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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

平行線の恋人たち

作者: 夜ノ仔

 朝の一時、カーテンの隙間から差し込む日の光が目に眩しい。幼い頃ならさっさと着替えて朝食を食べに食堂に行って、母親の作った目玉焼きをつついていたところだが、今のわたしにはそんな必要はない。香ばしい匂いが、寝室のドアの向こうから漂ってくる。

 一人では広すぎる寝台で、とりあえず床に脱ぎ捨てたままだったネグリジェに手を伸ばし、頭から被る。寝癖を気にして髪を弄りながらぼうっと耳を澄ませれば、小鳥の可愛らしい囀りが聞こえてきた。もう少し、横になっていようか。別に身体の調子が悪い訳ではない。むしろ気分はいいくらいだ。強いて例えるなら、女王の玉座にでも座っているような気分……と告げたなら、彼女はどんな顔をするだろう。勝手に与えられた一生分の幸せを貪っているような感覚。

 のんびりと朝の優雅な一時を味わっていると、さして時間もかからないうちにノックが聞こえた。

「改まってどうしたの。入りなよ。」

 くすくす笑いながら返事をしてみれば、彼女はやけににこにことしながら寝室に入ってきた。

「おはよう、気分はどう。」

「……どうかしたの、そんなに心配されたの初めてー。」

 彼女は片手で器用にトレイを持ったまま後ろ手に扉を閉め、「まあまあ。」と相変わらずにこにこしながらわたしの冗談に相槌を打った。見た感じでは別に機嫌が悪そうな風には見えないが、彼女の機嫌が悪くても仕方がないと考えていたわたしには意外なくらいの晴れやかな笑みが気になった。

 わたしの結婚式が近いことが、彼女は不満ではないのだろうか。妻が夫以外の男と付き合うことは世間様で不倫と呼ばれるのだろうが、わたしは別にこの関係が今後続いたとしてもそれが不倫とは思わない。第一、彼だってわたしの性癖は知っている。相手が男でも女でも、結果が違うだけで結局はすることに変わりはないのだが、それでも向こうも構わないと了承をくれた。

 それに対して、長らく付き合ってきた筈の彼女はそのことについて一切語ろうとはしない。

「わかってないでしょ。」

 張り付いたような彼女の笑みが、わたしは少しだけ怖い。女王の椅子から引き摺り下ろされそうな気持ち、と言えば傲慢だろうか。

 平静を装ったまま「何が、」と問い返すわたしに、彼女は無言でトレイを差し出してきた。コーヒーカップは一つだけ。それと、狐色をしたトーストに、丁寧に泡立ててあるバターと綺麗な色をした苺ジャムが添えらた平皿。「ありがとう。」とトレイごと受け取るものの、わたしのものだと思っていたコーヒーカップを彼女は素早く奪ってしまった。

「わたしのでしょ、取らないでよ。」

 拗ねたように頬を膨らませて見せたが、彼女は苦笑するだけだ。「喉渇いたんだもん。」と訳のわからないことを言って、ごくごくごく……、湯気のたった熱々のコーヒーを半分は飲んでしまった。

「あっつー。」

「猫舌が無理するものじゃないでしょ。」

 舌を出しながら本気で泣きそうな顔をする彼女に思わずぷっと吹き出しながら、トーストをかじるわたし。薄めの食パンなのに、外はかりっとして中はもちもちでふわっと。彼女のトーストより美味しいパンをわたしは未だにかつて食べたことがない。いつもの彼女に漸く安心感を覚えて、千切った食パンの耳にバターとジャムを付ける。まさに美味なり。

「あのね、」

 口を開いた彼女に、舌鼓を打っていたわたしは面を上げた。

「……本当はお料理とかも、教えてあげたかったんだ。」

「突然どうしたの。」

 何を緊張しているのか、彼女は寝台に腰掛けたまま、膝の上で両の手を固く握り締めている。白い手が震えていることに気が付いて、少しは予感していたことが目の前に迫っていることをわたしは自覚した。わたしが良くても彼女が嫌ならば仕方がない、別れの時が来たのだろう。出会いがあれば別れがあるように、出会いと同じように別れが祝福されることもあるのだろうか。ふとそんなことを思うわたしの耳には、相変わらず歌うような鳥の声が聞こえていた。

 コーヒーカップを手に取り、まだ熱々の中身を口にする。味に違和感があったのは、わたしが少しでもこの関係の終止符を惜しんでいるせいだろうか。少し舌がピリピリとして、何処と無くいつもよりほろ苦い味がした。

「私が教えた料理をっ、いつか……あなたが他の誰かに作ってあげるんだとしたらって……考えると、どうしてもっ、教えられなくて……、」

「うん。」

 冷静に話を聞いている自分が滑稽に思えた。痺れと苦味が舌に残っている。それを洗い流したくて、わたしは更にコーヒーを流し込む。どうせならもっと気持ち良く、さっぱり別れたかったのに。やはりわたしは冷たいのだろうか。

 いや、本当はいつも思っていたのだ。わたしが男だったなら、彼女も何の不安を感じることなく幸せになれたのではないかと。実際には、わたしに彼女を幸せにしてあげるだけの自信がなかったがために、口にすることを頑なに拒んできた。それだけのことだった。そうしてだらだらと付き合い続けているうちに、いつの間にかわたしのほうが「幸せにしてみせるから。」と告げられる身になり、それを受け入れてしまった。わたしに無いものを、彼は持っていた。彼女と付き合っていることにも彼の言葉に了承したことにも、後悔はない。

 彼女の青ざめていく表情に罪悪感を覚えなかった訳ではないのだ。今までのことを思い返せば思い返すほど、それはわたしの胸に突き刺さる。

「私とじゃっ、駄目……だもんね。普通に考えて、……駄目……よ、ね。」

「……ごめん。」

 その一言が精一杯だ。蒼白の顔のまま首を振る彼女の方が、余程果敢に見えた。

 続けて口を開いては閉じ、酸欠の魚のような仕草を繰り返す彼女。その様子を暫く見守っているうちに、わたしも気分が悪くなる。

 気の利いた言葉一つ見つけられない自分が酷く情けない。ただ一つだけ、それでもわたしは今もあなたも好きなんだよ、と告げてあげたかった。例え気休めにしか聞こえないとしても、彼女の本音にわたしが本音で返事をしたいと思った事実は変えようがない。そして、その時わたしは漸く気付く。

 舌が動かない。

 急にドタンっと大きな音を立て、脇に座っていた彼女が倒れた。いや、寧ろわたしには彼女がぐるりと回転して地面に吸い寄せられたようにすら見えた。何かがおかしいと頭ではわかっているのに、起き上がり駆け寄ろうとした拍子にわたしも続けて寝台から滑り落ちる。床に叩きつけられる衝撃と音が遠くに感じられる。覚束ない世界と、目の前で痙攣を繰り返す見慣れた人影。

「ごめ、……さい」

 社会はわたしたちの間に芽生えた愛を許さなかった。その社会から解き放たれる術を、彼女は見付けたのだろう。

 真っ直ぐに伸ばした筈の自分の手が、右に左にと奇妙な方向に向かってしまい言うことを聞こうとしない。目指す先さえ霞んで見える。精一杯の悪あがきで言葉になった一言はあまりに短かった。

「馬鹿、」

 激しい痙攣でがくがくと小刻みに震えていた彼女だったが、わたしの目には、確かに彼女が頷いたように見えた。鼻腔や口角から透明な液体を流す様子は見苦しいものかもしれないが、その表情はどこか、安らかな笑みに見える。

 全ては最期の時が近いわたしの錯覚だったのだろうか。残酷なまでに真っ直ぐだった彼女の気持ちを棄てきることなんて、できるものか。神様、どうかもう少しだけ時間をください。

 祈るように目を閉じて手を伸ばした時、痺れたままのわたしの手が、漸く彼女の冷たい手を掴めたような気がした。

執筆 2009/9/7

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