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偏愛イデオロギー  作者: 真木
第二編 フェロモン星人の逆襲
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前編<龍二> 2

 実は、私はバスケの夜練と称してバイトをしている。


「鈴子ママ。花はこの位置でいいですか?」


 場所は銀座にある高級クラブ、「初音」。高校からの友達のお母さんがここのママをやっていて、声をかけられたのが始まりだった。


「フロアは掃除して大体整えたつもりですけど、確認して頂けませんか?」


「安樹ちゃんは本当によく働いてくれるわね」


 おっとりとした鈴子ママは着物の似合う日本美人だ。とても大学生になる娘を持つ母とは思えないほど若く見える。


「ねえ安樹ちゃん。ママのお願い聞いてくれるかしら?」


 つぶらな黒い瞳で見上げられるとつい頷いてしまいそうになるが、ここは踏ん張りどころだ。


「すみませんが、私にお姉さん方の真似はできそうもないです。力仕事なら大歓迎ですけど」


「そうかしら。安樹ちゃんを呼んでほしいっていうお客様はたくさんいるのに」


「女なのにボーイの格好してるのが面白いんですよ」


 私の仕事はここのクラブのボーイ。黒服をきっちり着込んで髪を撫でつければ、背が高いこともあって男に見えるが、女だと気づくお客様も多い。


 ここでバイトしているのは、鈴子ママがボーイでもいいからと熱烈に勧めてくれたことが一つ。


――お前はガサツだしな。


 竜之介にそう言われたことにカチンとなって、行儀見習いをしたいと思ったことがもう一つ。


――どうしよう。パジャマの生地買っちゃって予算がない。


 そして現在お金を早急に貯めたい私にとって、鈴子ママの言うバイト代がとても魅力的だったことが三つ目の理由だ。


「安樹、おはよう」


「おはようございます。今日も綺麗ですね」


「はいはい」


 徐々にホステスのお姉さんたちがやって来て、準備している私の頭を通り過ぎ際に撫でてくれたりする。ここのお姉さんたちは店の格式かママの人望のおかげかみんな品が良い。


「会長さんに、十四日までには食事に誘ってもらえるくらいにならなきゃ」


「香水替えた?」


「清水さんにもらったの。でもやっぱり本命はね……」


 イベントが近いからか、お姉さん方の目の色が違う。皆さん綺麗だから一緒に過ごす相手はいくらでもいそうな気がするけど、やっぱり売れっ子はその程度じゃ満足できないようだ。


「安樹はどのお客さんが好きなの?」


「え、私ですか?」


 私はシャンデリアの埃を払っていた手を止めて振り返る。


「私はボーイですよ。私の存在すら認識されてない方がほとんどの中で、好きも嫌いもないと思いますが」


「そんなことないわよ。安樹が給仕しに来ると絶対振り向いて見てるもの」


 それは物珍しいだけだろうと思う。


 困るのはこんな瞬間だ。私は男性にはほとんど興味がない。イベントが近いからと、一緒に過ごす相手を探すつもりもない。


――あすちゃん。ありがとうっ。


 輝くばかりのミハルの笑顔を思い出すと、自然と頬に笑みが浮かぶ。


「あ、笑ってるー。さては恋人いるのね?」


 お姉さんたちのことは理解できないから毎度どう反応すればいいのかわからない。けど、とりあえず笑ってごまかそう作戦は成功したようだ。


「いらっしゃいませ」


 営業時間になり、私は給仕や雑用にとりかかる。和洋折衷のお洒落な内装は、一室ごとが広く取られていて店内とはいえ結構歩き回らないといけないが、部活で鍛えているので心配ない。


 ただ、精神面ではかなり気を使う。扱う物がいちいちびっくりするほど高かったり、お客様が新聞に載るような偉い人だったりする。最初の内はお盆を持つ手が震えたくらいだ。


「安樹。あなたをご指名よ」


 それも二週間した今はだいぶ慣れた。……一部を除いて。


「……今日は休みだと言ってくださいませんか。シフトが変わったとか」


「せっかくいらっしゃったお客様よ? 行きなさい」


 私は頭を押さえて頷くと、奥の部屋に重い足を向ける。


 給仕をしに行った際に声をかけてくださるお客様くらいならいる。だが信じられないことに、私を指名する奇特な方がいるのだ。


「失礼します」


 ノックをして扉を開けると、ソファーに掛けている男性の姿が最初に目に飛び込んできた。


 長身で肩幅が広くて筋肉もしっかりついている無駄の無い体つきに、たいていの女の人は振り向くんじゃないかなという整ったお顔。四十台らしいが他の方のように人生に疲れた雰囲気ではなくて、むしろ深みが出てきていい感じだ。実は毎回微妙に違う高そうなスーツもよく似合うものだと感心していた。


 私も初めて見た時はほう、と息を呑んでまじまじと見てしまったものだ。たぶんこの人の欠点は目つきが鋭すぎることくらいで、後はどこを取っても文句なくかっこいい大人の男だ。


 ……ただ、なぁ。


「はるか」


 その鋭い目がふっと和らいで私を捉える。


 隣には日々取り合いがされている鈴子ママがいるというのに、私などを呼んで座らせようとする。


「こっちにいらっしゃい」


 私が困ってママに視線を送ると、彼女も軽く手招きした。帰らせてもらいたかったのだけど、こうなると私に選択権はない。


 意を決してお客様の横に座る。できるだけ間を置いて座ったが、ひょいと腰に手が回されて引き寄せられた。


この人本当に四十台か? なんて力だ。片手で私の云々キロを持ち上げるとは。


「膝に乗るか?」


「すみません、それはちょっと。それに、私重いですから」


「重い? まさか」


感心している場合ではない。軽く腕の中に抱かれている状態だ。スーツと香水と何だかわからないけど男っぽい匂いがする。血が頭の方にぐんぐん上がる。


「……はるか?」


 ひいいっ。耳元で囁かないでくださいっ。


 この人に話し掛けられると背筋がぞくぞくする。これは、悪寒?


「あの、今日はどうして」


「はるかに会いに来た」


 おかしい。なぜ私のシフトの日に必ずいらっしゃるのだ。それとも毎日いらしているだけなのか。だとしたらいつ仕事をしていらっしゃるんですか。


「仕事なら今日はもう終わったぞ」


 今私の頭の中読みましたね? 考えた途端ジャストで答えが返ってきましたよ。


「あの、浅井さん」


「龍二だ」


 至近距離で私を見下ろしながら、少し目を細める。


「はるかにはそう呼んでもらいたい」


 艶めいた声がとっても怖い。我慢してなければ震え出してるだろう。


 この私にとってまるで理解できない艶ボイスの人がやって来たのは、大体十日前にさかのぼる。

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