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偏愛イデオロギー  作者: 真木
最終編 最愛パラヴィーナ
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後編<安樹> 2

 私の傷は出血こそ多かったものの、銃弾は肩を貫通していて比較的治りは早いらしい。


「でも重傷ですよ。むやみに動かないように」


「はーい」


 アレクに叱られるので、私は大人しく寝ていた。


「安樹」


 朝起きてアレクに手伝ってもらいながら着替えを済ませたところで、病室に懐かしい声が響く。


「おじいちゃんっ」


 大きくて優しい、ロシアのおじいちゃんだった。


 私は思わず飛び起きようとしたが、アレクに片手でベッドに押し戻された。


「会いたかったよ」


「じいちゃんもだ。しかし安樹、メールの返信が遅いぞ」


「だっておじいちゃんのメール、顔文字しかないから解読に時間がかかるんだよ」


 ミハルが変な顔をして私を見やる。


「メール……してたんだ?」


「うん。そうだよ」


 言ってなかったっけ、と私が首を傾げると、ミハルは納得がいってないように頷いた。


「日本に来るってわかってたら、舞妓さん探しといたのに」


「それは自力で探すことにしたよ。ところで」


 おじいちゃんは椅子にかけて、懐から封筒を取り出す。


「安樹、美晴。お前たちに手紙だ」


 それは古びた封筒だった。あちこち変色して茶色がかっている。


「昨日ロシアの昔の家に届いた。……お母さん、遥花からだよ」


 はっと私は息を飲む。振り向くと、ミハルも目を見開いていた。


「一緒に読もう、ミハル」


「うん」


 ベッドに腰掛けたミハルと一緒に、慎重に封を切って中身を取りだす。


 それは亡くなった母が、私たちを産んで間もなく書いたと思われる手紙だった。


 母は私たちに、兄弟の絆を守り続けてほしいと願っていた。それは私たちを内側から支えてくれるものになるのだと。


「……母さん」


 愛してるわ。美晴、安樹。


そう締めくくった手紙を読み終えて、私はぽろりと涙を零す。


 そして母は鍵を同封していた。


「これは貸金庫の鍵だね。東京の」


 ミハルが横から覗き込んで告げる。


「もう一枚手紙が入ってる。少し新しいみたいだ」


 私はそれを読み上げる。


「『もしあなたたちが二十歳になった頃に私がいなかったら、私の代わりに金庫の中身を届けてちょうだい。』」


 私はミハルと顔を見合わせる。


「あすちゃん。僕が取ってくるよ」


「うん。お願い」


 私は大事に母の手紙を畳んで、鍵をミハルに渡した。


「安樹。じいちゃんにしてほしいことはあるかい?」


 ミハルが出て行って、アレクも部屋を離れている間、おじいちゃんはそっと問いかけた。


 ミハルに教えてもらったから、おじいちゃんが結構な家の元主で、未だに色々な方面に顔が利くことは知っている。


「おじいちゃんは、見守っていてくれる?」


 だけど、私がおじいちゃんにしてほしいことは一つだ。


「私とミハルは幸せになるから、おじいちゃんにはそれを見ていてほしいんだ」


 私がそう言ったら、おじいちゃんは大きな胸に私の頭を抱いた。


「それは大役だ。立派に果たしてみせよう」


 うん、と私は温かいおじいちゃんの腕の中で頷いた。


 昼過ぎに、ミハルは私の元に戻って来た。


 ちょうどその頃には由衣が見舞いに来ていて、あんたはしょうもないだの何をやったんだこの野郎だの色々文句をつけていた。


 私はミハルと金庫の中身をベッドの上に広げて考えた。


 入っていたのは、二通の手紙と五十万円ほどのお金、金貨のペンダント、それらを誰に届けるかのメモだった。


「お母さんはすごいな」


「うん」


 私はミハルと頷く。


「龍二さんと父さんが喧嘩することも、わかってたんだね。それでその解決方法も、ちゃんと用意しておいてくれたんだ」


 ミハルはそう言って、碧色の瞳で私を見る。


「僕はどうすればいいか、わかってきたよ」


「私も。やってみようか」


「いいよ、やってみる?」


 二人で額を寄せて内緒話をする。幼い頃から二人で悪戯をしたように。


「安樹。竜之介君と楓さんがお見舞いに来てくれましたよ」


 ふいにアレクが竜之介と楓さんを連れて病室に入って来た。


 楓さんはすぐに心配そうに駆け寄って私を覗き込んだ。


「ごめんなさいね、安樹ちゃん。辛い思いをさせて」


「いいんです。ミハルが守れたんだから」


 竜之介も顔をかげらせて私に近付く。


「お前をあの場に連れていくべきじゃなかった。すまない」


「それも、いいよ。せっかく龍二さんに頂いたドレスに穴が空いちゃったけどね」


 ディナーに呼ばれて竜之介と一緒にレストランに入ったら、ミハルが危ないところを見たので飛び込んだだけだ。私にしてみれば突発的な事故に遭ったようなもので、誰を恨むつもりもない。


「それより、必要な人達が揃ったね。ミハル」


「うん」


 おじいちゃん、アレク、由衣、楓さん、そして竜之介。


 父がいてくれればもっと心強いのだろうけど、今の父はきっと母の言うことしか聞かないのだろう。


 私はミハルの手を握って、そして皆に言った。


「結婚式を挙げたいんだ。予定通り、成人式の日に」


 皆に動揺が走る。私は頷きながら続ける。


「その場には、必ず龍二さんもお父さんも来るから。そこでこの二通の手紙を渡したい」


「いけません」


 ぴしゃりと言い放ったのはアレクだった。


「あなたは重傷なんですよ。あと一週間しかないでしょう。そんな体で結婚式なんてできるわけがありません」


「大丈夫。私は座ってるだけだから。お母さんの手紙が解決してくれる」


「今更手紙の一つで収まると思いますか。レオと龍二の撃ち合いになってもおかしくないんですよっ」


 珍しくアレクが声を荒げる。それも、私たちの身を案じてくれているのはわかっていた。


 私はアレクの青い目をじっと見返す。


「そうならないように、アレクがお父さんを止めて」


「私が……?」


「うん。お願い、アレク。お父さんに龍二さんを殺させないで」


 優しい瞳をみつめながら、私は告げる。


「私のお願い聞いて、アレク」


 数秒の沈黙の後、アレクは苦笑した。


「……しょうがない子ですね、あなたは」


「アレクが育てたんだよ?」


「そうですね。甘やかしすぎました」


 やれやれと肩をすくめながら、アレクは頷く。


「わかりました。レオは私が押さえましょう」


「ありがとう」


 ぱっと顔を輝かせる現金な私の頭を、アレクはぽんと叩いた。


「龍二さんは楓さんが止めてください」


「ええ。今度こそね」


 楓さんはわかっていたように頷く。


「姐の力を見せてあげる」


 頼もしい言葉に私は思わず笑って、由衣に振り向く。


「由衣、頼みが」


「あたしに?」


 由衣は意外そうに振り向いた。


「りょうちゃんを見つけて式場に連れて来て。たぶんこの近くにいるから。龍二さんとお父さんより先にみつけてほしい」


 私たちの一族の誰かだと、りょうちゃんは警戒して出て来てくれないだろう。


 そしてりょうちゃんほど手強い女の子を引っ張ってこられる子は、私の友達だと由衣しか思い当らない。


「あたしの情報網も貸すわ、由衣ちゃん。女同士のネットワークは強いのよ」


 楓さんもそっと助言する。


「……あんたの頼みなのね?」


 由衣は赤い眼鏡の奥の目を鋭く細めて私を見る。


「うん」


「そうか。なら任せろ、相棒」


 由衣はにやっと笑って、私の頭を叩く。


「一般人なめんなよ。引きずってでも連れて来てやる」


 私も笑い返して、そして竜之介を見る。


「……竜之介」


 竜之介は五歳の頃から私とミハルの側にいた。アレクと同じくらい、私たちと一緒にいた時間が長い。


今になってみると、竜之介の優しさがわかる。


――安樹。自分から喧嘩を売るな。お前は女だぞ。


 私に繰り返し女という言葉を使ったのさえ、私に文句をつけようとしていたのではないのだと気づく。


――お前は俺より小さいし、弱いし……かわいいんだから。


 いつかミハルがいない時に喧嘩して負けた私を、竜之介がおぶって家に連れて帰ってくれた。


――泣くなよ、安樹。俺も悲しくなるだろ。


 竜之介は私を守ろうとしてくれていた。怪我しないように、泣かないように。


「ごめん。お前とは結婚できない」


 ベッドの脇まで来て、竜之介は私の前髪をくしゃ、とおさえた。


「……お前が泣かずに済むなら、それでいい」


 私は竜之介を見上げて、ありがとう、と呟いた。

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