アルーンの危機
アルーンは猛毒にかかっていた。
事の発端は一人の民と赤ん坊であった。
アルーンの大公府に一人の民が赤ん坊を抱えて走ってきていた。
「殿下! どうか私の赤ん坊を救ってあげてください!」
「待ってください、今殿下に取り継ぎますから」
そう見張りのものが言った後に、ちょうどアルーンが様子を見にきていたので鉢合わせる形になった親子。
「慌ただしい様子でどうしたんだい? むっ!? これは…、早く部屋に!」
アルーンは赤ん坊の様子を見るとすぐに親子を部屋に招き入れた。
よく見ると赤ん坊の全身が赤黒く変色しており、毒にかかっていたのは明白であった。
「これは…、毒手か?」
赤ん坊の胸に掌の跡がくっきり残っており、そこから毒が放たれたことがわかった。
すぐに赤ん坊の体を点穴し、毒の進行を抑えたアルーン。
「一体この赤ちゃんに何が!?」
アルーンが尋ねると、母親は、
「わかりません、額に痣のある男の人が急に私の赤ん坊を奪ってこんな目に…」
「額に痣があって、毒手の使い手…ポリトフか!?」
アルーンは一人の殺し屋の名前を挙げた。
「血も涙もない殺し屋だが、なぜこんな赤ん坊を手にかける?」
アルーンが悩んでいると、話を聞いていたジョウ宰相が、
「殿下、これは罠かと存じます、殿下のお慈悲につけ込み殿下を害するつもりでは?」
「おそらくそれで間違い無いだろう、だがこの赤ん坊は私が救う」
「罠に飛び込むのですか!? 医官を呼んでおります、それを待っては?」
「そんな悠長なことをしていてはこの赤ん坊が持たない、それにこれは並の医官では治せない毒だ」
それでも、とジョウは反論しているが、聞かないアルーン。
「奥さん、安心して部屋から出ていてくれ、この子は助けるよ」
そう言って部屋にいた人たちを外へ出した。
「玄武功ならこの毒は吸い出せるはずだ…、この子は死にはしないはず」
アルーンは赤ん坊の胸に手を当てて内力で毒を吸い出し始めた。
しばらくすると、アルーンと赤ん坊は部屋から出てきた、すぐさま人たちは駆け寄る。
「どうにか治療は成功したよ、この子はもう大丈夫なはずだ」
そう言ってアルーンは母親に赤ん坊を渡したが、それと同時にアルーン自身は倒れた。
目が覚めるとベッドに寝かされていたアルーン、そばには医官がついていたが浮かない顔をしている。
「む…、これは…、そうか、私は赤ん坊を助けた後倒れたのか」
自分の状況が分かり始めたアルーン。
「殿下、なんという無茶を…」
ジョウ宰相にスイ大将までもが側についてアルーンを見ていた。
「どうやら毒を吸い出したはいいが、私自身が毒に当たったようだね」
冷静に状況を分析したアルーン。
「この毒自体は確かに強力だが、私の体ならば赤ん坊より抵抗力があるはず、解毒はできるはずだが」
そう言ったところで、アルーンはがふっと血を吐いた。
「どういうことだ!?」
混乱しているアルーン。
「医官の話によりますと、どうやら殿下の内功法である玄武功が非常にやっかいなことになっているようです」
「私の玄武功が?」
血を拭きながら尋ねるアルーン。
「毒自体は医官でも解毒できるもののそれを玄武功が邪魔しているようです」
「なんと…、そんなことが…」
アルーン自身信じられないという顔をした。
「玄武功は本来毒に強い内功法のはずだ…、いったいなぜ?」
そう言って、気を集中したところでまた血を吐いたアルーン。
「がっ…、そうか、私の内功が毒を守る形になってしまっているのか」
体の内面に目を向けてわかったアルーンは自分の体を点穴し、毒の進行を遅らせる処置をした。
「今現在名医を当たっております、どうか持ち堪えてください殿下」
そうジョウ宰相は言った。
「あぁ、なんとか持ち堪えるしかないな、師匠に連絡をしてくれ、もしかしたら治療法がわかるかもしれない」
アルーンはそう指示したあと、目を閉じてベッドで眠った。
目を覚ましたアルーンは皆を呼んでいた。
「ゴホッゴブッ! 皆、落ち着いて聞いて欲しい、私はもう助からないだろう」
「殿下! そんなことを言わないでください!」
気弱なアルーンにジョウ宰相が励ます。
「今また別の名医を呼んでいます、どうか持ち堪えてください」
慌ててスイ大将も医者を手配している。
「いや、この毒はともかく玄武功が本来毒を受けなくなる内功法だったのが、災いした…、私自身が自分で弱っていた民の毒を吸い出したことにより、玄武功が毒を過度に吸収してしまい、さらには毒自体を私の体から排出させなくしたのだ」
天下無敵ともいえる内功法に意外ともいえる弱点があり、その場にいた皆は驚愕した。
「確かにもう数名の名医に見てもらったが、どの医者もこの玄武功にお手上げといっていた、殿下、御身を治療できるお方はいないのですか!?」
「一人心当たりはあるが来てはいただけないだろう」
アルーンは希望のない顔をしながら言った。
「失礼致す、アルーン殿は御在宅か?」
ここにはいないのに、皆はさも隣で呟かれたかのような優しい声色がした。
「拙僧、チョモランマと申す、アルーン殿にお会いしたい」
その優しい声は続いた。
希望のない顔をしたアルーンの顔は急に晴れた顔になり、
「あのチョモランマ大師がお越しになったのか!? 早くお通しするのだ」
そう言ってお付きの者に出迎えを命じた。
チョモランマ大師とはまさにエベレストの名称でも知られる世界一高い山であり、そこにある寺の住職である、世界一高い場所にある寺であり、そこの武芸や内功はアルーンの師イヴァンの武芸や内功を除けば天下一と言っても過言ではないほどのものである。
そしてチョモランマ大師とは代々続く称号であり、代々続く特殊な内功法により寿命は数百歳とも言われるが、滅多に人前にでないためその存在は伝説とまでいわれている。
当代のチョモランマ大師は百歳未満で代替わりをしており、歴代のチョモランマ大師の中でも特に徳が高いと評判である。
果たしてその姿を見るととても百何歳とは思えぬ容姿であり、三十代中盤を思わせるほど体は若々しかった。
ほどなくして、アルーンのところにやってきたチョモランマ大師。
「アルーン殿、お初にお目にかかる、御加減は如何か?」
「お初にお目にかかります、大師、まさかこんなところまでご足労いただくとは恐れ入ります、もしや修行の邪魔になってしまったのでは?」
「なんのなんの民を慈しむアルーン殿のためになるならばと思いこうして足を運ばせていただいた」
ベッドから起き上がって改まるアルーンだったが、毒のせいでゴホッと咳き込むと、チョモランマ大師はすかさずアルーンの体調を見た。
「ふむ…、ほうほう…、うぅーむ」
アルーンの体調を見ていたチョモランマ大師だったが、顔色は思わしくなかった。
「毒に当たったと聞き、急いできたものの、拙僧でもこの玄武功と毒の組み合わせはどうにも…、うぅーむ」
悩んでいるチョモランマ大師、そこへコンピュータからイヴァンの顔が写り、
「チョモランマ大師、お初にお目にかかる、イヴァンだ」
「これはこれはイヴァン殿お初にお目にかかる、チョモランマと申す、お噂はかねがね…」
挨拶もそこそこにイヴァンは切り出した。
「我が弟子の窮地によくぞ来てくださった、是非とも我が弟子を助けてくださらんか?」
「私でよければと思い、きたもののやはりイヴァン殿の玄武功は天下一ですな、しかしそれが災いしております、まさかこうも毒との組み合わせが悪いとは…」
顔色は悪いままのチョモランマ大師。
「そうなのだ、本来玄武功は習得すれば毒そのものに侵されなくなる内功法でもあるのだが、まだまだ修練が足りなかった我が弟子の不完全な玄武功が、自分で吸収した毒に対し逆に働き、毒を守る存在となってしまっているのだ」
「そのようですな、どうにか玄武功を破り、毒を排出せねばアルーン殿の命は持たないでしょう」
イヴァンの顔色も思わしくなくお互い声を落とすが、
「そちらの易筋経でどうにかならないだろうか?」
イヴァンは提案する、
「やってみるしかありませんな」
そう言いアルーンの背後に回るチョモランマ大師。
「しかし大師のお手を煩わせるわけには」
そうアルーンがいうやいなや、チョモランマ大師の双手はアルーンの背中に合わせていた。
皆が見ている中、治療は行われたが、しばらくするとチョモランマ大師の頭から湯気があがり、内力を大分消費しているのが見てとれた。
そうしていると、アルーンが突然ガハッと血を吐いた。
「大師、どうか?」
イヴァンが尋ねると、チョモランマは、
「やはり玄武功により拙僧の易筋経でも二割ほどしか毒が排出せなんだ」
「大師、ここまでしていただいただけでも、十分です、何卒もう力を使うのはお控えください」
アルーンは血を吐きながらもチョモランマのことを気遣う。
「あともう一歩のところなのだが…」
そう言うと口惜しそうにアルーンを見つめるチョモランマだが、その隣でイヴァンは意を決して、
「大師、玄武功の全てを大師に伝授いたしましょう、それならば我が弟子の玄武功を中和できるはず」
本来自分の門下以外には決して教えないのが普通である内功法だが、今回ばかりは例外とイヴァンは言わずにはいれなかった。
「しかしそれでは…」
迷うチョモランマ大師にイヴァンは、
「問題は易筋経との相性ですが、それはどうなるかはわかりませぬ、しかし玄武功の仕組みをしれば大師ならば対処のしようはあるはず、どうか我が内功法と引き換えに我が弟子を救ってくだされ」
チョモランマ大師の体にも気を使いながらイヴァンは言うと、
「そこまでいうとはさすが天下無敵と謳われたイヴァン殿、拙僧敬服仕る」
イヴァンに礼を尽くすと、早速二人で玄武功の伝授が始まった。
多少なりとも毒を排出したおかげでアルーンの体は、チョモランマ大師の玄武功の修練まで持つほどにはなっていた。
チョモランマ大師の才覚はアルーンとは桁が違うほどであり、イヴァンの玄武功の伝授に際し、仕組みを知るだけならさほど時間は掛からなかった。
玄武功の仕組みを理解したチョモランマ大師はさっそくアルーンの治療に取り掛かった。
チョモランマ大師は玄武功の基礎部分だけを持って、アルーンの玄武功を中和した。
するとどうだろうか、中和したあとのチョモランマ大師自身の易筋経により、アルーンの毒はみるみるまに排出されていった。
アルーンは一通り毒にかかった血を吐き出すと、
「大師に御礼申し上げます」
チョモランマ大師に拝礼するが、急いでチョモランマ大師はアルーンの手を取り、
「礼は無用です、願わくはこれからも民を慈しむ名君でいてくだされ」
そう言うと大師は去ろうとしたが、一部始終を聞いてやってきたカルディナがチョモランマ大師に声をかけた。
「チョモランマ大師、よくやってくれた、なんでも褒美をだそう」
絶望の淵にいたカルディナであったが夫を救われて喜色満面であった。
「褒美が欲しくてアルーン殿を救ったわけではありません…、そうですな、やはり陛下にも民を慈しむ皇帝であっていただきたい、拙僧の願いはそれだけです、さすれば失礼を」
そう言ってチョモランマ大師は早々に自分の寺に帰っていった。




