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偏愛イデオロギー  作者: 真木
第二編 フェロモン星人の逆襲
14/68

後編<楓> 2

「ここ、あたしの経営してる系列のとこ。けっこうリゾットがいけるの」


 楓さんに連れていってもらったのは、少し大通りから外れた所にある洒落たイタリアンレストランだった。


 米なら何でも好きな俺としては大歓迎だ。楓さんの後ろについていって庭の見える個室に入る。


 注文するまでもなく、席についてすぐに料理が出てきた。たぶん楓さんの付き人が連絡しておいたのだろう。彼女に仕えるにはそれくらいできなくてはやってられない。


「おいしいです。チーズが効いてますね」


 クリームリゾットは思わず笑ったくらいおいしかった。チーズの香りが甘いくらいで、米の柔らかさもちょうどいい。


「そう? よかった」


 楓さんは向かい側でトマトソースのリゾットを食べながら微笑んだ。


 半分ほど食べ進めたところで、俺は庭を何気なく見やる。


 この店の裏側には料亭があるらしく、そこに車が横付けされたのが見えた。高級車から秘書らしい者が降りて扉を開くと、次に背の高い男が下りる。


「……あ」


 その眼光の鋭い男に見覚えがあったので、俺は短く声を上げる。


 男は振り返って中に手を差し伸べると、そこから白い手を引いて外に誰かを導いた。


 そして次の瞬間、俺は目を見開いていた。


「安樹……」


 車から降りてきたのは、目に眩しいほどの白いコートの安樹だった。


 滅多に着ないワンピース姿で、長い足が際立つようにスマートなヒールを履いている。髪も少し整えてあり、紫の花飾りが差し込んであった。


「あいつも抜け目ないわね。もう連れ出してきたとは」


 俺の片割れはなんてかわいいんだろう。思わず見惚れて微笑んだが、すぐに顔を引き締めて楓さんに向き直る。


「どういうことですか。龍二さんと安樹が一緒だなんて」


「簡単よ」


 楓さんはワインを一口飲んで、あっさりと返す。


「安樹ちゃん、よりにもよって龍二のシマのクラブでボーイとして働いてたわけね。それを龍二が見逃すわけないのよ」


「客として来たってわけですか」


 俺は顔をしかめて、ぼそりと言う。


「あの誘拐犯」


「そうねぇ、あなたたちにとっては誘拐犯の伯父様ね」


 浅井龍二は俺と安樹の伯父で、竜之介の父親だ。そして企業人である表の顔と、五連会という暴力団連合の会長という裏の顔を持つ。


 俺たちの母親に異常な執着を持つあいつに、俺と安樹は幼い頃誘拐されたことがある。その時は事なきを得たが、龍二が母にそっくりである安樹を狙っているのはずっと感じていた。


「あいつが最近、普段不定期にしか行かない愛人のクラブに熱心に通い詰めてるっていう報告が回ってきたからね。怪しいと思って調べたらこの通りよ」


「安樹はあいつの正体を知らない?」


「でしょうね」


 安樹は小さい頃の誘拐の記憶があまりに怖かったからか、伯父のことを完全に忘れている。俺もあまり記憶を掘り起こして安樹を苦しめたくなかったから何も言わなかったが、それを逆手に取られてしまった形だ。


「側近がマンションの手配してたわ。囲う気満々ね」


「安樹……」


 俺は睨むように窓の外を見ながら唇を噛む。


 今すぐ安樹を引き離したい。しかしあいつの周りには常に警備の人間がいるし、俺程度が行っても安樹を助けることはできないだろう。


 すぐに心を落ち着けて、俺は正面の楓さんに目を戻す。


「それで? 俺に教えてくださったってことは、楓さんも止める気だってことですか?」


「あたしはどうかしらね」


 楓さんは頬杖をついて、余裕のある微笑を浮かべながら言う。


「安樹ちゃんがあいつを好きでいるなら、無理やり引き剥がすのもね」


「それは絶対にありません」


 俺は冷ややかに返す。


「安樹が好きなのは俺ですから。他の男なんて見えてません」


「……すごい自信ね」


「もし安樹が今龍二さんに感じてることがあるとしたら」


 呆れ気味に苦笑した楓さんに、俺は淡々と告げる。


「悪寒と得体の知れない恐怖感でしょう」


「どうして?」


「安樹は性的なものを受け付けません」


 本人は気づいていないが、幼い頃から側にいる俺だけはわかっていた。


「自分に好意のある男がいるはずがないと思い込んでるのが安樹です。だから口説いても脅してるようにしか聞こえないし、相手が何を話しているのかもさっぱりわからなくて……宇宙人を相手にしているようなものなんです」


――安樹って実はけっこうかわいいって気づいた。俺と付き合わない?


 安樹に近づく男は俺と竜之介が幼い頃から排除してきたが、それでも抜けがけしようとする奴が同じ高校にいた。


――な……っ。


 明らかな告白を受けた時、安樹は赤くなるどころか青くなったのだ。


――私を使ってミハルに近づく気だな。いい奴だと思ってたのに。ミハルに何かしようとする奴は私が許さないっ。


 クラスメイトはそれを、安樹の俺への溺愛を暴露したエピソードだと思っているが、俺は違うと見ている。


――安樹?


 安樹が背中で握りしめた拳は震えていた。……安樹は、怖がっていたのだ。


「男が怖いんですよ、安樹は。だから俺、安樹の前では絶対に男の部分は見せないようにしてます」


「となると、龍二みたいな男は一番苦手なタイプってことね」


 楓さんはひとまず納得したように頷いたが、すぐに意地悪く目を細める。


「でもとことん甘やかされて可愛がられたら、安樹ちゃんの反応も変わるかもよ? 男に耐性のない安樹ちゃんを落とすことなんて、龍二にとっては赤子の手をひねるくらいに簡単なことなんだから」


「まあ確かにそれができる立場にあるのは事実ですけど」


 俺は食べ終わったリゾットの皿を横にどけて手を組む。


「俺がさせません。教えてくださってありがとうございます。あとは俺がどうにかしますので」


「ミハル」


 楓さんは妖艶に微笑んで、俺の口の前に指を一本立てる。


「かわいいミハルがあたしにお願いさえすれば、安樹ちゃんを龍二の魔の手から守ることくらいしてあげるのよ?」


「でもそれは交換条件でしょう。俺に何を求めるつもりですか?」


「そうね……」


 俺の頬に手を添えて触れて、楓さんは指先で俺の唇をなぞる。


「お姉さんとイイコトしない?」


 きつく張った糸のような緊張に、俺は目を細める。


 たぶんたいていの男ならこれで落ちるだろう。楓さんの魔的なまなざしと声、そしてきわどい胸のラインだけで男の本能は燃える。


「……くっ」


「ぷぷっ」


 二人で同時に吹き出す。


「その冗談好きですね、楓さん。安樹がいるのに俺が他の女に手を出すはずないじゃないですか」


「全くよね。というか、あたしももうお姉さんって年じゃないし」


 俺と楓さんはひとしきり笑い終えると、目尻にたまった涙を拭きとる。


「楓さんはお若いですよ。俺じゃなきゃ悩殺できます」


「あら。ミハルに言われれば悪い気はしないわね」


 身にまとっていた妖しい雰囲気を消し去って、楓さんは俺の頭を子どもにするように撫でる。


「ありがと。どうせあなたのことだから、動くとあたしの立場がまずくなるってこともわかってるんでしょ」


「楓さんのことですからね」


――ミハル。泣いてもいいのよ。


 母親が亡くなった時、幼くてそれを理解できない安樹の前では俺は泣けなかった。そんな俺を優しく楓さんが抱きしめてくれた、遠い記憶。


――あなたたちはあたしが守ってあげるからね。


 俺の母親代わりのような人だから。安樹とは別の意味で、守ってあげなければと思う。


「別にあたしの立場は気にすることないのよ。立場のことを考えるなら、あなたが東雲系に関わった時点で止めるはずだもの」


「……ご存じでしたか」


 この人の情報網を侮っていたつもりはないが、驚いた。俺が龍二の組に対抗している所に関わっていることはかなり入念に隠ぺい工作していたはずだが、彼女にはばれているらしい。


「あなた一人が動いたくらいでつぶれる組なら、つぶれればいいと思うのよね」


 あっけらかんと笑って、楓さんは頬づえをつく。


「やれるもんならやってみなさい。ただ、龍二は手ごわいわよ。……あたしが認めた唯一の男だからね」


 俺は静かに微笑む。


「楓さんが褒めるのは反則ですよ」


 俺は女性の中では、安樹の次に楓さんの言葉を重く受け止めるのだから。

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