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偏愛イデオロギー  作者: 真木
第二編 フェロモン星人の逆襲
17/68

後編<楓> 5

 何となくぎくしゃくしたまま、俺と安樹はバイトを続けていた。


 このまま通って、貯金と合わせればプレゼントの代金は溜まる。だけど安樹の顔色はまだ悪いままで、俺はどう言い出せばいいのかわからないまま悶々とした日々を過ごしていた。


――私、まだこの家にいていいのかな。


 俺と同居人の前で安樹がぽつりと言った時は焦った。俺は席を立ち上がりかけて、それを同居人は落ち着いた様子で留めた。


――いてくれないんですか? 安樹が出て行くと寂しいです。


 安樹は同居人のおっとりとした言い方にひとまず考え直してくれたようだったが、俺の不安は尽きなかった。


 相変わらず龍二は足繁くクラブに通って来て安樹を呼ぶし、俺は一介のボーイという立場では邪魔することもできない。安樹が俺に疑いを持っている今では、すべてを打ち明けるのはリスクが大きい。


 安樹が予定していたバイトの期間の最終日、クラブではちょっとしたパーティが開かれた。


 クラブ「初音」のホステスのお姉さん方は多芸な人たちだ。そこでイベントの前ということもあって、それぞれの楽器を持ち寄って演奏会が催されたのだ。


 店のホールでお客様をお迎えして、小さなステージも作られた。元々ここには立派なグランドピアノがあるから、それだけで舞台は十分映えた。


 演奏するのは、やはりポピュラーだからかピアノが一番多かった。けれどたとえば鈴子ママは琴、吹奏楽部に入っていた栞さんはクラリネット、奈々さんはフルートと、なかなか多様な演奏会になった。


「ボーイのはるかとレオです。バイオリンで二重奏を行います」


 俺と安樹は父親に教わったバイオリンで二重奏を披露することに決めた。ピアノも弾けるが、俺たちはやはりバイオリンの方が馴染み深いのだ。


 俺たちの二重奏は幼い頃から喝采を浴びてきた。技術はバイオリニストの父仕込みで自信があるし、お互いの呼吸を知り尽くしていて、どんなに訓練したバイオリニストよりもぴたりと合うと評判だった。


 ……でも安樹と心がすれ違っている今はどうか。俺は舞台に上りながら今日何度目かの不安を噛み締めていた。


「ミハル」


 調弦している俺の耳に口を寄せて、安樹はそっと言う。


「大丈夫。私がついてる」


 その口調はいつも通りの安樹で、俺は思わず微笑んだ。安樹にとって俺はまだ守るべきものだと思えて、心に清流が湧き出るような気分だった。


 安樹と目配せをして、第一音。


 安樹の伸びやかで優しい音色を心地よく聞きながら俺も弾く。不安は安樹の一言で簡単に溶かされていて、ただ純粋に音楽を楽しめた。


 兄として守ってやらなければと思っているけど、心はいつも安樹に救われてる。安樹が俺を見てくれるだけで、声をかけてくれるだけで、俺の中は幸せで満ちる。


 曲が終わると、大きな拍手喝采が俺たちを包み込んだ。安樹が笑い返す。それを見て俺も微笑む。


「やっぱりミハルとじゃないとな」


 安樹が何気なく零した一言がとても嬉しかった。


「あすちゃんっ」


「わっ」


 頬にキスして、俺は安樹と肩を組む。


「ちょ、ちょっと。……もう、しょうがないなぁ」


安樹は恥ずかしそうに頬を染めたが、すぐに俺の背中に腕を回してきた。


 大丈夫。安樹との関係は少しの喧嘩くらいで崩れない。そう確信して、俺は客席の方を見る。


 俺たちの演奏に湧いている客たちの中で、龍二だけは笑っていなかった。彼の裏の顔が透けてみえるような、冷酷な光を目に宿している。


 龍二が近くの鈴子ママを呼ぶ。奴が次に取る手段はわかっている。


 さて、勝負だ。

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