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北野坂パレット~この街の色~  作者: うにおいくら
~夏休みの部活~
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私の音


「あんた、この音は卑怯や!」

と声を上げたのは瑞穂だった。その言葉を受けて琴葉も頷いていた。


「ピアニストの音やないやん」


「うん。だって私はヴァイオリンで生きるつもりやもん」


「え?」

場の空気が一瞬止まった。


「……そ、そうなん?」

 予想外の返事に瑞穂と忍は驚いて聞き返していたが、どこか腰が引けていた。そして鳩が豆鉄砲を喰らってもこんな間抜けな表情はしないだろうと思うぐらい、二人は口をポカンと開けていた。


「うん。今決めた。私はこれからこれで行く」

そう言うと僕の顔を見て

「亮ちゃん。ありがとう」

と冴子は満面の笑みを浮かべた。それは腹が立つくらい清々しい笑顔だった。


――こんな表情ができるんやったらもっと早くに出せ!――


と思っていたが

「え、あ……うん……」

と僕はあまり意味のない曖昧な返事で応えた。


 冴子に人前で「ありがとう」なんていわれた事はこれまで一度もなかったので頭の中が少し混乱していた。そして同時にその意味も計りかねていた。


 この冴子の「ありがとう」は何に対しての『ありがとう』なんだ? 今の伴奏? 普通ならそう聞こえる。でもなんだかそれではないような気がした。何故、僕はそんな事を思う? 


 瑞穂と忍だけでなく他の部員もまだ状況が呑み込めずにポカンと冴子を見つめていた。



 いつの間にか音楽室に美奈子先生も来ていた。その横には哲也もいた。彼も戻って来ていた……音楽室がら漏れ聞こえた冴子のヴァイオリンの音に驚いて慌てて戻ってきたという雰囲気だった。

先生は壁際で腕を組んで聞いていた。


 冴子はヴァイオリンを机の上に置いたケースに収めると、それを手に取り音楽室の入り口に向かって歩き出した。


 先生と哲也の前まで来ると立ち止まって彼の耳元で

「これが私の音や!」

とひとことだけ言った。哲也は目を見開いて驚いたような表情をして冴子を見た。


 冴子も暫く哲也を見ていたがそれ以上何も言わずに、そのまま入り口まで歩いて行った。そこで振り返って

「宏美! 行こ!」

と声を掛けた。


 宏美はじっと冴子を見ていた。それは今まで見た事のない険しい表情の宏美だった。

冴子に声を掛けられてハッとしような表情を見せると慌てて


「うん」

と返事をすると彼女もヴァイオリンケースを携えて入口へ向かった。


――何なんや? 今の表情は……宏美は何か知っとんか?――


僕は宏美のその険しい表情が意図するところを読み切れなかった。


 入り口から冴子の姿が消えた後、宏美がこちらを振り返ってお辞儀をしてから出て行った。

一瞬、宏美と目が合ったような気がした。


 先生はそれを見送ると腕組みを解いてピアノまで歩いてきた。

僕の傍まで来ると

「鈴原さん。ヴァイオリンに転向するって本気?」

と聞いてきた。


「はい。多分本気でしょう……」

と僕は応えた。僕にも聞かれても良く分からないのだが。


「今度のコンクールは?」


「それはピアノだったはずです」


「そう、じゃあ今度が鈴原さんのピアノの集大成っていう訳ね」


「まあ、そうなりますかねぇ……」

僕はそう応えながらもまだ冴子の言葉が信じられないでいた。

本当にピアノを辞めてヴァイオリンに転向するつもりか? まだ僕自身半信半疑だった。


 先生はさっきまで冴子が立っていた場所を見つめながら

「あのヴァイオリンを聞いて君はどうするのかな?」

と聞いてきた。


「え?」


先生は顔を上げると僕をじっと見て

「感情をストレートに乗っけてきたような音……あれは藤崎君に対するメッセージやないのかな?」

と聞いてきた。


「え?……はぁ……」

それは僕も何となく分かっていた。でも冴子のその感情が、何から生まれたのかが分からなかった。


「あなたのピアノは人を動かすのよね」

と先生はひとことだけ言うと振り返って

「さあ、皆さん! 午後の練習を始めましょう」

と他の部員に声を掛けた。


2024.05.29 加筆修正

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