神様会議
「異議あり! 異議あり!」
またか、その場にいる神々はうんざりとした疲れ顔をもはや隠そうともしない。
島根県出雲市大社町に厳かに鳥居を構える、由緒正しい出雲大社上宮の机を、さっきからバンバン叩いている不届き者は佐保姫という、これでも八百万の神の一柱である。
十月も半ばに入り、山の木々も紅色に色づきだすころ、普段は日本中に散らばっている神様たちが一堂に会す行事がここ、出雲大社にて行われる。すなわち出雲で言うところの、神在月である。
目的は、人々の安寧と幸福。一週間にわたる会議では、八百万の神々がそれぞれの立場からそれぞれの方法をもって、人々の幸せを願い、かなえるのである。
佐保もそのためにここに来ており、最初の内こそおとなしく着席していたのだが、居眠りおしゃべり等々、神々の目に余るだれっぷりに業を煮やし、いつのまにか立ち上がって騒音を鳴らすことに専念している。ゆえに議長が午前の会議の終了を告げた時には、皆が安堵のため息をもらさざるをえなかった。
休憩時間に入り、神々が三々五々議場から退出していく中、一柱の神が、まだ自分の席に座っていた佐保に近づき声をかけた。
「佐保、今日は妙にはりきってるな。いつもはそうでもないってのに。どしたんだ?」
「おお、なゐ! よくぞ聞いてくれました! ふ、ふふ……、ふふふふふふ……」
なゐと呼ばれた、少年のような風貌をした神は、いまだ興奮冷めやらぬ佐保との間に若干の距離を保ちつつ、心配そうにその顔をのぞきこんだ。
「お、おい」
「それは! なにしろ! 今日は! わたしが提出した議題が話し合われるのだからして!」
佐保はこぶしを天空高く振り上げた。なゐは助けを求めて周りを見回した。
「いや、こんなこと本当は議会になんかかけるまでもないんだけれど、今年は例年に比べて日照量もだいぶ少なかったし、もしだめだったら悲しむ人もたくさん出てくるしでまあ仕方なかったのよ。それにこれぐらいのことができなくては、春の女神としてのわたしの能力が問われてしまうというかなんというか」
幸いにもなゐは痛みを分かち合う、哀れな犠牲者を発見することができた。
「起きてくれ菊理。なあ佐保がこんなに興奮したことって今まであるか?」
「フガ……? んん……、やあおはようなゐ」
まだ寝ぼけまなこの菊理の体をなゐは激しくゆすり起こす。
「おはようじゃないよ。佐保の様子がおかしいんだって」
この会話はそれなりに声を落としてはいるものの、佐保の耳に届くだけの十分な大きさであった。それでも、いまだ熱弁をふるっている佐保には聞こえていないようだった。
「ああ大丈夫じゃ。五百年ぐらい前はよくこうなっていた」
「五百……」
「うむ、あの頃は世の中が荒れ狂っておってのう。いくさ、疫病、盗賊……」
「そういうのはいいから、佐保を止めてくれ」年寄りの長話をあわてて制す。
「そしてその頃に議会の覇権を相争っていたのが佐保と――」
菊理があごで示した方向になゐが頭を向けると、A2サイズの書類ケースが頭上から降ってきた。不意を突かれたなゐはそれを額に直に受ける。
「悪だくみか、小童」
「か、鹿島――このじじい、なにしやがる!」
つっかかるなゐを無視して鹿島は落した書類ケースを拾い上げる。もったいぶってほこりをはらう仕草が、一段となゐのしゃくにさわった。
「相も変わらず下品な。春の姫君もこのような輩と付き合っていては、ますますおちぶれるだけですぞ」
「友人を悪く言わないでもらいたいわね」
先ほどまでとはうってかわって毅然とした態度を示す佐保だったが、鹿島はこれにも今日に興味がなさそうに冷淡に鼻で笑うだけであった。
「ま、なにはともあれ、午後はお手柔らかに頼みますよ、姫」
休憩の終わりを告げる議長の声が議場内に響いた。
◆
「これはやられたかもしれんな、佐保よ」
「なによ菊理、柄に似合わず深刻な声で」
午後に入ってから佐保はだいぶ落ち着いてきた。鹿島のせいか自分の議題が近いせいかは分からないが、彼女を覆っている空気がピリピリと緊張しているのが見て取れる。菊理に返答する声も心なしか上ずっている。
「鹿島はおぬしが議案を提出していたのを知っておった」
「そりゃまあ知ってるだろうな、あのじいさん粘着だし。毎年なにが話し合われるかいちいち調べてるらしいぜ」
いつのまにか席を佐保の隣に移したなゐがいまいましそうに吐き捨てる。
「なゐ、ぬしはずっと起きていただろう? 鹿島の様子で何か気のつくことがあったはず」
「ぅえ? おれぇ? でもおれ、あのじじいの追っかけってわけじゃないし……てか見たのだって今日じゃさっきのが初めてだぜ?」
「そう、今日の鹿島はなゐですら見落とすほど、影の薄い存在だったということじゃ」
「それで?」なゐが聞く。
「分からんか?」菊理が呆れたような声を出す。
佐保は分かった。
佐保に関係のない例年でも、うっとうしいぐらいに精力的な活動をみせる鹿島が、今年に限っておとなしい。その理由が何なのか、唐突に理解できてしまった。
「奴め、完全に佐保を狙い撃ちにするつもりじゃ」
「はあ……」佐保がため息をつく。「嫌われたものね……」
「いよいよだな粘着じじいめ。五百年前のことをねちねちと」
「とにかく佐保よ、これからはもう目立つ行動は慎むべきじゃな」
「……ええ、わかっているわ」
こういった会議などで意見を通すときには、自分自身をアピールするというのはそれなりに有効な手法といえるが、対抗馬がいるときはそう単純にはいかない。自らの印象の強さの分だけ、対抗する者にも、強いイメージが付属しやすくなるのだ。
いまや皆に少しばかりうっとうしがられている佐保にとって、政敵の存在というのは脅威以外の何物でもない。まして相手は百戦錬磨の鹿島である。佐保の議題は午後遅くに話し合われる予定になっていたので、印象を軌道修正する時間はあったが、もともとが著名な神である鹿島を相手にしては、そのような小手先の小細工は無意味にしか思えなかった。
となると残るは、直接対決の舌戦にて鹿島を打ち破る他は無い。しかし――
「わたしは一度もあの男に勝ったことがない」
唯一にして最大すぎる弱点は、とてつもないハンデとして背中の上にのしかかってきた。なゐは佐保のそのつぶやきを聞いて、驚きのあまりかたまってしまった。菊理にいたってはすでに机に突っ伏し、眠りについている。
「で、でもさ、鹿島神つっても、どーせ馬鹿の一つ覚えみたいに戦争戦争って言うだけだろ。この太平の世にそぐわない意見なんかさ、通るわけないって」
「地震ばかり起こしてるあなたが言うのもなんだかなって感じよ、なゐ」
「いや最近の地震はおれのせいじゃないんだぜ? なんでも地面の底の方のマントルとかプレートとかいうのが起こしてるらしいんだ。うん、えらい学者の先生が言ってたから間違いない」
人から聞きかじった知識をさも自分の手柄であるかのように話すなゐの得意技に、沈み切っていた佐保の心が束の間、ほぐされた。どうにもならない問題でも、どうにかなるだろうという気にさせてくれるのがなゐの長所だ。
「ちなみにここ百年で鹿島が通した議案の数は三千、気に入らない議案を阻止した回数は」
――五万を下らない、だそうだ。
寝言でこうも簡単に心を凍てつかせられるのは、数ある神の中でも菊理だけだと佐保は考える。彼女の思考は再び暗黒面に向かっていた。
「議長、すこしよろしいですかな」
とうとう鹿島が動き出した。本題に入る前に軽いジャブを入れておこうというのだろう。そしてそれだけで、神々に鹿島の存在を思い出させるには十分なのである。
今、議題に上っているのは、増えすぎた杉林の処理に関する予算案だったが、鹿島が軽々と論破してしまい、議案を提出した神は半ベソになりながら、案を引き揚げた。
「げっ、今の聞いてた? なーにが『中つ国には魍魎が跋扈し〜』だか。いつ時代だっつーんだよなあ、今の時代はやっぱもっとワールドワイドな視点を持たなきゃだよな」
なゐの軽口とは裏腹に、佐保の脳裡には、五百年前の暗い記憶がまざまざと浮かんでいた。あのときの自分の情けない姿と、今の神の表情が重なる。
自分がまたああなってしまう。意見もろくに通せずに、しどろもどろになりながら、惨めな思いをして、負けてしまう。
いやだ。佐保は初めてそう意識した。人々のためではなく、自分自身のプライドのために彼女は敗北を拒んだ。
そう、五百年前と今とでは時代が違っている。いつだったか、アメリカに旅行したときのことを思い出す。なゐの言うワールドワイドな視点を持って、ようやく実感できたのが、外国にも春はおとずれるということだ。
それなのに、この日本に春が来ない? 冗談じゃない、そんなことさせるもんか。春の女神の名にかけて。
執念によって突き動かされた佐保は、ある策に思い至った。
「議長、このあたりで小休止をはさんではいかがでしょう。だいぶ長引いてしまいましたし、決定すべき事項もまだあります」
ある神がそう言った。
議長はすこし反応が遅れた。今まで意識しなかったほど近くの席に座る神からの発言だったからだ。
「う、うむ、そうだな。それではしばらく休憩にする」
はっとした表情で議長が言った。佐保にはその言葉が不意をつかれて、考える暇もなく口をついて出たもののように思われた。
「見つけた……」
ぽそりともれたその言葉が、ウトウトしかけたなゐの耳に入るころには、すでに佐保は駆けだしていた。
◆
「みしゃぐじ様」
「やあ佐保ちゃん、おひさしぶり。どれくらいになるだろうね、元気にしてたかい」
「お願いがあるんです」
佐保は社交辞令をすっとばしていきなり本題に入った。みしゃぐじの神格を考えれば本来は許されないことだったが、そんな悠長なことを言っているだけの余裕はもう無かった。
「ん、なんだい?」
「実は」佐保はすこしためらった。
「ちなみに。君の出した議案を通せということぐらいなら、五分もくれればどうにかできるよ」
佐保は目を見張った。開いた口もふさがらない。
佐保が考えついたのはみしゃぐじの頭脳と、議長にすら気兼ねなく意見できるほどの位の高さを考慮に入れての作戦だった。
すなわち「偉い神様に賛成してもらって、浮動票をまとめて釣り上げちゃおう」という、策とも呼べない、身も蓋もないものだった。
ところが、そのみしゃぐじは「コンビニにタバコこ買いに行ってくる」ぐらいの気軽さで、そんな策など用いるまでもないと言うのである。
「君さえその気なら簡単だよ。君の友達の力を借りればね」
みしゃくじは菊理を呼んでくるように佐保に言った。
佐保は眠っていた菊理をたたきおこした。
そしてそれだけであらかた事は完了した。
ルルルルルル……ルルルルルル……ルルカチャ、
もしもし……、やあえびすか。いったいどうしたんだい。ん? ああこないだのことなら僕は別にたいしたことはしちゃいない。ただ鹿島殿の内儀には恋人がいるとかいう噂話をしただけだよ。顔が真っ青になってさ、あれは見ものだったね。佐保の出した議案自体はろくでもないものだったけど、実際これ以上好き放題にされるわけにもいかなかったし、それに今回の件では菊理姫神とのパイプも手に入れられた。年寄り連中にはそろそろご退陣願わないとね。まあ細かいことについては今度ゆっくり酒でも飲みながら……、え、ビールは飲み飽きたって? ハハッ、じゃあそういうことで、また……ガチャ、ツーツーツー……
◆
「なあ、菊理はどうしてあんなこと知ってたんだよ?」
「あたしは縁結びの神様じゃからの。それぐらいの情報は、好きな昼ドラの放送時間よりも詳しくなくちゃやってられはせん」
あれから半年ほどたって、佐保は菊理となゐと会う機会を設けた。
ひとつには、あのときの議決の結果を確かめようという狙いもあったのだが、やはり気になっていたのは菊理のアンテナの高さだった。いったいどれほどまで知っているものなのか聞いてみたくはあったが、なんだか不躾なような気がしてはばかられたのだ。
そうしてためらっていたところに、なゐの遠慮などまるで無い質問である。
「こんな席ではそんな話をするものじゃないわ、なゐ」佐保は少しつむじを曲げてそう言った。
「なんだよそんな話って、それに佐保も嫌いじゃないだろ?」
「ろくでもない話よ」佐保は容赦ない。
「なんと! 三度の飯よりゴシップ好きなこの菊理の前でろくでもない話と! 即刻訂正せい、佐保!」菊理が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「あら、別に菊理のことを悪く言ったわけじゃないわよ」
「わしのことを悪く言っても、情愛沙汰を悪く言うことだけは許せん! さあ訂正するがよい」
「土下座しろ土下座!」
「なゐがなんで調子に乗ってるのよ!」佐保はすっくと立ちあがった。
三柱の神様が騒いでいると、周囲の人が寄って来るわ、酔っ払いはもっとやれと囃したてるわ、なゐはその声にいよいよ勢いづくわで収拾がつかなくなってきた。さっきの怒りはどこへやら、気づけば菊理は持ってきた弁当を勝手にぱくぱく食べ尽くし、暴れるなゐが地面を蹴り上げ青いビニールシートが風に舞って、
「やっぱりこいつらと一緒に来るべきではなかったわ」佐保の嘆きも何処吹く風で花びらは舞う。
そういうわけで今年も桜は満開に咲いたのだった。
おしまい