。それならば、相当の苦労をしてこの宿屋を建てたということなのだろうな。マルタが若かりしころは、確かに王都はこれほど賑わってはいなかった。それでも城下町の一角に土地を構えるとなると、それなりのお金が必要だろう。
そう考えると、彼女たちにとっては例えボロくても大切な宿屋に違いない。ダンジョンに引っ越してくるからと言って、これを放棄するつもりなのだろうか?
「まぁ、別に置いておいてもお金が掛かるってわけでもないし、当分はこのままにしとくよ」
マルタの言葉に、なぜかホッとする。うーん、何か再利用できないものだろうか……。ここにダンジョンを作る……のは流石に無理だろう。勝手に王都にダンジョンを作ったりしたら怒られてしまう。それならば、ここを支部にして――。
「バルバトス、そっち持って」
キョーコが大きなタンスに手をかけて呼んでいる。えっ、それ二人で持つの? いやいや全然楽勝じゃないよ。って言うか、ご自慢の強化魔法を使えば一人で持てるんじゃ……。
「つべこべ言うな」と怒られる。腰が砕けそうになりながら、なんとか搬出完了。
「料理道具なども全て積み込めました」
「他に必要な道具とかはないのか? 王都に来たついでに買って帰った方がいいだろうし」
「うーん、大体揃っているとは思うんですけど」
荷台を覗いてみる。おぉ、これ、マグナスター社のフライパンじゃないか! 使い込むほどに味が出るいい製品だよな。あ、こっちはキセの包丁セットか!? 凄い切れ味なんだってな。完熟トマトもスパって切れるって聞いたことがあるぞ。それにこっちは――。
思わず夢中になって見ていると「魔王よりも調理師になった方がよかったんじゃない?」とキョーコにたしなめられる。それは違う。魔王は家業、料理は趣味なのだ。一緒にしないで欲しい。
「流石にちょっと荷物が多いかね」とマルタ。そう言われてみると、確かに馬車が少し傾いてしまっているような気が……。1軒分の荷物を詰め込んだわけだから、そりゃ多いよな。
「要らないものもあるから、この際売っていくかね」
「そうですね。少しでもダンジョンの資金にできれば良いですもんね」
「いやマルタ、レイナ。それはちょっと」
「いいんだよ。また要るときに買えば。それにダンジョンが儲かるようになったら、ちゃんと返してもらうからね」
「よかったですね、バルバトスさま。欲しかったトラップも買えるかもしれませんよ」
トラップか……。そう言えばグラスター社の最新モデルが、先月出たと言っていたな。あれ凄いんだよなぁ。
「じゃ、質屋に売っ払って、それを買って帰ろうじゃないか」
マルタに背中を押される格好で、質屋に向かう。あまりそういうお店は好きではないのだが、ここはマルタとレイナの好意を受け取って置くべきだろうと思った。子供のころに何度か父に連れられて王都に来たとき、店を見たことはあったので迷うことなく到着する。
しかし、私の知っているものとは大きく違っていた。前は古ぼけてこじんまりとした、いかにも怪しいお店という感じだったのだが、いつの間にか改装されたらしく、ガラス張りのキレイなものへと変貌していた。
「凄い建物ですね!」とアルエルは興奮気味だ。私は場違い感に苛まれ、やや困惑していた。




