『ウィザード・オブ・ビギナーアーツ』記念掌編
「ありがとうございました」
病院の受付に顔を出せば、簡単な花束と共に見送りの言葉が貰えた。
それに丁寧なお辞儀と共にお礼を述べるのは神崎真咲。
色素をなくした髪は未だ金糸のようなブロンドだが、病的なほどに白かった肌はいくらか血色がよくなっているように思う。折れそうだった腕も、細いままだが見ていて不安に駆られるほどではなくなっていた。
「――どうかしましたか、一基様」
「何でもないよ」
「あ、もしかしてわたしの可愛さに見とれちゃいましたか?」
「自己評価高すぎるだろ……。もう少し顧みような、神崎・ナルシスト・真咲さん」
「またまた変なミドルネーム付けないで下さい!」
心外そうに頬を膨らませる真咲に、一基は「はいはい」と適当に手を振って答える。
「入院してたときはもっと素直だったと思うんですけど……」
「記憶にない。――ってか、助かってよかったってだけでそれ以上の気持ちはないぞ」
「それであんなに熱く抱き締めてくださるなら、もし好きになって貰えたらどうなってしまうんでしょう……っ!」
「すごいポジティブだなぁ」
もはやツッコミも放棄して一基は歩き出し、病院を後にする。その後ろを、何も言わずに彼女は付いてくる。
「……遅れたけど、退院おめでとう」
「はい、ありがとうございます。……全部全部、一基様のおかげです」
「俺は何にもしちゃいねぇよ」
涙ぐむような声を背に受けて、ばつが悪そうに一基は答える。
彼がしたことなんて何もない。ただ唐突に家族を奪われ、理不尽に命を脅かされ、大切な時間の大半を失った。最悪の事態からは救うことは出来たかも知れないが、その過去まで変えられるわけではない。
「一基様がその辺りを素直に受け入れられないというのなら、無理強いはしません。――でも、入院の治療費なんかを肩代わりしてくださってますよね?」
「……それこそ子供が気にすることじゃない。当たり前のコトしてるだけだ」
「……子供扱いは不服ですけど」
「俺は二十四、お前は十六。子供扱いして当然だろ」
「…………身長的には同い年で通せると思うんですけど」
「四捨五入すりゃ人類みんなゼロメートルだろ、なに言ってんだ」
「いや一基様がなに言ってるんですか……」
ツッコみつつもまだ文句を言いたげな真咲だが、実際にそれ以上声には出さない。――が、一基はあえてそこに踏み込んでおく。
「それに大人だって言うなら独り立ちをオススメする」
「そんな風に体よく追い出されるのが嫌だから黙ってたのに! コンちゃん、ひどいね!」
心底ショックを受けたらしい真咲は着替えなんかの入ったボストンバッグから顔を出す狐のぬいぐるみのような使い魔――コンに呼びかける。人語を理解しているでもないが、きゅうと鳴いて首をかしげている。
「――まぁ、もう少しくらいは居てもいいけどな」
「……え?」
「なんだ?」
「いま、なんて?」
「次の家が決まるまでは居てもいいって。後見人云々がいるなら俺の名前使っていいし。それくらいは責任持って見てやるよ」
「分かりました、駅前5LDK家賃五千円の部屋が見つかるまでお邪魔しますね!」
「お前それ探す気ないだろ……」
事故物件でもなさそうな設定に一基は辟易する。
「まぁ今後の話は追々な」
「子供は何人がいいでしょう!」
「そんな未来は来ない」
「わたしとしては二人きりでずっとラブラブイチャイチャでも構いませんが……っ」
「そういう話じゃねぇよ……」
歓喜のあまり思考回路が暴走気味のような気がしたが、存外いつも通りのようにも思うのでそっとしておくことにした。
「で、今日の飯の話をしよう」
「はい、一基様は何が食べたいですか?」
「いや、お前の退院祝いだぞ。お前が食べたいものを食べに行こう」
「……いいんですか?」
「こういうときくらい遠慮するなよ。イタリアンでもフレンチでも、寿司でも焼き肉でも。まぁ病院食ばっかりだったから急に重いものだとまずいかもだけど」
「そうではなくて、その、金銭的に」
「……お前がうちの事務所の経営を心配しなくても」
現代魔術からは遠ざかった一基の職は探偵事務所だ。人を雇う金もないため完全に個人で経営しているため、調査の質も高くない。必然、収入もそれなりだ。
一人で慎ましく暮らすならいざ知らず、こうして真咲も養いながら外食に費やす余力はない。子供であり他人でもある真咲が心配することではないのは確かだが、それでも不安がられてしまうのが現状だ。
「心配すんなって。俺がこの前討ったのは、犯人の情報さえ出揃ってたら即国際指名手配されるようなレベルだからな」
ただ名前すら分からなかった為に指名できなかっただけだ。その危険度が下がることは決してない。
「騎士団を抜けてた以上、俺が討ったっていうのはセレーナ以外に隠してるけど、少なくとも彼女の方から謝礼は出してくれるって話だ。金銭的にはなんの不安もない」
そもそもの犯人が騎士団の一員だったと言うことで、賞金が入る以前に賠償金請求などもあって騎士団は苦しいだろう。だが豪勢な食事が出来ればそれで十分な一基としては必要以上に貰う気もない。残った分はセレーナに上手く回すようには言ってある。
「……本当に、何でもいいんですか?」
「遠慮すんなって」
「夜景の見えるホテルのレストランで高級イタリアンでも、海辺の旅館で豪勢な懐石料理でも、なんでも? どこでもどんなものでも一基様と二人っきりで?」
「まぁ、今日くらいはな」
「じゃあ――――…………」
*
「……で、スーパーか」
「一基様、一基様。その、こんなお高いお肉買ってもいいんでしょうか! 神戸牛って、A5ランクって書いてますけど!」
「家で食うんだから、せめてそれくらいは奮発してくれ、頼むから……」
結局、真咲が望んだのはいつもの事務所で真咲が手料理を振る舞うということだった。欲がなさ過ぎて逆に心配になるレベルだ。
「ステーキもいいですけど、それだとイマイチお料理っていう感じがしませんね……。なんていうかそれで美味しい美味しくないっていうのはプロの領域というか」
「素直にすき焼きでいいんじゃ? 味付けできる方が料理してる感あるだろうし」
「じゃあそうしますね!」
一基からのリクエストがあったことが嬉しいのか、ウキウキと真咲は食材を選びに行く。どうせなら調味料も少しお高いものにしましょうか、なんて言ってちょこまかと動くその様は、昨日まで入院していたとは思えない。
「……よかったのか?」
「……? 何がです?」
「せっかく元気になったばっかなんだし、今日くらいは外でゆっくり食べた方が楽だったんじゃないか?」
「わたしは一基様と一緒ならなんだっていいんですけど」
「はいはい……」
「もう真剣に受け止められもしなくなってる!?」
ショックを受けている真咲をよそに、一基は一基で少しでも高そうな食材を選んで少しでも祝いの気持ちを乗せてカゴに入れていく。
「でも、本音ですからね?」
後ろの真咲の顔は見えない。だが、その声のトーンが一段変わったのは分かる。
「夜景の見えるレストランよりも、海辺の旅館よりも、どんな場所よりも、わたしは一基様と一緒に過ごせるあの事務所が好きなので」
そんな言葉を背に受けて、どんな顔をすればいいのだろう。
分からないけれど、決して悪い気分ではなかった。
「……それより、お前春菊って食べれる?」
「まさかの全スルー!?」
振り返って問いかける一基に、真咲が涙目で訴える。それを一基は少年みたいに笑い飛ばし、真咲は唇をとがらせながらもその横を歩いていく。
ほんの数週間前に知り合ったばかりの間柄だ。
けれど、この距離感がどうしようもないくらいしっくり来る。懐かしいと、そう思えてしまうくらいに。
「…………まぁ、一人でいるよりはいくらか楽しくはなったな」
「? なんの話です?」
「さぁな」
うそぶく一基と共に、二人のためのディナーの準備は進んでいく。
この日々が続けばいいのにと、そう思ったことは絶対に口にしないと心に決めた。