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冒険者道場・無頼伝  作者: ぬばたま
4/5

中の巻・三

1/


オーガとは具現化した暴威だ。

その肌は刃を通さず、その膂力は人を紙の如く引き千切り、その角は鋼鉄さえ穴を穿つ。

魔物の中でも上位に君臨し、圧倒的な恐怖で他を寄せ付ける事はない。

それを前にして丸に十字を刻んだ具足や羽織を纏う七人の冒険者は笑っていた。


『各々方、あと一息にござる』

『応!』

恰幅の良い唯人の十字槍使いが声を上げ、残る六人がそれに応えた。

このやり取りは既に三度。最初はオーガも一笑に付した。

二度目は苛立ちを露にし、三度目は笑わなかった。相手が本気だと悟ったからだ。

既に彼等は満身創痍だった。ひたすらに上段から打ち込んだ剣士の刀は折れ、今や脇差一本。

なのに取り巻きの小鬼ゴブリンを切り倒しながら迫り、腹心であろう呪術師に魔術を使う暇を与えさせない。

射手の矢は片手で数えられるほどしか残されていない。だが、その型は崩れることなく正確に矢を放つ。

掠めれば容易く命を刈り取るオーガの金棒を寸での所で避けて槍を突き立てる。

オーガの一撃を受けて飛散する石壁の破片が容赦なく彼等の身体を穿つ。

一手間違えればたちまち瓦解するような薄氷の上での戦いは、どれほど続いたのだろうか。

やがて錫杖を構えて瞑想し、何事か呟いていた僧衣の老人がカッと目を見開いた。

オーガもその気配に気付いて老人へと駆け出した。

これが己を滅ぼすほど強力な“奇蹟”を使うまでの時間稼ぎだと、そう判断した。


『シャァ!』

次の瞬間、オーガは己の判断が間違っていた事を知った。

老人が錫杖を振るうと、その先端が外れて鎖が飛び出して己を絡め取ったのだ。

『呵呵! オーガの一本釣りじゃ!』

笑みを浮かべる老人に続いて二人が錫杖の柄を抑えてオーガの動きを封じようとする。

オーガは激昂した。このような下らぬ策を仕掛けた事、そして膂力で勝てると思っている事に。

あらん限りの力を込めてオーガは鎖を引いた。だが、その時既に老人達は錫杖を手放していた。

オーガの姿勢が自らの力で崩れる。直後、その目に飛び込んできたのは槍と矢の穂先。

頑強を誇るオーガの身体も無敵ではない。眼球からならば、そのまま貫き通せる。

両腕を壁のように眼前に構えて防ぐ。唯人の渾身の一撃はオーガの腕に突き刺さった。

だが貫通はしていない。腕もまだ動く。安堵するオーガの頭上に影が差した。


己の上を剣士が飛んでいた。その手には大太刀。大上段から天を突かんばかりの構えだ。

オーガは首を動かして、これまでと同様に角で刃を受けた。何度やっても同じ事だ。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンはそう思った。恐らくはオーガも。

へし折れるような音と共に何かが宙を舞う。それはオーガの角。

打ち込まれた致命の一撃は深々とオーガの頭部に食い込んでいた。

一撃決殺の秘剣“士道館”中伝・兜割りである。

オーガの巨体が支えを失った櫓の如く崩れ落ちる。


倒れたオーガの首を切り落とす姿を背に、小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは悲鳴を上げて逃げ出した。

如何にしてオーガを殺したのか。何故、危険を冒してまで死体を奪い返しに来たのか。

奴等は一体何者なのか。何一つとして理解できなかったが、代わりに呪術師は一つの確信を得た。

駆逐しなければ、一匹残らず根絶やしにしなければ、次は己、そして全ての魔物が奴等に殺されると。


2/


弥十郎は己の敵を観る。この四年、如何なる思いで穴蔵の中を過ごしてきたかは分からぬ。

だが己が“士道館”で過ごした年月はそれに勝る。

敵の鬼気を感じ取った小鬼呪術師ゴブリンシャーマンが金切り声を上げる。

それと同時に、<聖域>の外周を取り巻く小鬼ゴブリン達が一斉に武器を構えた。

<聖域>に入れずとも神官を殺す手段はある。外からの射撃または投擲だ。

弥十郎もそれを承知していた。その上で瀬戸際まで敵を引き付けたのだ。

刀を納めて懐からありったけの棒手裏剣を取り出すと円を描くように立て続けに投げ放つ。

小鬼ゴブリンの悲鳴が上がる。しかし手裏剣では殺傷には至らない。

弥十郎は手近な小鬼ゴブリンの骸から武器を奪うと片っ端からそれを投擲した。

槍が小鬼ゴブリンの胸に突き立てられ、鎌が首に突き刺さり、棍棒が頭を砕く。

そして鉞を手にするや、渾身の力を込めて小鬼呪術師ゴブリンシャーマンに投げ放った。

旋回しながら飛来する鉞を小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは己が杖で受け止める。

甲高い音が鳴り響き、投げつけられた鉞が力無く地面に落下する。

やはりか、と弥十郎は確信する。この小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは武芸の心得がある。

先程の動きといい、知恵があるならば、あるいは、とは思っていたがその予感は的中した。

小鬼ゴブリンを引き寄せ、孤立した小鬼呪術師ゴブリンシャーマンを射殺す。

その算段は脆くも崩れ去った。弥十郎は再び己が置かれた状況を見直す。


李趙は動けぬ。亜小鬼ホブゴブリンを仕留めれば<恐怖>の支配下にあっても逃げれるか。

オリヴィエは<聖域>を発動させているが動けぬ訳ではない。小鬼ゴブリンを蹴散らせば逃げれよう。

だが、追撃を阻む為に己はここに残り死兵として殿を務めねばなるまい。

そして亜小鬼ホブゴブリン小鬼ゴブリン、どちらも同時に相手取るのは至難。

逃げれるのは一人だけ。己が逃げるという手はない。二人を見捨てて逃げるなど有り得ぬ。

むざむざと生き恥を晒して腹を切った所で“士道館”の面目は保たれない。

何より弥十郎自身が己を許しておけぬ。そして二人の姿を見やった。

涎を撒き散らしながら猛打を繰り返す亜小鬼ホブゴブリンに耐える李趙。

<聖域>を維持すべく懸命に祈りを捧げ続けるオリヴィエ。

その姿に弥十郎は愕然とした。二人は生きる望みを捨てていなかった。

李趙は義理を返す為、オリヴィエは他人を見捨てた弱い自分を変える為。

力でも技術でも知識でもなく、冒険者たる気概が己に欠けていた事を弥十郎は悟った。

本差を抜き放ち、その鞘を放り捨てる。弥十郎の覚悟は決まった。

“士道館”中伝・兜割り。これまで弥十郎は実戦での兜割りを成功させた事はなかった。

だが迷いはなかった。弥十郎は一歩踏み込んだ。冒険者としての第一歩を。


3/


雄叫びを上げて弥十郎は小鬼ゴブリンの群れに飛び込んだ。

白刃が閃く度に小鬼ゴブリンの身体から首が消える。

その身体と刃を血に染めて修羅さながらに呪術師へと突き進む。

そこにかつての七人の姿を見た小鬼呪術師ゴブリンシャーマンが声を張り上げる。

一塊となって押し寄せた小鬼ゴブリンが行く手を阻む。

篭手の上を小鬼ゴブリンの刃毀れた剣が滑り、突き出された槍を鎖帷子が受け止める。

振り回された刃が弥十郎の頬を掠め、盾を前に押し出した小鬼ゴブリン達が壁を構築する。

弥十郎を押し止める群れの動きに、小鬼呪術師ゴブリンシャーマンの口の端が釣り上がった。

頭の鈍い小鬼ゴブリンには複雑な命令は理解できない。だからこそ単純な命令を徹底した。

命令に絶対服従させるよう見せしめに何匹も殺した。その結果がこの、唯人の軍にも劣らぬ用兵だ。

オーガには過信があった。だから敗れた。己にはそれが無い。故に勝つ。

不意に小鬼呪術師ゴブリンシャーマンへと何かが飛来する。

咄嗟にそれを杖で受ける。鈍い音を立てて弾き返されたのは拳大の石。

見れば、唯人の剣士が乱戦の中、石を拾ってこちらへと投げ放っていた。

そこまで窮したか、と小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは口が裂けんばかりに笑う。

弥十郎は笑っていなかった。石を拾う振りをして腰の小物入れに手を伸ばす。


続けざまの投擲。さしもの小鬼呪術師ゴブリンシャーマンも苛立ちを見せる。

そして杖で受けた瞬間、それは目の前で砕け散った。

弥十郎が投げたのは石ではなかった。中身を抜き取った卵の殻だ。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンの眼前で、そこに詰め込まれていた粉末が飛散する。

目や鼻が焼けるような痛みを発した。だが、この程度では<恐怖>は途切れない。

溢れ出る涙を堪えながら小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは目を凝らす。

そして見た。唯人の剣士が背後の小鬼ゴブリンに刀を突き立てて手放すのを。

その空いた両の手で懐から印籠を取り出し、そこに漬けた棒手裏剣を投げ放つのを。

見えてはいた。出来なかったのは、それが己の眼に突き刺さるのを防げなかった事だけだ。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンが己の作った毒を受けて絶叫を上げた。


殴るのに飽きた亜小鬼ホブゴブリンが棍棒を高々と振り上げて力を溜める。

足元に蹲る虎人の頭を叩き割るに十分な一撃だ。もしも、それを振る事が出来たならば。

李趙の眼が闇夜の虎の如く輝いた。直後、痛みを吹き飛ばすほどの怒りが全身に湧き上がる。

咆哮をあげるや否や李趙は棍棒を握る手に組み付き、亜小鬼ホブゴブリンの首の肉を噛み千切った。

滝のように溢れ出る鮮血。だが李趙は止まらない。尾を踏まれ荒ぶる虎を誰が止められよう。

己が爪を亜小鬼ホブゴブリンの首を交差するように二度、袈裟に切り裂く。

そして、その腕を振り抜く勢いのままに回転して放たれた後ろ廻し蹴り。

李趙の脚が通り抜けた後、亜小鬼ホブゴブリンの肩から上は完全に失われていた。

目の前の光景に、小鬼ゴブリンたちの動きが止まった。

弥十郎は骸から剣を引き抜き駆ける。中伝・兜割りを放つ絶好の機であった。


4/


小鬼ゴブリンたちは予想外の事態に困惑して統制を失っている。

暴れ馬めいて突進する唯人の剣士を食い止めることは出来ない。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは潰れてない方の目で弥十郎を見た。

刀を両手持ちし天高く掲げた構え。それは紛れもなく、あの一撃の再現だ。

黒く輝く杖を構える小鬼呪術師ゴブリンシャーマン。この樹の杖は決して切れない。

大陸中を彷徨い歩いて見つけた摩訶不思議なる樹木を魔術で加工したこれは、

強度は鉄に、そして粘り強さは木に似、オーガの角にも勝る。

対する唯人の剣士の得物は、小鬼ゴブリンを斬りすぎて血脂に塗れている。

絶対に防げると小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは確信する。

弥十郎は杖を構えた小鬼呪術師ゴブリンシャーマンを前に、師範代の教えを反芻する。



静謐なる道場。兜割りを伝授する為、師範代と弥十郎の二人だけがそこにいる。

居住まいを正す弥十郎の隣で、師範代が大太刀を掲げた。眼前には台に置かれた兜。

裂帛の気勢と共に振り下ろされた刃が兜に深々と食い込む。

お見事にございます、と弥十郎は一礼する。しかし師範は首を横に振って言った。

『今のは兜割りに非ず』

なんと、と驚愕する弥十郎に師範代は続けた。

『兜割りは“士道館”で積み重ねてきた全ての集大成だ。

観て、察し、利用し、研鑽を以て敵の固きを打ち破る。さすれば一撃決殺』

兜とは相手が最も守りを固め、それ故に破られれば死を意味する場所を指す。

オーガの角が硬さ故に衝撃を逃さぬと見切って叩き続けたのも、

弓と槍で執拗に眼を狙い続けて注意を逸らしたのも、

仕込み鎖分銅を用いて体勢を崩させたのも全ては兜割りに帰結するのだと言う。

どれほど状況を整えようとも最後は時の運。ならば確実に防がせて確実に殺す。

道場の祖である一刀斎が三人の内弟子に出した“不可避の剣”その答えの一つである。


その体得の困難を理解して弥十郎は打ち震えた。果たして己に可能なのかと。

しかし師範代は免状を差し出しながら告げた。

『出来ると思うたから伝授したのだ。自信を持て、弥十郎』



今ならば己に何が欠けていたのか理解できる。

弥十郎は刀を肩に担いだ。その疾駆は止まらず、さらに速さを増していく。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは困惑した。それが己が知るものと違うと気付いたのだ。

その踏み込みは深く、肉薄するまでに近付き、そして弥十郎は跳んだ。

己の身体ごと投げ捨てるように刃を杖へと叩きつける。その勢いはさながら砲弾。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンの体格では支えられるようなものではない。

へし切らんばかりに押し込まれる刃と、それを受け止める黒き杖。

先に限界を迎えたのは小鬼呪術師ゴブリンシャーマンの腕だった。

腕が音を立ててあらぬ方向に捻じ曲がり、押された杖と刃が十字を描いて頭蓋にめり込んだ。

両者が同時に倒れこむ。勢い余って地面に転げた弥十郎は這うようにしながら近付き脇差を抜く。

そして小鬼呪術師ゴブリンシャーマンを捉えると馬乗りになり、その姿を見下ろす。

押し出された眼球、それは脳が破裂した証。絶命した呪術師の首を切り落として掲げる。

“士道館”門下中目録、弥十郎が敵頭目討ち取ったり。そう力強く、込み上げる喜色を抑えて叫んだ。

弥十郎が待ち望んだ中伝・兜割りの達成である。


5/


弥十郎は冒険者の亡骸を背負い、二人と共に街道を歩んでいた。

その全身は返り血に染まり、通りがかる者がいれば腰を抜かしただろう。

戦いの帰趨は頭目が倒れた時点で既に決していた。

首を掲げる弥十郎に今度は小鬼ゴブリン達が<恐怖>にかけられる番だった。

その場にいた者、遅れてやってきた者も悉く荒ぶる李趙に撲殺された。

逃げることも戦うこともできぬ小鬼ゴブリンを不気味に思う李趙に

これも兜割りである、と弥十郎はどこか誇らしげに答えた。


「弥十郎、俺が代わった方が良いのではないか?」

背に負った亡骸を見やりながら李趙は言う。

気遣い無用、と弥十郎はそれを断って足を進めた。

オリヴィエも失意から立ち直り、こうして弔えることに安堵を覚えている。


「少しばかり身体は痛むが、この程度でどうにかなるほど柔ではないぞ」

力こぶを作って強がりを見せる李趙。それにオリヴィエはクスクスと笑う。

大暴れして一息ついた直後、忘れていた痛みが蘇り虎人がのたうったのを思い出したのだろう。

それにつけても、その程度で済む李趙の頑強さには弥十郎も目を見張るばかりだ。


「しかし、その男はお前の同門ではないのだろう? 要らぬ詮索を招かぬか?」

確かに同門ではない、と弥十郎は同意して、その言葉を区切った。

男の亡骸を隠すように丸に十字の羽織が掛けられている。

小さく息を吸って弥十郎は答えた。それでも某と同じ冒険者だ、と。

その返答に李趙とオリヴィエは嬉しそうに笑い、頬を染めた弥十郎が足を早めた。



“不動一念流”の道場。そこに居並ぶ門下生達と道場主の表情は固い。

対する弥十郎たちの顔は晴れやかで、どちらが主か分からぬ様であった。

開拓地へと戻った一行は、腰を抜かす門番に事のあらましを伝え、

宿場で湯と着替えを借りて、再び道場へと戻ってきていた。

石切り場の坑道と無数の小鬼ゴブリンの骸は、もはや動かぬ証拠。

たった三人で、それを殲滅した今、誰が“士道館”の強さを疑うだろう。

弥十郎の報告を受けた道場主は厳かに頭を下げた。


「開拓地の皆の衆に成り代わって御礼申し上げます」

それに続いて門下生達も頭を下げる。

お構いなく。成り行きでのこと故、と弥十郎は手で制する。

道場で冷遇された李趙は不満げに、オリヴィエがそれを宥めた。

道場主の説明は続く。開拓地の警備を優先する為、調査が疎かだったが、

そのおかげで、これまで小鬼ゴブリンの襲撃を避けれたと。

そして、今回の残党討伐については王国から依頼とは別に褒賞が出る等。

それは良い、と弥十郎は頷いて本題を切り出した。


預けた手紙を返して頂きたい、弥十郎の一言に道場全体が凍りついた。

恐る恐る門下生の一人が丸盆に載せたそれを弥十郎たちに差し出す。

そこには破れた紙袋と中の文が広げられて置かれていた。


「貴様等、勝手に中を開いて見たのか」

「申し訳ない。当道場の悪評を書き立ててないかと門下の者が勝手に」

声を張り上げて立ち上がった李趙に道場主は頭を下げる。

その隣で、オリヴィエはそこに書かれていた文を目にした。


“不動一念流”の道場で大変世話になった事、

そして騙りが現れた為、これを確認しに赴く事、

もし己に何かあれば、それは開拓地に危機が迫っている証左であり、

“士道館”は“不動一念流”に助力する形で協力して欲しいとの願い。


受けた仕打ちの数々に対し“不動一念流”の面子を考えた清廉潔白なる内容。

如何に弥十郎が相手の事を気遣ったが窺い知れるものであった。


「弥十郎は命懸けで戦ったのだぞ。それを貴様等は相手の汚点探しか」

「口が過ぎるぞ、虎人殿」

「過ぎたらどうだと言うのだ。腰抜けどもに何が出来る」

激昂する李趙に口を挟んだ門下生が押し黙る。

怒れる虎に誰が正面から文句を言えるだろうか。

何よりも道理に適っている。不義なのは“不動一念流”の方だ。

心優しきオリヴィエさえも李趙の怒りはもっともだと思った。

手紙を懐にしまうと弥十郎は告げた。

この一件は“士道館”に伝えておきましょう、と。


門下生達の血の気が一斉に引いた。

冷静を装う道場主でさえも声が上ずっている。

「これは些少ですが、開拓地を救っていただいた御礼金を」

盆に載せた金子を先程の門下生に持たせて差し出す。

もはや李趙の怒りは限界を迎えていた。しかし、それを弥十郎は制す。

人は過ちを犯すもの、それを赦すのも人の道でありましょう、

そう言って金子を受け取ると静かに道場を後にした。

その後ろをけたたましく追う李趙と、それに遅れてオリヴィエが続く。


「そんな金で赦すのか。どうせやったのは道場主で、騙りかどうかを確かめる為だ」

弥十郎の背に怒鳴る李趙、そしてオリヴィエも心配そうに見つめる。

そうするように仕向けたのだ、と弥十郎は嘆息しながら答える。

唖然とする二人に弥十郎は話を続けた。依頼の話だ。

今回の依頼主はオリヴィエで身銭を切ってのものだが、それは受け取れない。

となれば別に、己や李趙の報酬をどこかで用意せねばならなかった。

そこで道場主の思惑を読み、あえて開封させるよう手紙を残したのだ。

たまたま残党の討伐となったので褒賞は出たので無用となったが。


敵の思考を察して状況を利用する。これすなわち“士道館”の教えなり。

腕を組んで自慢げに言う弥十郎に二人は慄いていた。

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