チャイコフスキーの喜びと苦悩
僕が弾き切った旋律の後を、余裕の表情で冴子がスキップをするように入ってくる。まるで北野坂を軽い足取りで駆け上がっていくように……。僕はそのあとを置いてけぼりにならないようについていく。
弓が弦の上で軽やかに踊っている。冴子はここをこんなに軽く明るく素直に弾くんだ。一瞬で魅了される音の色。音の粒が躍るように広がっていく。
――ああ、これが冴子の色か――
僕は冴子を見る。
いつもの首の角度に伸びた背中。
伏し目がちに弾く、小さい時から変わらない冴子のスタイル。何もかもが愛おしい。
今僕は冴子とこのステージを、このコンクールでも曲を創り上げている手ごたえを実感している。
オーケストラとヴァイオリンの親密な会話が特徴なこの曲。それはまるでチャイコフスキーがイオシフ・コテックとこの協奏曲を創り上げた時を再現しているかのようであった。
イオシフ・コテックはチャイコフスキーの弟子でもあり、友人でもあり、そして恋人でもあった。
それは報われない愛だった。
チャイコフスキーは同性愛者であったが、イオシフ・コテックは残念ながらそうではなかった。でも彼はチャイコフスキーの前ではそうであり続けようともした。それは尊敬する師匠への敬愛のしるしだったかもしれない。
チャイコフスキーもそれを理解していたようだ。だからコテックの名声に傷がつかないように細心の注意を払っていた。彼は報われない愛を甘受していた。
スイスのレマン湖のほとりでコテックのヴァイオリンに合わせて、オーケストラパートをチャイコフスキーがピアノで奏でる。
チャイコフスキーにとってこの協奏曲を作り上げる時間は、至福の時間だったであろう。
チャイコフスキーはコテックのヴァイオリンにインスピレーションを受けながら曲を生み出した。
この曲はその時の二人の会話を、チャイコフスキーの気持ちを、そのまま五線譜に落としたのではないだろうか? と僕には思えてならなかった。
このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はイオシフ・コテックの協力がなければ完成していなかったともいわれている。いわば二人で生み出した曲である。
今、僕は気が付いた。
――冴子は最初からコンクールを全く意識していない――
僕の予想を遥かに超えたところに、冴子の目的はあった事にやっと僕は気が付いた。
僕と冴子はコンクールだというのに僕たち二人の音色を奏でている。これは冴子が欲しがった音色であり、僕が視たかった景色でもある。
冴子はこのコンクールのステージの上で、僕たちだけの音色を完成させようとしている。
――マジか!――
――今更気が付くか? 遅い!――
と冴子の口元が少し緩んだように見えた。
そのまままた僕のピアノが始まった。
――なんという鈍感!――
宏美の言う通り僕は勘トロ過ぎる。でも今自己嫌悪に陥っている暇はない。
――ああ、こんなことになるならダニーのスコアをもっとちゃんと読んでおくんだったかな――
という不埒な思いが一瞬よぎったが
――これは俺と冴子のチャイコンや!――
と思い直した。危うく一番大事なことを忘れそうになっていた。
そんなことを一瞬でも考えるほど冴子のヴァイオリンは僕の心を揺さぶっていた。
カデンツァの時間がやって来た。冴子の独奏が始まる。ヴァイオリンの音色がホールに広がっていく。
ここで冴子がこのドラマを謳いあげることができるかで全てが決まる。
冴子のカデンツァはチャイコフスキーの内面の苦悩を語っているように聞こえる。
とても感情の振れ幅の大きい曲だが、ここはそれが顕著である。
グリサンドは絶望的な嘆きを表しているようだ。まるで冴子自身がチャイコフスキーのように、叶わぬ恋に身を焦がしているように愁いを含んだ音色だった。




