Side-Rain 気分転換と入部届 その3(完)
先輩が待つ人とは。芽来はネタを見つけることができたのか。真田君の部活は決まるのか? 解決編です。
「ある、人?」
真田くんが首を傾げた。表情からは、全く当てはまらない様子。
「正確には恩人だな」
「それって、苗を救ってくれた人ってことですか?」
「そうだ」
先輩は席を立ち、窓際に置かれた苗のもとで屈んで、苗の様子を見ながら話し始めた。
「先週の木曜、つまりは園芸部の活動日だ。部活の後、たまたま苗を持ち帰り忘れてな。月曜、そう、おとといまで教室に放置してしまったんだ。
月曜の朝に部室に置き忘れたことに気付いて、急いで部室に向かったんだ。知っての通り、先週の金曜から日曜までの三日間は快晴だった。つまり、窓際の苗にもしっかりと日光が注いでいたはずだ。それにもかかわらず、苗は全くしおれていないどころか、みずみずしいままだったんだ。そのときの俺はたまたま運がよかったのだと思ってあまり気に留めず、翌日も部活だからと、ここに苗を置いて帰ったんだ。
そして、昨日の火曜日。放課後一番乗りでここに来たわけなんだが、苗とその周りを見ると、濡れてるんだよ、コレが。濡れてる様子がじょうろを使ったみたいに、パラパラと苗の周りに水滴が残っていたんだ。
明らかに誰かにかけられていた様子を見て、週末のことも思い出したんだ。あんな快晴だったのにしおれないわけがなかっただろうって。それで確信した、週末も誰かが水をかけてくれたんだって。
苗っていうものは、普通三日も水をやらなければ、簡単にしおれてしまうもんなんだよ。今後の発育にも影響する。危うく、しおれさせてしまうという危機的状況を救ってもらったってことだ。それで、お礼がしたくってな。今日は午後の授業をサボってここで恩人が来ないか張ってる」
先輩は外を見渡し、再び座席の方へと戻ってきた。
「これが、待ってる理由だ」
「そんなことがあったんですね。でも、感謝の気持ちを伝えたいからって、授業はサボっちゃいけないと思いますよ?」
思ったことが言葉に出るタイプなので、つい口に出してしまったが、やはりサボるのは良くない。
「仕方ないだろ。火曜に見たとき、苗に水をやって間もない様子だったから、水をかけたのは放課後から一時間前とか二時間前と推測できるわけだし。その時間帯に見張ってないと意味ない」
先輩が少し尖った口調で反論する。しかし、一時間から二時間前ならば、午後全部必要ない。
「時間が推測できたなら、午後全部休まなくても良いじゃないですか?」
あ、と先輩は声を上げる。
「言われてみれば確かにその通りだな。悪かった」
先輩は頭を下げた。
斜陽も消え始め、空に残した赤が、徐々に紫がかってきた。それでも、誰かが中庭に現れる気配はいっこうにない。先輩が部屋の照明をつける。
「で、先輩。心当たりとかないんですか?」
「そうだな。いろいろ考えてはみたんだが、なかなか候補が見つからなくてな。用務員のおじさんだったら、朝方にホースでまとめて中庭の木々に水撒くだろうから、象さんじょうろで撒いたように、柔らかな水はかけられないから当てはまらないかもな。真田君だっけ。君は誰だと思う?」
「たまたま剪定しに来た人が水をかけてくれたとかですかね。ただ分かることは、その人はやさしい人ってことぐらいです」
「残念ながら、その線は薄いな。中庭の剪定を二回に分けて行うはずはないし、剪定をしていたら木々の変化に気づくはずだ。残念ながら、剪定した様子はない。じゃあ、えっーと、君は?」
坂上先輩は私を指した。どうやら、私の方は名前を忘れられてしまったようだ。
「そうですね。まずは、条件に当てはまる人を考えてみましょう。生徒は授業を受けてますし、外から水なんてあげてれば、中庭からは丸見えですし、サボってるのは気付かれちゃいますよね。
日頃から中庭に出入りする人であれば、外からこの中の苗の様子なんて気づくかもしれませんね。先生や、先輩は否定している用務のおじさんみたいな大人で、中庭を頻繁に出入りする人だと考えるのが妥当じゃないですかね。用務のおじさんでも、ホースの先から少し水をすくってかけることもできますしね」
「そう考えれば、用務のおじさんも外せないか。それにしても、二回、もしくはそれ以上も水やりをしてくれたということは、中庭をよく見ている人間なんだろうな。だが、残念ながら君たちが入ってくる前から大人が中庭を出入りする様子は一度も無いんだ」
先輩はお手上げと言わんばかりに手を広げた。
「あ、そういえば思い出したんですけど、用務員さんって、基本平日に勤務してるじゃないですか。そう考えると、週末に水をやったと考えられないんじゃないですか?」
「確かに真田君の言うとおりだ。となると、休日も勤務している大人ってことか」
「用務員のおじさん以外で、中庭に詳しい人。そんな人、居るのかしら?」
「別に中庭に詳しくなくても、中庭をよく通る大人なら気づくのかもよ、雨乃さん」
「この辺りの部屋の大人なら、中庭を通っていて、気づいたという可能性が高そうだな。となると、保健室、校長室、相談室、印刷室ぐらいか。おのずと先生とか、関係しそうな大人は絞られてくるな」
「先輩、中庭を抜けた先がテニス場だから、テニス部の顧問や関係者も当てはまるんじゃないでしょうか。週末にもここを通るわけだろうし」
「なるほど」
しかし、私の思いついたテニス部関係者説、すっぐに真田君に打ち消される。
「でも、雨乃さんのは可能性として低いと思う。テニスをしに向かうのなら、顔はテニス場に向いているわけだし、教室の苗なんか気づけないと思う。仮に、苗を見つけたとしても、遠めにしおれそうだとかって超人的視力でも持ってない限り分からないって」
「そうだね。じゃあ、その線はアウトかぁ」
私の口からはぐうの音も出なかった。
「じゃあ、さっき上げた教室に関連する大人を挙げてみるか。保健室の香川先生、校長先生、相談室の先生は非常動だから除いて、印刷室は、事務員の大人だけど、多分中庭には出ないだろうし…」
「そんなことを言うと、保健室の先生も出ない気が…」
「そうなると必然的に校長先生になる訳ですけど、それだと短絡的過ぎじゃないですか?」
「そうは言われても…。確かに校長先生なら、中庭を散歩する可能性は高いかもしれないけど、校長先生を除けばもう当てが無い。
「そうだな…」
全員の口の動きが止まる。どうやら三人ではこのくらいが限界のようだ。
静まり返った教室。すると、がらがらがらとドアが開く。
「あれ、何か今日はにぎやかですね。あ、めくるちゃんに真田君!もしかして二人とも入部希望!?」
そこにはクラスメイトの三橋絵里〈みはし えり〉立っていた。そういえば園芸部員だって言っていたことを私は思い出した。
「絵里ちゃん聞いてよ、坂上先輩の苗が…」
私は先輩から聞いた話を一通り絵里ちゃんに話した。
「どうだ、三橋。何か知ってないか?」先輩は絵里ちゃんの顔を覗き込むようにみた。
私達三人の視線は絵里ちゃんに集まる。すると、絵里ちゃんはニヤリと口元を歪ませ、驚くべき言葉を発した。
「それ、私です!」
堂々と胸を張り、胸元に手を当てて絵里ちゃんは言った。
「え?」真田君はきょとんとする。
「え!?三橋なのか!?」先輩は驚き、揺らしていた椅子ごと転げ落ちる。「痛って!」
「だ、大丈夫ですか、先輩!?それにしても、絵里ちゃん、それホントなの?」
「うん。金曜日の放課後の帰り際に、この教室に忘れ物しちゃってたまたま部室に寄ったんだけど、先輩の育ててるキュウリの苗がぽつんと置かれてたの。先輩持ち帰るの忘れたんだなって思って、私が水遣りとかしようって持ち帰ったの。先輩休日には学校来た事ないし、このままじゃ枯らしちゃうと思ってね。で、月曜の朝早く来ていつもの場所に戻しておいたってわけ」
「昨日のも三橋がやってくれたのか?」
椅子と体を起こしつつ、坂上先輩が絵里ちゃんに尋ねる。
「はい。ここ、火曜は選択授業で使ってるので。三時間目のときだったんですけど、置いてあったので、授業終わりに水の湿り具合確認したら、乾いていたんで、確か玄関口にじょうろ持ってきてたんで、中庭の蛇口から水を汲んでぱぱっと水かけておいたんです」
「なるほど、てっきり授業時間外だから大人がやったものだと思い込んでたけど、この教室を使ってる生徒だったのか。思いもしなかったよ」
「この教室、授業で使われる回数は少ないクラスですし、前提条件にすら考えてませんでした」
「とりあえず、三橋。ありがとな、世話してくれて」
「どういたしまして。でも、先輩。園芸部員が、苗の持ち帰り忘れたり、水遣り放棄するのは部員としてやっちゃダメですよ」
「す、すまない」後輩からの注意に坂上先輩も心苦しいようで、ただ平謝りだった。
「なんか入りたてのはずなのにしっかりしてるね、絵里ちゃんは。部長みたい」
「そ、そんな事無いって」
笑いが起きる。
気づけば時計は午後六時をまわり、片付けを済ませたテニス部員が続々と通路口へとあら荒れ始めていた。
「あ、もうこんな時間」
時間が過ぎるのは早いもので、教室に入ってから一時間近く経とうとしていた。
「さて、そろそろ下校時間だな」坂上先輩はすっかり飴の無くなってしまった棒をゴミ箱に捨て、苗を持つ。「今日はコレを忘れずにな」
「そうですね。ちゃんと持ち帰ってくださいね」
「ところで、今日はなんで絵里ちゃんは部室に来たの?」
「私? 先輩がまた持っていくのを忘れたら持って行こうかなと思ったのがひとつ。それと、夕方になってから風も強くなってきたし、選択教室で使ってた時に窓が開けっ放しだったから、風で倒れるかもって思っちゃったから、一応確認に来たの」
そう言えば、今日部室に入った時に風がよく通っていたなと思ってたけど、風が強かったからだったんだ。室内に居たし、なんだかんだ中庭で校舎に囲まれていたから木も揺れていなかったので、
気付かなかった。
「お気遣いはありがたかったが、中庭は風通しが良くなかったみだいだな」
少し、感謝と優しさを含んでいる笑みを先輩は絵里ちゃんに向けた。
「余計なお世話だったみたいですね。でも、先輩がちゃんと気づいてたようなので、よかったです」
絵里ちゃんも笑みを返した。
「そう言われると、なんだか痛いものがあるが」
「次からは気をつけてくださいね」
「ああ。そうするよ」
そうだ、いい事思いついた。
「坂上先輩、私、新聞部なんですけど、このことを次の六月号の記事にしても良いですか?」
「おい、羞恥を晒せっていうのか」先輩は苦笑いする。
「いいえ、心温まる話としてですよ。題して〈園芸部の絆〉。もちろん文章が出来上がったら先輩に確認取りますから」
「心温まる話か…。ま、名前を伏せてくれるのであれば」
「ありがとうございます! ちょうどネタに困ってたので」
「よかったね、めくるちゃん」
「うん。じゃあ、私たちもこの辺で。じゃあ、行こうか、真田君」
「ちょっと待って」真田君がポケットから紙を取り出す。それは、調査書だった。そして、第一希望の欄に〈園芸部〉とさらさらと流れるように書いた。真田君、こんなに綺麗な字を書くんだ。その堂々とした文字からは彼の意思がはっきりと伺えた。その文字を見た瞬間、絵里ちゃんは歓喜乱舞する。
「うそー!?真田君入ってくれるの!?うれしー!」真田君の手を取り、何度も振り回すように握手する。「面白くなってきたー!」
私は絵里ちゃんの変貌に苦笑いを浮かべるが、何はともあれ真田君の部活が決まったことにほっと胸をなでおろした。
「よし、新たな部員が入ったことでめでたしめでたし」
「じゃあ、詳細とか教えないとね。今日は一緒に帰ろっか」
「うん。よろしくね、三橋さん」
この後の予定も決まったようなので、私も部室に帰ろうと席を立つ。
「じゃあ、私はこの辺で。部室に戻るよ」
「雨乃さん、ありがと」真田君は、大げさなアクションはしなかったが、小さく微笑むその表情には偽りは無かった。
「どういたしまして。それじゃあお先に失礼します、絵里ちゃん、坂上先輩」
「うん。また明日ね」
「ああ。今日はありがとうな。また来てくれ、雨乃さん」
なんだ、ちゃんと覚えてくれてたんじゃないですか。
「はい」
私は微笑み、教室を出た。
無事に記事の内容も決まったことだし、早速、今晩から文章作成に入ろう。今まであれほど悩み、重々しかった気持ちが、急に何処かへ飛んでいってしまった。今は早く作りたくて仕方がない。
部室へと戻る最中に生徒玄関へと向かうたくさんの生徒とすれ違う。この過ぎていく一人ひとりに放課後があって、それぞれの出来事があったと考えると、なんだかワクワクしてきた。今度は、他の人の放課後の物語にもスポットを当ててみたいかも。
やる気が出てきたせいか、部室へと戻る三階までの階段は、一段とばしで、ぴょんぴょんぴょんと登っていた。
ようやく私の第一歩が始まる。真田くんもそう。行き詰まった時は、気分転換が大事なんだなと再認識できた一日だったなと振り返って思う。
さて、記事の書き出しは何にしようかな。
これにて、Side-Rain 気分転換と入部届 終了です。真田君は、この先も出てくることになるんじゃないでしょうか。特にウサギを連れているところは見てみたいものです。
次回より 「Side-Black 先輩のお使い」スタートです。雨乃が部室を離れていた時間、黒川に起こった出来事とは?