鳴き声とともに。
今回の主人公は、雨乃 芽来〈あまの めくる〉。模試当日の朝、クラスメイト木村と遭遇し、彼女の白い円鉛筆を要求されることから物語は始まります。
鳥の鳴き声が響き渡るさわやかな朝だ。昨夜は早くに就寝したこともあり、すっきりとした目覚めだ。今日は定期模試日。私はいつもより早めに登校し、ひとり<学習室1>で模試対策に取り掛かっていた。
この日に向け、毎日コツコツと復習をしてきた。とはいえ、不安は拭えず、苦手な問題の解き直しをしている。問題が分からないわけではない、単に自信がないだけだ。しかしながら、普段からコツコツ勉強をしないような人たちは、徹夜で復習をして眼にクマを作り、私より浮かない表情を浮かべて教室に姿を現すのだろうと考えると、まだマシなのだろう。その点では、心底やってきてよかったなと思っている。
本日一科目の英語の復習が終わった。続いて、二科目目の数学の復習に取り掛かろうとカバンから問題集を取り出そうとしているそのとき、声が掛かった。
「お、雨乃じゃん。早いな」
教室の入り口には、クラスメイトの木村君がバッグを背負って立っていた。顔にはクマがなく、いつもの優しい表情をみせている。
「あ、木村君。おはよう。木村君も早いね。勉強?」
「いやいや」木村君は大げさに右手を左右に振り、否定する。「俺、勉強嫌いだし。今日は部活の当番でよ、生物室のカメとかに餌やってたんだ」
ああ、そういえば、と私は思い出す。確か、木村君は生物部に入っていると聞いたことがあった。主な活動として、動物の世話、近隣の自然公園などのイベントに参加しているらしい。どうにも、うちの学校は部活動が多すぎる。あまりの多さに、ひとつひとつの部活動がうろ覚えだ。
「それで朝早いんだ。で、今日は模試だけど、木村君は大丈夫なの?」
「…俺が大丈夫なように見えるか?」
木村君は開いた両手をくいっと上げ、自嘲する。
「うーん…見えない、ね」
私は口元をやんわり開き、苦笑いを浮かべた。
「だろ。だから、マーク模試だし、最後は鉛筆転がそうかなって考えてるよ」
コロコロとペン転がしのスローの真似をした。
「神頼みって事ね・・・」
「いや、神には頼んでないな。俺、神様信じてないし。鉛筆様頼み、なんてな」
アメリカンジョークに近い、はははという乾いた笑い。
「そのまんまじゃないの」
私の口元だけが、なおも横に開いた。
ふと、鉛筆という単語から、私は思い出したことがあった。
「ねぇ、聞いてよ木村君。マーク模試だから、鉛筆用意しないといけないじゃない? それで昨日ね、自分の部屋の鉛筆探してたんだけどね、コレ見てよ」
私はペンケースから大量の鉛筆を机に広げた。
「お、凄いな。そんなにあったのか」
「うん。いつから持ってたのか分からないんだけどね。中学校のときからシャーペン使ってたから、小学校のときのなのかな」
机の上に広げた鉛筆はみな白くコーティングされ、一般的な六角形の鉛筆とは異なり、円柱型をかたどっている。数えると一ダース近くあり、試験ではこんなにも使わない。そうは思ったのだけど、折角の機会だからと、すべて削って小学生のときに使っていた鉛筆用キャップを掛けて持ってきたのだ。
「珍しいな。六角形じゃないのを大量に持ってるなんて」
「私もどうして持ってるのか忘れたけど、今思えば不思議ね。むしろ、六角形の鉛筆のほうが全然なかったし」
「ま、これから”嫌いな”模試がたくさんあることだし、使ってやればいいんじゃないか?」
自嘲なのか。木村君の思いが言葉に現れた。
「そうね。当分困らさそう」
「そうだ」と、木村君が何かを思い出したようで、入り口の壁に寄りかかっていた木村君がこっちに歩み寄ってきた。鉛筆をひとつ摘み上げ、触感や、見た目をくるくると回しながら確かめている。
「どうしたの、この鉛筆、何か変、かな?」
「いいや、そんなことはないよ。話し変わるけど、雨乃。ひとつお願いしてもいいか?」
「…お願い?」
「ああ。もしもでいいんだけど、今日のテストの間で、鉛筆の芯が折れたら、折れた鉛筆借りてもいいか?」
「別にいいけど、どうしてまた折れた鉛筆を貸して欲しいの? それに、鉛筆なら、木村君も持ってるんでしょ? 貸す必要ないんじゃない?」
折れた鉛筆じゃ文字も書けるわけじゃないし。どうしてわざわざ折れた鉛筆がいいのだろうか。私は怪しむ。
「まぁ待て。もしもの話だ。折れなきゃ貸してくれなくていいさ。大したことじゃないし」
「なによ、教えてくれたっていいじゃない」
私の言葉に口元を緩め、木村君は持っていた鉛筆をそっと机に置いた。
「内緒。ホント、大したことじゃないし」教室の戸のほうへと、身体を翻す。「さて、長話をしてしまったな。勉強、邪魔して悪かったな。また後で」
そう木村君は言うと、一方的に教室を去っていった。
チャイムの合図とともに、一科目目の英語が終了し、教室は一時、緊張状態から開放される。教室からはため息、喜びの声といった、一喜一憂の様相があちらこちらのコロニーから響き渡ってくる。
私はというと、模試の問題を解いている最中も、今朝、木村君から受けた言葉の意図を頭の隅で考えていた。折れた鉛筆を貸して欲しいという木村君の頼みは、不可思議極まりないものだ。そして、その”模試中に別のことに意識する”という行為が、この”手のひらに握られたもの”を生み出したのだった。もしかしたら、心のどこかでそうなることを望んでいたのかもしれない。
私は、鉛筆自体について考えてみた。一般的に、鉛筆とは、書くために用いる文房具であり、深緑でコーティングされ、六角柱となっているものが使われることが多い。一方で、私の持っている鉛筆としては、性能としては一般的なもの代わりがないが、異なっている点として、白くコーティングされており、円柱状の形をしている。前者と後者に生まれる差として、前者は、木村君が言ったように(実際に使ったかは定かではないが)六面があることを利用し、最大六択の”運試し”を行うことが出来るが、後者は角が無い為、転がるということぐらいだ。この”差”は今回の謎に影響するのだろうか。それとも、鉛筆の他の性能、機能を使いたいということなのだろうか。そして、”折れている”ということが必要条件だが、それは一体何故なのか。私には見当もつかない。
私は考察をほどほどにし、芯の折れた鉛筆を握り、木村君の元へと向かった。
「はい。まさか一発目の模試でこうなるとは思ってなかったけど、折れちゃったから。はい」
木村君に鉛筆を差し出す。
「お、ホントに折れちゃったか。確かに、借りるぞ。返すのは、明日でもいいか? 明日も模試あるし」
「うん、分かった。けどさ。こんなもの、何に使うの? たかが丸いところが違うだけの鉛筆じゃない」
「まぁ、鉛筆自体はあんまり関係ないし、こだわりはないというか。丸ければ、なお良しというか、ホントにその程度の理由。それに、雨乃いっぱい持ってるし、一本ぐらい借りて大丈夫だろ?」
「答えになってないんだけど。目的は?」
私は、少しムッとした表情を浮かべ、不満を表す。
「わかったわかった。今日の模試が終わったら言うって。それまでは秘密。その方が面白いだろ?」
秘密を出し渋る木村君はどこか楽しそうだけれども、私は、今、知りたいのだ。それだけで、少なくとも、このあとの模試の成績に僅かながら影響を与える可能性があるのだから。
「今教えてもらったほうが考えなくて済むし、模試に集中できるんですけど」
私は白々しく、そして先ほどよりも目を細め、木村君を睨むように見つめると、木村君は少し狼狽する。しかし、
「…ま、まあいいじゃないか。教えるって言ってるんだし、な?」
腑に落ちない回答をされる。時を同じくして、無情にも次の試験時間を告げるチャイムが鳴り響いた。
「ほ、ほらチャイム鳴ったし、席つきなって」
「もー」
仕方なく、私は自分の座席へと帰る。終始、木村君にペースを握られていることが少し悔しかったけど、気持ちを切り替え、テストに望むことにする。そういえば、テスト直前なのに、問題集に目を通せなかったな。まぁ、いっか。前からちゃんと復習してきたし。
「カラン、カラン、カラカラ…」
教室に鉛筆が落下した音が響き渡る。音の響き方がスーッと消えたことから、丸型の鉛筆と推測できる。…丸型? イヤな予感がする。
「先生」
先生を呼ぶその声は、木村君だった。確か、木村君は六角中の鉛筆しかもってないと言っていた。つまり、落とした鉛筆は…。余計な考えが頭をグルグルと回り始めた。まさか、カンニングじゃ…。そこからは、計算を解くのに集中できず、何度も途中計算ミスを繰り返し、イライラが募った。
そこからは少し、怒りに似た感情が私の頭の中を支配していた。初日のテストが終わり、クラスメイトそれぞれが教室を後にするのを待ち、木村君の元へと駆け寄る。
「木村君、まさかとは思うけど、カンニング…してないよね?」
自分でもわかるほどに木村君を強く睨みつけた。
「は!? 何言ってんだよ、雨乃? 確かに、雨乃の鉛筆を落としたのは認めるし、俺、頭悪いけど、そこまで落ちぶれてねーよ」
強い否定が声の裏返りから読み取れた。しかし、若干の焦りも感じ取れた。
「ホントに?」
私は自分でもどんどん顔が歪んでいくのがよく分かった。テスト勉強を真面目にやってきた身として、不正行為は許せないのだ。
「ホ、ホントだって。確かに、何で鉛筆が必要か教えていなかったけど、そこまで俺に対して疑心暗鬼にならなくてもいいじゃないか!」
「…じゃあ、早く答えを見せてよ」
自分自身の怒りが冷徹へ変化する様子がわかる。私はまだ、木村君が信用できずにいた。
「わかった、わかった。じゃあ、早速”使い”に行くから。ついてきてくれ」そう言うと、木村君は荷物をまとめ、席を立った「見たらハッキリ分かるって、俺がそんな人間じゃないって事をさ」
私は木村君の後をついていった。しばらく歩くと、朝、勉強に使っていた、<学習室1>に差し掛かる。それでも歩みを止めない。となると、この先は…。
「もしかして、生物室に向かっているの?」
「ああ。そうだよ。ただ、正確には生物準備室だ」
「なんでまたそんなところに」
「そう慌てるなって。答えはすぐそこだ」
生物準備室のドアを開けると、中には、水槽、虫かご、鳥かご、植木鉢などが置かれており、小さな動物園、というような印象を受けた。この中に答えがあるのだろうか。
「なんか、餌やり当番やってるって聞いたけど、どっちかと言うと飼育員に近いわね」
「確かにな。規模が少し大きめだしな」
そう言う木村君は、ティッシュペーパーの箱と、セロハンテープを持ってきた。
「これを、こうやって…」折れた鉛筆の周りに、何十にもティッシュペーパーを巻き、その後、両端をティッシュペーパーが取れないように、セロハンテープで止めた。「よし、できた」
「これをどうするの?」
「こっち来てくれ」私は言われるがまま、木村君の近くへ行く。「眼を瞑って」
眼を瞑ると、金属のかすれる音とともに、鳥の鳴き声がする。鳥かごを開けたのだろうか。そして、しばらくガサゴソと音がした後、ガチャンと檻?を閉める音がした。
「眼、あけていいよ。ジャーン!」
そこには、一匹の小さなインコ、そして、先ほどのティッシュペーパーが巻かれた鉛筆が、インコの止まり木となっていた。
「今朝、餌やりに来たら、こいつの止まり木が壊れてたんだよ。なんだか地面にちょこんと座ってて、可愛そうだったんだ。だから、今日の帰りに、ホームセンターで、換えの止まり木をかってこようかと思ってたんだけど、明日の朝まで、緊急用の止まり木があればいいなって思ってさ。何か止まれそうなほどよい大きさのものがないかなって。そしたら、ちょうど雨乃の鉛筆がいい大きさだったんだ。たくさん持ってきてたし。丸型鉛筆ならば、六角鉛筆のように角がないから、インコが止まりやすいだろ。芯が折れたら一本借りて、ティッシュペーパーを巻いて付けようと思ったんだ。もちろん、鉛筆が傷つかないようにティッシュを巻いて」
「なるほど、そう言うことだったのね。でも、それだったら喜んで貸したのに」
「ま、使えるものをわざわざ使えなくするのもアレだったし、なくても何とかなると思ってたから。…どうだ、コレでカンニング疑惑は晴れたか?」
不安そうに、木村君は私の顔を覗き見た。
そんな顔されたら、ちょっと悪戯したくなるじゃない。
「これとカンニングは別よ。直接的に繋がってないもの」
私は内心笑いつつも、怖い顔を無理やり、作り木村君に向ける。
「そんなぁ」
木村君は困ったような表情を浮かべた。よし、コレでおあいこ、かな。
「冗談よ」
私は膨らました頬を解いて、木村君に微笑んだ。
こんな鳥想いな木村君がそんなことする訳ないじゃない。インコに、よかったな、と囁く木村君を見て、私は朝とは違って、顔全体で柔らかい笑顔を浮かべていた。返事をするように、インコの鳴き声が響き渡った。
「疑ってゴメンね」
自然と、謝罪の言葉が口から出た。もやもやした感情もいつの間にか消えていた。
「いや、俺も悪かったよ。内緒にしてて」
「ま、お互い様かしらね」
お互いに微笑む。
「それじゃ、俺はコイツの止まり木を買いに行くとするかな」
「そうね、私も帰ろうかしら」
「模試初日も無事に終わったし、気分よく帰れるぜ」
「明日のは大丈夫なの?」
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず。このあと、このあと空いてるだろ。明日の国語教えてくれよ。ピンチだからさ」
木村君は私に手を合わせる。
「まぁ、図々しい」
「飛ぶ鳥の献立、よりもいいだろ。鉛筆様使わないで勉強するんだからさ。ね、雨乃様!」
木村君はしゃがんで、私の前で拍手をパン、パンと打った。よくもまぁ、鳥に関してだけはなんでも詳しいからって、難しい言葉を使って説得力をあげようとしちゃって。まぁ、そのくらい手伝ってあげてもいいか。
「…仕方ないね。駅前の図書館でいい?」
「ありがと!助かる!」
「じゃ、行くか」
最後はまた木村君にうまく誘導されてしまったけれども、何だか悪い気はしない。木村君のおかげで、今日は謎解きできたり、優しさを垣間見れて楽しかったわけだし。木村君風に言えば、目渡る鳥ってやつかな。
私達は生物準備室を出る。校庭は夕焼けに眩く染まっていた。先に歩いていく木村君の背中に、私は願う。彼に鶴の恩返しならぬ、オウムの恩返しがあればいいな、と。
※作中の鳥のことわざについて
・窮鳥懐に入れば猟師も殺さず …逃げ場を失った人間が助けを求めに来たら、どんな事情だろうと助けるもの。
・飛ぶ鳥の献立 …そのときになってみないとあてにならないもののたとえ。
・目渡る鳥 …物事の過ぎ行くことが非常に早いこと。
連載となっていますが、基本的に「その◯」とついていない限りは、一話完結の短編スタイルを取っています。