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偏愛イデオロギー  作者: 真木
第二編 フェロモン星人の逆襲
11/68

前編<龍二> 5

 外車に乗せられて向かった先は女性服のブランド店。


ママが洋装にでも着替えるのかな、と思って後ろをついて行ったら、なぜか私が店員さんに取り囲まれて試着室に放り込まれた。


「え、ええっ? 食事に行くんじゃないんですか?」


「そうだな。はるかは腹が空いてる。急げ」


「はい」


 何が何だかわからない私に、店員さんは三人がかりで黒服を脱がせて下着にまで手をかけた。


「ちょっ、あのっ。制服で行けない場所なら私はやっぱり遠慮させてもらえませんかっ」


「はるかが行かなくてどうする。鈴子、手伝ってやってくれ」


 ママがワンピースを持って試着室に入ってきた。しかし広い試着室だ。私を含めて五人もいるのに狭く感じないなんて。


「着てちょうだい。でないと私、浅井さんに怒られてしまうわ」


 ママはなんだか楽しそうに私の着せ替えに参加する。


 フィット感のある下着には値札がなかった。取り出されたワンピースにも。そもそも、銀座の大通りという立地条件から考えて私などが手に出来るような商品じゃないことは確かだ。


「やはり、はるかは白が似合うな」


 およそ十分で完成した私の姿を見て、龍二さんは満足げだった。


 白いワンピースはシンプルだけど生地が羽みたいに軽い。パーティドレスとしてでもちょっとお洒落なレストランに行くのでも通用しそうなセンスのいいものだった。それに揃えてヒールも白、ネックレスはちょっと大人っぽく紫、整えられた髪に差し込んだ髪飾りも紫だ。


「あの……男の子が女装しているように見えませんか」


 制服じゃないスカートなんて幼い頃を除いて身につけてないし、アクセサリもヒールも初めましての状態だ。恥ずかしくてとても、店員さんはおろかママとも目を合わせられない。


「まさか。背が高いし色が白いからよく映える。外に出すのが心配だ」


「そうですよ。よくお似合いです」


 店員さんも同調する。うう、無理して褒めなくていいですよ。セールストークだとわかってますから。


――スカート、ミハルが着た方がかわいいよ。


 きっとミハルが着たら似合うだろうな。そんなことをぼんやり考える。


「行こうか」


 結局着せられたままで、さらにコートまで羽織らされてそのまま食事処に連れて行かれた。


 入ったこともない、いわゆる高級料亭らしい落ち着いた佇まいの一軒屋に車が横付けされた。私は歩きなれないヒールに戸惑いながら奥の和室までたどり着く。


 席についたらすぐにお膳が運ばれてきた。まるで魔法だ。どうなっているのだろう。


「わ……あ」


 湯気を立てているのは、つややかな黄金色の米が輝く釜飯。お腹をますます引っ込める香りが上って来て、私は目を丸くして硬直する。


「あ、あ、あの」


「ここでおあずけといったらどんな顔をするかな」


 そんな意地悪というか生殺しはやめてくださいっ。


 縋るような目でみつめると、龍二さんは口の端を上げる。


「食べなさい」


「ありがとうございますっ」


 私は箸をさっと構えると、震える手を押さえながらすくいあげて……口にいれた。


「……っ」


 雷に打たれた気分だった。


 なんてことだ。釜飯とはこんな感動を与えてくれるものだったのか。体の中心が痺れるような味わいに香ばしさ、まさに絶品。


 ぱくぱくとしばらく無心で箸を進めた。おいしいよう。ミハルにも食べさせてあげたい、とそう切に願った。


「気に入ってくれたか」


「はいっ」


 勢いよく頷いた私に、龍二さんは微笑んで手を伸ばして頭を撫でた。


 正面に座られたので、いつものように密着しないで済む。そして目の前にはおいしいご飯。そんなわけで、私は恥ずかしいスカート仕様でもそんなに緊張しないでいることができた。


「はるかは一人暮らしか?」


「あ、いえ。兄弟と、父の恋人が一緒に住んでます」


 龍二さんはなぜか私のことを訊きたがる。大学のこととか部活やサークルのこと、家族のこと、それも答えにくいことにはぎりぎりで触れないように訊いてくるので私も気づけば洗いざらい話してしまっている。


「でも私のことなんてどうでもいいじゃないですか。私共はお客様の話を聞くのが仕事ですから、愚痴でも何でも言ってください」


「私の仕事の話など聞いてもはるかにはつまらないぞ」


 普通、クラブのお客さんというと仕事の愚痴とか言いたいはずなのだが、龍二さんからおよそ仕事関係のことを聞いたことがない。


「それでしたら、お子さまのこととか……は、失礼ですね。すみません」


 こんな地位も魅力も持ってる人が結婚していないはずがない。お子さんの話でも聞かせてもらえればと思ったが、考えてみればボーイ風情がそこまで突っ込むのはよくない。


「はるかになら話してもいい。私のことが知りたいか?」


「いえ、失礼でした。忘れてください」


 何だか目が妖しく光ったので、私は忘れていた緊張を思い出して首を横に振る。


「まあそのうち知ってもらうつもりではあるが。それで、はるかは大学生なんだろう? 一人暮らしをしたいんじゃないか?」


「そうでもないですよ」


 私は共に暮らす二人を思い出して自然と微笑む。


「父の恋人はほとんど母親のように私のことを気にかけてくれる優しい人ですし、兄弟は……いなければ私が寂しいですから」


 ミハルがいるからどんなことでも頑張れるのだ。今回のバイトだってミハルのことがあったから、苦手な人が相手でも逃げずに踏ん張っていられる。


「だが父親は再婚するかもしれないし、兄弟も一人暮らしがしたい年頃かもしれないな」


 それは龍二さんにしては珍しく、突っ込んだ言葉だったと思う。


 ……そして、私の危惧している未来を的確に指摘していた。


「かも、しれないですね。そうなったら、出て行こうと思います」


 私は目を伏せて少し口元を歪ませる。二人がいなくなる、それは私にとって一番怖い想像だったけど、考えないわけにはいかなかったのだ。


「はるかは家族思いの優しい子だな」


 頬に触れられて顔を上げさせられる。私の内部を見据えるような鋭い瞳と視線がぶつかる。


「すぐに離れる必要はない。ただ、少しずつ準備するのはいいことかもしれないな」


 手の甲で頬を撫でる。びく、と私は背筋を震わせる。また来た、この得体の知れない悪寒。


「一人暮らしにいい物件を知ってる。はるかに安く貸そうか?」


「えっ」


 突然の降って湧いた話に私は瞠目する。


「い、いえ。そこまでして頂くわけにも」


「大学にも近いし、セキュリティもしっかりしてるぞ。見晴らしもいい。山岡」


 龍二さんは扉の方に声をかけると、秘書らしい男の人がファイルを持ってきて差し出す。そしてテーブルにその中の一枚を広げて見せた。


「こ、これは……」


 一目見てわかった。これは半端でなく高い。


4LDKだけど一部屋の面積が私のマンションより圧倒的に広く取られているし、地上三十階、立地も高級住宅街ど真ん中だ。まさか億ションというやつでは、と私は青ざめる。


「すみません、私にはとても無理ですっ」


 ろくに素性も知らない小娘にするには、この提案はあまりに怖すぎる。すぐに帰らせてもらおうと私は腰を上げた。


「はるかに買わせようとは思ってない。ここはもう私が買い取ってある」


 龍二さんはやんわりと私の手を握って座らせる。怒る様子もなく、声も穏やかだ。


「特別にはるかの言い値で貸すだけだ。月五万くらいでいいか? もっと安くともいいぞ」


「いや、その」


「いきなりこんな話を持ちかけられたら困るだろうから、鈴子を連れてきた。私の身元と誠実さを保証してくれるようにな」


 横目でママを見ると、ママはおっとりと微笑む。


「浅井さんは冗談でこういう話をする方じゃないわよ」


「でも、私にこんな……」


 先ほどの食事の感動も吹き飛んで私が顔をしかめると、龍二さんはすっと紙を引っ込める。


「これは私の好意の表れだと思ってほしい。気が向いたらいつでも言うといい」


 押し付けてきたら私も拒否してそれで終りにできるのに、龍二さんはそれをさせてくれなかった。


「さて、デザートでも取るか。食べるだろう?」


 わからない、わからないっ。この人、一体何なんだっ。


 私は考えに沈んだまま、それでも勧められるままにデザートまで頂くことになってしまった。

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