オネエと薬の吸血鬼
とにかくネタが物騒です。
薄水色一色の城。美しい見た目の城の一角から、似つかわしくない争いの音が聞こえてくる。
主に砕けているような音が。
「ちょっとー!? いきなりって酷くないっ!?」
「いや、だってあいつが殺せって言うから」
「それでもだよ! さっきまでお茶してた!」
逃げ回る色素の薄い黒髪の少女を一方的に攻撃しまくっている緑がかったベージュの髪の騎士。
彼らはほんの少し前までティータイムを共にしていた友人だった。それが少女の帰り際にてこの様である。
「友達! わたし達友達!」
「それ以前に俺、あいつの部下だし」
「うわぁっ!?」
容赦なく振られる剣、割れる地面。少女は持ち前の身軽さで飛び回り躱しながら、説得の声を止めない。
「あんたと過ごすの楽しいけどさ、あいつの愚痴とか聞くのもっと面倒なんだよ、だからとりあえず殺されてくれない?」
「理不尽にも程があるわ!」
「まぁ、一応ここさ、あいつの後ろにある窓から丸見えだからさ」
「当てる気ないってか!?」
見える位置だから、一応下されている命令を遂行する“フリ”をする。
少女が躱せる位置に斬り込んでいることから、彼は“あいつ”なる者の言うことを聞く気はないということ。
彼とて腕のいい騎士だ。その気になれば少女など瞬殺であろう。
「ちょっとケイ! 何遊んでるのよ、その小娘さっさと殺しなさい!」
「あーあ……」
「げぇ、出た!」
その後ろの窓から、争いに気が付いたのだろう、城の色よろしく鮮やかな水色の髪の見目麗しい──男性が姿を見せていた。
「言ったわね小娘!」
「うきゃあぁ!」
「うわ、えげつない一撃……」
高さもある故、彼が窓から放った短剣は深く地面を抉った。少女は間一髪、それを避け騎士──ケイの近くへと避難する。
「さっさと帰れば? またおいで」
「うん! そうする!」
もう争う気もないのか、ケイは剣をしまい少女に帰宅するよう促せば、彼女は力強く頷いて一目散に逃げていく。
少女の目に入らずとも、彼はその背中に向けて手を振った。その身が城壁を軽々と越えるまで。
そして当然。
「ちょ!? 何逃がしてるのよケイィ!」
上からの怒号。
「いやだって、殺したらあんたもまずいでしょ」
「何がまずいって言うのよ」
「日頃のストレス解消なの知ってるし」
「……」
一瞬にして鬼の形相で舌打ちをしたであろうその口元。下から見上げていたケイは図星かぁ、などと酷いくらいに冷めた顔で外套を翻した後ろ姿を眺めた。
これがこの城の主、ヴァリウスである。
くそ、あの野郎、さっさとくたばれ!
およそ女として目も当てられないような暴言を心の中に巡らせながら少女は、フルーは転がるように帰り道を走っていた。
理不尽な怒りともつかないものを家のドアへとぶつけ、大きく息を吐く。
「つ、疲れた……」
まずあの城主、性格がいけない。政治的手腕は申し分ないのに、性格だけは本当にいけない。見た目イケメンなだけに。
別に所謂オネエ的な性格がいけないと言っているわけではない。そこはどうでもいい。
「こちとら特殊な事情ってものがあるんだよっ!」
軋みそうなくらい力任せにテーブルを叩いて突っ伏す。
毎度のことのようにこうなっては事の発端を思い出してしまうフルー。苛立ちが増し、眉間に皺が寄る。
実を言うとこの三人の年齢というものはほとんど変わらない。ヴァリウスとケイは言うなれば年相応、フルーは年齢の割には幼いという見た目。それも詐欺にも近いような。
些細なこと、としてしまえば些細なことだが、それこそがヴァリウスの逆鱗に触れてしまったらしい。長く生きる吸血鬼とはいえ、若々しさを保っていたい彼はそれが本当に気に入らなかったよう。
だから殺したい、ということらしい。
「くたばれよぉ、本当……」
それさえなければケイとのお茶の時間を楽しめるというのに。
「こんにちは!」
「ぶふっ……」
閉められた窓から突然姿を現したフルーに、ケイは盛大に紅茶を吹き出した。
「何、あんた俺のティータイム嗅ぎ付ける天才なの?」
「分かんない、でもいっつもタイミングばっちりだね」
「昨日は殺されかけたっていうのに」
口元を拭いつつ窓を開けに行くケイ。片手で窓枠にしがみついていたフルーは窓が開いたことでそこに飛び乗った。
しかし、部屋に入るにはケイが目の前に立っているため飛び降りることができない。そこでフルーは持っていた小さな紙袋を差し出した。
「フィナンシェ買ってきました!」
「どうぞ」
「わーい、ありがとう」
条件反射か、ケイは風のように目の前を通り過ぎたフルーにはっとした。入城する者を見極める門番さながらな道の空け方をしていたことにも。
焼き菓子持参ともなれば通す他ないというもの。
「できたてだよ」
「へぇ、いいじゃん」
やってしまった、と溜め息を吐きながらも、戸棚からもう一つティーカップを取り出してフルーの前に置くところ、ケイはこのティータイムを楽しみにしていることでもある。
「入れ立てじゃないけどいいよね」
「だって毎日そうじゃん」
「……スタート早いな」
ケイが用意していた菓子の乗った皿に持参した菓子も乗せていたフルーは、紅茶を注いでくれている彼を前に早くもできたてだというフィナンシェを口にしていた。
「おじさんとおばさんがね、いつもありがとうって」
「あんたはほとんど毎日通ってるからな」
「ケイ君だってそこそこ行ってるでしょ」
「まぁ、それなりに」
この二人の出会いといえば至って普通。好きな菓子の売っている店が同じだという、ただそれだけだった。または、美味しい菓子が売っている好きな店が同じだというだけ。
焼き菓子と紅茶を楽しみ、日々の他愛もない話をする。ケイのいる場所が場所なため、フルーがこうして遊びに来ることになっていた。
「また門番さんに気をつけてねって言われちゃってさ」
「二重の意味でしょそれ、ていうかまた壁登ってきたの?」
「だって中歩くわけにいかないじゃん、あれに会ったら……」
最初こそ、度々城に通うフルーを訝しんでいた騎士達だが、それもただ単にケイとお茶を楽しむだけだと、何も考えていないような様子に、いつの間にかただの客人として扱うようになっていった。疑うまでもないただの阿呆な娘、友人の友人。
「でもお城の中ぶち壊すことはさすがにあいつでもやらないかな?」
「さぁね、ストレス溜まってたらうっかりやるんじゃない?」
「ほら! やっぱりそれじゃ困るよ!」
騎士達の間でもケイがこうしたものを好んでいるのは周知の事実でもあり、よく差し入れを流すように持ってきたりもする。そして、ほぼ男所帯の中にフルーという客人は正に華であり、微笑ましく眺めていたりするのも珍しくない。
「今日も帰りとか、何かやったりしないよね?」
「それは帰り際のおた──」
「──ちょっとケイ、聞きたいこと、が……」
ノックがされたかと思えば、返事を待たずしてドアが開かれる。入ってきたのは言わずもがな、である。
「あらぁ、呑気にお茶会なんていいご身分ねぇ……」
「ヴァリウス……!」
「あんたそれ入室の礼儀あったもんじゃないな」
そして彼が部下であるなら上司、いや、ここの頂点と出会ってしまうのは必然的でもある。
一瞬にして顔面蒼白になるフルーの前で、ケイは変わらず優雅に紅茶など飲んでいる。ヴァリウスは持ってきていた一枚の書類をなびかせながら片手を頬に当て小首を傾げていた。
「どういうことかしら?」
「ただのティータイムだよ」
「見りゃあ分かるのよそんなことは! なんでこの小娘もいるかって聞いてるの!」
「いや、来たから」
自分が主に背いていることなど微塵も気にせず、ケイは知らん顔で淡々と答え続ける。さっきの言葉をそのままそっくり返してやりたいと、ヴァリウスは書類をテーブルの叩きつけて怒りに耐える。
「脳天ぶち抜いて殺せるじゃないの……」
「だって今日はそんな命令受けてないし」
「常時下してる命よっ!」
むしろ主に対しての接し方などではない。無礼にものらりくらりと屁理屈を並べ立てる。
それでもヴァリウスが何の怒りも覚えないのはこの二人が所謂、昔馴染みという関係でもあるからだろう。肩書きが変わっても接し方は本当に変わらない。腹が立つくらいに。
そうして言い合っている二人の陰で、フルーは気づかれないようにゆっくりと行動していた。椅子から立ち上がり、入ってきた窓へと後退する。
「もういいわ、こうなったらアタシが直接──」
「お邪魔しましたぁ!」
「待ちなさいっ! ケイ、あんたもよ!」
「あ、おい、フルー!」
ヴァリウスの矛先が自分に向いたところで、フルーは全速力を以って窓へと突っ走り飛び降りた。
ヴァリウスは立ち上がったまま動かないケイを振り向き、窓枠に手をかけたまま一喝する。そのまま飛び降りて行ったフルーへと伸ばしていた手を名残惜しそうに下ろしながら、ケイは遅れた独り言を漏らす。
「俺のフィナンシェ……」
何故、何故あの状況で。ケイは逃げる直前、フィナンシェを引っ掴んで行ったフルーが信じられなかった。
地上には下りなかった。飛び降りた先、塔やバルコニーなどをつたってただひたすらに城外に出るための城壁を目指す。
「暇なのかお前ー!」
「当たりなさいよ!」
「死ぬわ!」
容赦なく飛んでくるヴァリウスの短剣を避けながら、であるが。フルーは時折後ろを確認しながら、足場も確認しながら逃げ惑う。
飛んで行った短剣は至るところに突き刺さるか、ヴァリウスの力で手元まで戻って行ったりしている。
「フルー! さっき持って行ったの俺のフィナンシェだったよ」
「え、ごめん! じゃあ明日同じの買って行くね!」
「ならいいや」
誰よりも遅れて外に出たはずのケイがいつの間にか、ヴァリウスを追い越してフルーの隣へと降り立ち並走する。しかしかけられる言葉は緊迫感のない、日常のそのものだった。それに普通に返すフルーもフルーである。
「ケイ! アンタねぇ……!」
「いい加減にしたら、仕事途中なんでしょ?」
「ちょっと休憩を挟むことにしたわ」
「殺したらもうこんな派手なストレス解消法なくなるよ?」
「じゃあ程々にしといてやる、わっ!」
ケイも器用なもので、今度は速度を落としてヴァリウスと並走し、何とか説得を試みていた。たが聞く耳持たず、ヴァリウスもなかなか言ってのけたもので、また新たに短剣を投げる。
「そうだよ! 仕事途中なら戻──っ!?」
「……!」
「フルーッ!」
血が舞った。
振り向き様に一言言ってやろうとしたフルーが迫った短剣を避けることができなかったのだ。
だがそれでも直撃は避けようと、体をひねったフルーの左腕を短剣が切り裂き、それで体勢を崩したフルーは走っていた塔の屋根から下にあった建物の屋上に落下する。
「っ、う、いってぇ……」
「まだ逃げる?」
「……あ、はは、殺されたくはないね」
左腕を押さえながら起き上がったフルーの元へ降り立つヴァリウス。ケイも珍しく焦った顔でその少し後ろで待機していた。
絶好の機会。しかしヴァリウスはそれ以上手を出す素振りを見せなかった。ただ蹲るフルーを見下ろしているだけ。その目は血が流れ出る腕の傷だけを。
「……ヴァ、ヴァリウス?」
おかしい。
今から殺されるかもしれないというのに、フルーは異常を感じて案じるようにその名を呼んだ。
血。ヴァリウスの目が獲物を捉えたそれさながらにぎらぎらと光っているような。
「ヴァリウス、何をするつもりだ」
「やぁね、殺しはしないわよ」
「っ……」
短剣を手に持ったヴァリウスがフルーへと歩み寄る。ケイはいつでも剣が抜けるようにと構え、主の異常を見逃すまいと目を光らせる。
フルーといえば射竦められたように動くことができずに、ただ顔色青く足だけでじりじりと後ろに下がっていく。滴り落ちる血がその攻防を物語っていた。
「ま、まさかお前……!」
「悪いわね、何か惹き寄せられちゃうのよ」
「う……」
察したフルーがさらに顔色を悪くしたところで、ヴァリウスに左腕を掴み上げられ痛みに顔を歪める。そして、ヴァリウスは短剣を持った手を振り上げ──。
「……っ!」
「何を──!?」
フルーの切り裂かれた袖のみを切り落とした。
固く目を瞑り痛みに耐えようとしたフルーは薄目を開け、ケイは駆け出して止まり目を見張った。困惑する二人を他所に、ヴァリウスは膝をついてフルーの腕を自身に引き寄せる。
そして──舐めあげた。
「~っ! こいつ舐めやがったあああ!」
「うるっさいわねぇ! 何よ舐めるくらい」
「黙れぇ! ヒヤヒヤした、って──あれ?」
フルーはヴァリウスの手から自分の腕を力任せに引っこ抜くと、彼の変化に動揺を隠せなかった。目に見えて分かった、その恐ろしいまでの変化に。
「う、嘘だろっ!?」
「何よ」
「何で、え、何か肌ツヤ良くなっ──」
「嘘っ!?」
素直に言い出し、フルーは言葉を切った。
そう、ヴァリウスの肌ツヤが良くなったのだ、確実に。フルーの傷、血を摂取した直後のこと。原因はそれしかない。フルーは直感でさらに恐ろしいことが起こると察した。それこそ身の毛がよだつ程の。
自分の頬に手を当て、落ち着きなく辺りを見渡すヴァリウスがそれを物語る。
「うわ怖っ……フルー、あんた何したの?」
「何もしてないよ! 見てたでしょ!?」
「即効性が過ぎるでしょ」
言いたくはないが、ヴァリウスのおかげで大方塞がった傷と共に痛みもなくなり、元気になったフルー。緊張が解けたことでケイが側に来た途端、いつもの元気でヴァリウスを指差し、混乱で涙目にもなる。
「信じられる? あいつわたしの腕舐めたんだよ?」
「うん、後でちょっと洗いに行こうな」
「アンタ達、アタシのこと汚いみたいに……」
顔を覆って落ち込むフルーの背中を擦りながら慰めるケイは、地味に刺さる言葉を迷いなく発した。それは嬉しさに舞い上がっていたヴァリウスの耳に届き、一気に彼を冷めさせた。
拳を震わせるヴァリウスを見上げたフルーも同じように追い打ちをかける。
「汚いわ馬鹿野郎」
「何ですって!? 血も取れて傷も塞がって綺麗になったでしょ!?」
「どこが!? お前の唾液でべったべただわ!」
「こっ、の、小娘……!」
もちろん、ヴァリウスが怒るのは当然で。しかしフルーは負けじと左腕を突き出して見せつける。濡れたように光が反射するその腕はさぞかし風の通りがよく感じられることだろう。
ヴァリウスは短剣を構え直した。
「いいえ、だめよ、こんな小娘でもある程度目を瞑ればいいこと尽くしじゃない……」
それも思い留まり、ヴァリウスは大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
まるで丸聞こえな自己暗示、フルーは訝しげに眉を寄せ、ケイはあ、やばいこれ、と何の感情もなしに呟いた。
「っふふ、もうアンタのことは殺さないことにしたわ、フルー」
「……」
フルーを見下して黒い笑みで微笑んだヴァリウス。睨み上げる視線はそのままに、フルーは背筋を駆け抜けた悪寒に身震いして顔を青くした。
これはもう、悪い予感的中だ。
「だから、アタシのためにその血を持ってきなさい。アンタはアタシの薬になるのよ」
こればっかりは流石とも言うべきか。威厳があり断ることを許さないその迫力に、フルーは思わず側にいたケイのマントを握り締めた。
「い……」
「うん?」
「……い、いやじゃあああ!」
ありったけの声を張り上げたフルーは立ち上がりヴァリウスから思いっきり距離を取る。あまりの大声にケイはたまったものじゃないと片目を瞑り、ヴァリウスは肩眉を歪めて不快感に耐える。
「誰がやるかっ! わたしは血が嫌いなんだよぉ!」
「同族のくせに何情けないこと言ってるのよ!?」
「それ以前にお前に取っ捕まるのが嫌だわ!」
拳を握り締め、力一杯叫び通し拒否を示すフルーはもう、訳が分からなくなっていた。一刻も早くここから離れて頭をすっきりさせたい。だからこの困った城主を何としてでも黙らせたい。
立ち上がったケイは二人のやり取りをただ眺めていた。
「ケイ、捕まえて」
「だってよ、逃げなきゃ捕まえるぞ」
「じゃあさよなら、また明日!」
「ちょっとケイ!?」
救いの声に、フルーはさっさと踵を返して走り出した。ケイに手を振り、約束を勝手に言いつけて行くことも忘れずに。その背中を見送ったケイは、明日も結局来るのか、とは思いながら手を振った。
とりあえず、あいつに見つかってからのことを思い返して、思いもよらなかった出来事を自分なりに噛み砕いてみて、これだけは確かに分かった気がする。
「これ、殺されてた方がマシだったんじゃねぇの!?」
ということを。
たまにははちゃめちゃで中身空っぽなものが書きたくなるものです。