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冒険者道場・無頼伝  作者: ぬばたま
2/5

中の巻・一

1/


「こんな、酷い」

森守エルフの女神官、オリヴィエはその惨状に声を震わせた。

息絶えた馬の亡骸。その首と肉は切り取られ、埋葬される事もなく放置されていた。

神官である彼女には耐え難い死者への冒涜だ。

「やはり、これもゴブリンがやったのでしょうか」

それは某が、と唯人の戦士である弥十郎はオリヴィエに答えた。

「旨かったぞ」

虎人ワータイガーの武侠、李趙が舌なめずりをしながら、それに続く。

何事か言いたげに刺すように見つめる彼女に弥十郎は困惑した。

あのまま放置しても骸は腐れるばかり、ならば首を弔い、代わりに肉を頂戴する。

理に適った判断であったが、森守エルフや神官には不条理と映ったか。


弥十郎一行は、日没前に馬車の襲撃地点へと戻ってきていた。

オリヴィエの話によると、行商人は定期的に開拓地と近隣の町を巡回しており、

奉仕活動を命じられたオリヴィエを乗せて開拓地へと向かう途中だった。

護衛の冒険者は、その時に偶然乗り合わせた縁で道場を通さず雇い入れたという。

そんな怪しい輩をよく雇ったものだ、と弥十郎は嘆息した。

務めを果たさぬだけならまだ良い方で、護衛を装った賊の一党とも限らぬ。

しかし、そのおかげでオリヴィエが逃げ延びたのも事実。

世の中とは本当にどう転ぶか分からぬものだと弥十郎は痛感する。


行商人は如何した、弥十郎がオリヴィエに問いかける。

「横転した荷台に身体が挟まれてしまって……」

俯きながら少女は苦しげに答えた。見捨てざるを得なかった苦い記憶が蘇る。

気に病む事ではない、弥十郎はそれを一言で切って捨てた。

その状況では誰でもそうしたであろう。致し方ない事だ。

それよりも、こちらの方が優先される。

荷台に歩み寄る。やはり再度検分しても荷台の下には何も無い。

代わりに荷台の木組に、唯人より二回りは大きな手の痕を見つける。


亜小鬼ホブゴブリンか?」

李趙の言葉に弥十郎は頷いた。

小鬼ゴブリンの変種で、巨大な体躯を持つ魔物だ。

この手形から推察するに身の丈一丈(3m)はあろう。

だが、問題はそこではない。死体がどこにも無いのだ。

「巣に持ち帰ったのではないか? 奴等は家畜も人も食らうぞ」

その言葉に、凄惨な光景を想像したオリヴィエが僅かな悲鳴を洩らす。

しかし弥十郎は首を左右に振った。それではおかしい、と。

もし餌とするつもりならば馬を捨て置いた理由が説明できない。

亜小鬼ホブゴブリンの巨体ならば馬を担いでいくのも可能だ。

無理ならば、この場で解体して持てるだけ持ち去ればいい。

思案する間もなく陽は傾き、黄昏が広がりつつあった。

火口箱を取り出そうとする弥十郎の手が止まる。

李趙が低い唸り声を上げて構えを取り、オリヴィエも杖を構えた。

街路の傍ら、森を掻き分ける幾つもの草擦れの音。

振り分け荷物を捨て弥十郎は刀を抜き放った。

魔物の多くは夜行性で、巣でもなければ日中に出会う事は稀だ。

その為、夜には人は町へと戻って襲撃に備える。

しかし昼夜の境目である夕暮れ時、不意に魔物が姿を見せる事もある。

それ故に、王国では今の刻限を逢魔が時と呼んでいる。


2/


金切り声を上げて森より飛び出した影は五つ。

槍や斧、刀で武装した小鬼ゴブリンが一行へと押し寄せる。

それを一瞥すると李趙は、すぅと息を吸い込んで一拍、

空気を震わせる獣の如き咆哮を上げて威嚇した。

耳を劈く一声に臆した小鬼ゴブリン二匹が足を止める。

虎人は飛び出した三匹を見やると失笑を浮かべて大地を蹴った。

その巨体からは信じられぬ敏捷性で低く鋭く駆け、

槍を突き立てようとした小鬼ゴブリンの顎を膝で打ち砕く。

枯れ枝を踏み砕いたような音が遅れて響き、小鬼ゴブリンの身体が宙を舞う。

もう一匹の小鬼ゴブリンがそれに目を奪われた一瞬、

戻した膝で力強く踏み込み、虎人の鉄槌めいた拳打が振り下ろされる。

豪打一閃。それは小鬼ゴブリンの背骨を容易く粉砕せしめた。

小鬼ゴブリン二体の屍が続けざまに地面に叩きつけられる。

直後、三匹目が李趙の背後から飛び上がって斧を振り下ろした。

それに振り向きもせずに脇を締めるようにして李趙は背後へと肘打ちを放つ。

鈍い音を立てて落ちてきた小鬼ゴブリンの頭を踏み砕きながら、

口から蒸気じみた呼気を洩らして虎頭の武侠は残心を決めた。


足を止めた者の内、片方は即座に狙いを変えた。

小鬼ゴブリンは臆病で狡猾な魔物だ。勝てない相手には挑まない。

主に少人数で出歩く者たちを狙って集団で襲い掛かるのだ。

その目に留まったのは、杖を構えた小柄な女。

獲物へと一目散に駆け出そうとした瞬間、小鬼ゴブリンの視界が回転した。

胴と別たれた首が宙を舞って、駆け抜けていく弥十郎の背中を捉えた。

小鬼ゴブリンの視線を巡らせた刹那、弥十郎は視界の外へと逃れ、

そのまま無音で駆け、すれ違い様に一刀の下、首を刎ね飛ばしたのだ。

振り返りもせず、弥十郎は最後の一匹へと詰め寄る。

奇声と共に突き上げられる槍の穂先。

その先端を見切るや弥十郎は首の動きだけでそれを避け、

開いた小鬼ゴブリンの脇へと刃を走らせる。

苦悶交じりの悲鳴。飛び散る鮮血。手から滑り落ちる槍。

恨めしそうに一行を見やると、手負いの小鬼ゴブリンは森へと逃げ込む。

追おうとする弥十郎の耳に、小刻みに葉を揺する音が響いた。

咄嗟に飛び下がり、風を切って飛来する矢を深編笠を手盾に受け流す。

「あそこです!あの樹の上!」

オリヴィエが声を張り上げて杖の先端で森を差す。

指し示した先、姿こそ見えないが枝葉の揺れを認めた弥十郎は

編笠を捨てた手で刀を持ち、懐から棒手裏剣を取り出して続けざまに投げ放った。

短い悲鳴に続いて、ばさばさと上から下へと枝葉が音を鳴らす。

すかさず樹の根元へと駆け込むと弥十郎は刀を逆手に持ち替え、

肩から血を流し倒れ込む小鬼ゴブリンの喉を突いて仕留めた。


3/


「一匹逃したのか」

森から出てきた弥十郎に李趙は声をかける。そこには落胆も失望もない。

首を落とせる機がありながら手傷に留めたのは、

あえて逃がす事で巣の場所を突き止めようとしていると悟ったからだ。

弥十郎は頷いた。小鬼ゴブリンの脇の下には太い血管が走っている。

これを断てば血は止まらずに延々と血の跡を残していく事となる。

仮に帰路の途中で力尽きたとしても逃げた方角から巣は割り出せるであろう。

「随分とお詳しいですね。一体どこでその知識を?」

腑分けした、とオリヴィエに答えながら小鬼ゴブリンの着衣で刃を拭う。

敵についての知識は、己のみならず後の門下生達にも生かされる重大事。

弥十郎自身も兄弟子に伴われて実地にて腑分けを行った事がある。

森守エルフはせぬのか?と弥十郎は逆に問いかけ、

引きつった表情を浮かべるオリヴィエの肩を李趙が優しく叩いた。


荷台から剥いだ木材を芯に、油の乗った樹皮を巻きつけて縛り上げる。

そうして出来た物に、火打石で火を点せば即席の松明となる。

弥十郎は、これを他の二人の分も合わせて三本作り上げた。

ここから先は夜の森を追跡していく事になる。灯りが必要だ。

しかし、ふと思い返して二人に、夜道は平気か?と尋ねる。

「俺は夜目が利くから暗闇でも昼間とそう変わらんぞ」

森守エルフ洞守ドワーフも同様に夜目が利きますよ」

そうか、と落胆を隠して弥十郎は残りの松明を荷物に縛りつけた。


月明かりも届かぬ鬱蒼とした森。追跡は容易ではないだろうと弥十郎は思っていた。

しかし森守エルフのオリヴィエにとっては勝手知ったる庭に等しいようで、

血の跡ばかりか折れた小枝や踏まれた草、泥に残った足跡を見つけては歩みを止めずに進む。

そうして歩むこと一刻ばかり、力尽きた小鬼ゴブリンの骸に一行は追いついた。

「この先は切り立った岩場があるだけだぞ」

李趙が羊皮紙に描かれた地図を広げる。そこは冒険者達が既に調査を終えた場所だ。

だが、小鬼ゴブリンがそこを目指して一目散に逃げたのは疑いようがない。

弥十郎は足を止めて荷物を置き、二人の了承を取って野営の準備を始めた。

交代で仮眠を取って夜明けと共に岩場に向かう、そう結論付けたのだ。


4/


「私、故郷の森にいたんですけど主たる慈母神の“啓示”を受けて」

「それは、なんとも……」

焚き火を囲みながらオリヴィエは皆と打ち解けようと自身の話を切り出す。

曖昧な表情の彼女に、李趙もどう反応すべきか分からぬ様子だった。

小鬼ゴブリンから奪った弓を手入れする弥十郎も同様だ。

“啓示”とは唯人の信仰する神々より直接、言葉を伝えられる事を意味する。

そのような者は神官の中でも、それこそ一握り。

“啓示”を受けた者は“奇蹟”という神々の助力を得られる。

周囲の音を消す<沈黙>、傷を癒す<治癒>、魔物を阻む空間を生む<聖域>といったものだ。

誰もが羨む話だろう、彼女が森守エルフでなければ。

森守エルフは唯人の神々を信じない。彼等は森に住まう精霊と祖霊を敬い崇める。

永い年月を森で過ごして生涯を終えた森守エルフは精霊と一体となり一族を守護する。

唯人の神々もそれと同じものであり、それぞれ互いに信仰すれば良いといい考えだ。

そこに唯人の神である慈母神の“啓示”を受けた森守エルフが現れたのだ。

どれほどオリヴィエが微妙な立場にいたかは想像に難くない。

「でも私、嬉しかったんです。唯人の神にとっては森守エルフも等しく愛する者なんだって」

その表情も一瞬、彼女は歓喜するように笑みを浮かべた。

如何なる者が“啓示”を受けるのか、調べようとも神ならぬ人では知る由もない。

しかし彼女はその優しさが故であったろう、と弥十郎は小鬼ゴブリンを弔った墓を見やる。


「望まぬ恩恵は俺も同じよ。俺の故郷では白い虎は神の遣いで縁起が良いとされていてな」

「ああ。では向こうでは手厚く歓迎されたのでは?」

「何度も寝込みを襲われて生皮を剥がされかけた」

我が事のように喜んだオリヴィエの表情が固まる。

さもありなん、といった様子で弥十郎は腕を組んだ。

西方とを結ぶ広大な砂漠を渡るのは冒険者にとっても命懸けだ。

何の理由もなしに西方から来るとは考えられなかった。

「狩人をしていた親父にも『お前がいると目立って仕事にならん』と家を追い出されてな。

流浪の末に深山幽谷にて師に拾われ……まあ、色々あったのだ」

ゴロゴロと喉を鳴らしながら李趙は顎を掻いてごまかした。

本人はさして気にしない様子だがオリヴィエは今にも泣き出しそうだった。

そこまで己を案じるとは思っていなかったのか、李趙が慌てて話題を逸らす。

「弥十郎、弥十郎はどうなのだ?」

話を振られた弥十郎は思案する。己には二人のような壮絶な過去はない。

農家の三男坊として生を受け“士道館”に入門し、ただひたすらに道場で己を鍛え上げた。

両腕が動かなくなるまで刀を振るい、数多の書物を読み、兄弟子の供回りをして過ごしてきた。

弥十郎は己は凡夫であると自覚している。虎人の体躯や膂力も、森守の持つ鋭敏な感覚も無い。

その何も持たない空の器に“士道館”は心血を注ぎ、十二分に満たしてくれた。

挫折しかけた脆弱な己を見捨てず叱咤してくれた師範代以下門下一同には感謝しかない。

これからは、その大恩を我が身と功を以て返さなければ死んでも死に切れぬ。


「まるで刀のようだな」

その決意を聞いた李趙は独り言のように、ぽつりと洩らした。

鉄を溶かして幾度となく打ち鍛えて一振りの刃と変えるかの如き生き様。

それが幸せかどうか己が儘に生きる武侠には分かるはずもない。

そうして大きく欠伸をして横になろうとする李趙を弥十郎は呼び止め、

今度は敵方の話だ、と薄汚れた印籠を取り出して真剣な面持ちを浮かべた。


5/


「鼻が曲がりそうな酷い臭いだ。それは薬か?」

印籠の中に詰まっている黒く泥めいた物を見て、李趙は顔を顰めた。

弥十郎は左右に首を振った。その正体に気付いたオリヴィエは顔を蒼褪めさせている。

毒だ、と弥十郎は答える。数種類の毒虫、毒草を煎じて作った毒薬。

即効性も高く、傷口から入り込めば僅かな量でも死に至る。

これに似たような物の製法を弥十郎も“士道館”で教わっていた。

小鬼ゴブリンの射手が腰に下げていた物だ、と弥十郎は続ける。

小鬼ゴブリンが毒を使っただと。有り得ん」

思わず李趙は立ち上がった。彼の経験上そのような事は一度としてなかったのだ。

小鬼ゴブリンは体格も子供並なら頭の出来も子供並だ。

人の武器を見様見真似で使えても、毒を作り出すほどの知識も無い」

翻せば物が有りさえすれば小鬼ゴブリンでも毒を使える。

その為、王国では魔物に奪われる事を恐れ、毒を使わぬようお触れを出している。

弥十郎の内に湧いた疑念は既に確信へと変わっていた。

小鬼ゴブリンを指揮する者がいる、と。


荷馬車が襲撃を受けたのは日中。

夜行性の小鬼ゴブリンに襲われぬよう用心してだが、

逆に、その時間に通る事を覚えて待ち伏せしていたのだろう。

骸が無いのも捕虜にして連れ去ったと考えれば辻褄が合う。

魔物の中には、人の言葉や文字が理解できる者もいるのだ。


「待て。俺も幾度か小鬼ゴブリンの巣に入った事があるが、

その主は大柄の小鬼ゴブリン亜小鬼ホブゴブリンだったぞ」

「いえ、小鬼ゴブリンの中にも人並の知性を持つ個体も存在します。

祖霊の力を借りて魔術を行使する小鬼呪術師ゴブリンシャーマンや、

幾つもの巣を束ねる小鬼頭ゴブリンリーダーといった変種です」

博識なオリヴィアに頷く。李趙が知らぬのも無理からぬこと。

王国の討伐隊は真っ先にそのような頭目を狙って狩り、

制圧後も定期的に兵や冒険者を使って残党狩りをし領土の安全を図っている。

ここに町が築かれたのも四年も前。もはや頭目はいないものと思っていたのだが。

捕まっているのなら、まだ望みはある、そう考えたのかオリヴィエの声に力が篭る。

「そうだとすると小鬼ゴブリンの死体が少なかったのも説明がつきます。

小鬼呪術師ゴブリンシャーマンは<恐怖>という魔術を使います」

「<恐怖>? なんだそれは?」

「恐怖の感情を強制的に引き出す術です。術に掛かると全身が竦み上がり、

どんな恐れ知らずの冒険者であっても気力が萎えて戦えなくなってしまいます」

まだ呪術師と決まったわけではない、と弥十郎は釘を刺した。

しゅんと縮こまるオリヴィエを横目に弥十郎は焚き火をいじる。

弥十郎の手は震えていた。<恐怖>でも寒さでもなく、真実味を増した杞憂に。

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