前編<龍二> 4
これは一種のいじめだ。正直、泣きたい。
「今日は何をしていたんだ?」
「大学に行きました。部活はなかったのでサークルの方で準備をして」
話自体はありふれたものだ。ただ体勢が普通じゃない。
肩に腕を回されて頭を抱かれている状態だ。ひぃっ。寒気が収まらないっ。
お店のお姉さんにやってください。その腰に来る囁き一発で落ちるかもしれませんよ。私にやっても駄目です。怖いだけですから。
「幼稚園にボランティアに行くのか?」
「はい」
「保育士になりたいのか?」
「そう、ですね……まだ夢ですけど」
ただ話の方は、むしろ身近な人でないだけ込み入ったことも話せる。
「それなら教育学部に進まなくても。資格を取るだけなら高卒でもよかったんじゃないか?」
私は苦笑して少し首を傾ける。
「子どもの成長にどう関わればいいのかとか、保護者の方との関係とか、いろいろ勉強したいことはありますから。それにいざ自分がなった時のイメージがまだつかめないので、ボランティアをしながら考え中なんです」
子どもが好きというだけではできない仕事だというのは話を聞いている。だけどそれでも、子どもに関わる仕事がしたい。
――あすちゃんにはぴったりだと思うな。
男っぽい私が保育士になりたいというと、親しい友達でもイメージが違うと驚くことも多いけど、ミハルだけは素直に背中を押してくれた。
「結婚後も働くつもりで?」
「あ、はは。私はたぶん結婚しません」
「ほう?」
髪を撫でられてぎくりとなる。でもこの人、胸とかそういう助平なところは絶対触らないんだよな。ただなんでもないところ、たとえば手とか頭とか触るだけで何かぞくぞくするのはなぜだろう。
「ここの皆さんのような女性らしさはないですし、ママのように母性のかけらも持ち合わせていないので、きっとしないというか、無理なんです」
「そんなことはない。はるかはかわいい」
うわぁっ。唇親指でなぞられたぁっ。
「こんなかわいい子はいない。そう思わないか?」
「ええ」
私が泣きついたので一応鈴子ママだけは控えていてくださる。でも微笑んで龍二さんに同調するだけで基本的に助けてくれない。ママぁっ。
「さて、鈴子」
「はい」
ふと腹部が引っ込む感触。ん?
「はるか、そろそろ……はるか?」
まずい、と思った瞬間だった。
きゅるる。
「……すみません」
私は赤面して俯いた。
運動部所属の私は、この時間になるとお腹がすいて仕方がないのだ。家にいれば夜食を作ってくれる人がいるけど、隠れてバイトをしている身でお弁当を作ってもらうのも悪い。
「ちょうどいい。何か食べに行くか。おごるぞ」
「えっ」
おごり、それは天からの贈り物……じゃなくて。
「いえ、私はあくまで従業員ですし。ママのいない所に行くのもちょっと」
「鈴子も行く。そうだな?」
ママがおっとりと頷く。え、ママとは約束もしてあったということ?それじゃ行くこと、ほとんど決定じゃないですか。
「何が食べたい?」
「え、選んでいいんですか?」
「もちろんだ。はるかが好きなものでいい」
私は咄嗟に頭に点滅した言葉を吐き出していた。
「……ごはんっ」
龍二さんの目が止まった。
しまった、ライスの方が上品だったか?
「す、すみません」
でもごはんはごはんで。父親はロシア人だけど、私は小さい頃からおかずなんていらないくらいに米が大好きで。
「ははははっ」
弾けるように龍二さんは笑い声を立てた。それを見ていつも柔らかな微笑を欠かさないママはびっくりした顔をして、私もああこんな大人の方でも声を上げて笑うんだと思った。
「わぁっ」
私の頭を胸におしつけて、まだ楽しそうに肩を震わせながら龍二さんは言う。
「ああ、わかった、わかった。ごはんにしような、はるか」
子どもをあやすように言って、龍二さんは私の頭を撫でていた。




