勇者は立てた。①
「…さすがに夢オチじゃなかったか」
誰もいない部屋で呟きが落とされる。
部屋の中には、値段を考えるのが恐ろしくなる陶器の花瓶や庶民には到底分からない芸術的と思われる絵画。そして、柔らか過ぎるベッド。
夢の中でも眠りにつくということはたまにあるが、これは違う。というか、夢なら夢で嫌だ。
(こんな疲れる夢があってたまるか…)
風呂に入った後も散々だった。
まず着替えはもちろんすべて《・・・》男物で気まずい思いをしながら部屋に向かい、その途中何故か神官らしき男達に絡まれかなり面倒なことになった。
よろよろとおぼつかない足取りで部屋に戻り、その戻った途端フェインが押しかけてきていきなり抱きしめられた。
ただ、はじめに抱きしめられた時よりも抵抗感は薄れていた。それは部屋に戻る途中に聞いた男達の話が原因だろう。
そのおかげで無事に着替えの話も出来た。そちらはなにやら適役がいるらしいのでとりあえず保留になったのだが、適役って何。聞きたかったが怖かった。聞けなかった。
そんなこんなだが、琉生は自分がフェインに心を許しはじめていることに気づいていた。
結局セクハラまされたので脛を思いっきり蹴ってしまったが。あの体勢でセンターを蹴らなかっただけ自分の警戒心が薄れていることが分かる。
(まだ起きてなさそうだな)
琉生は身体を起こして壁越しに隣の部屋を見た。魔女というのは夜行性なイメージがある。まだまだ寝ていることだろう。
ベッドから起き上がって軽くのびをする。特に異常の感じない身体にほっとしつつ、いつもしている体操を始めた。
異世界に渡っていても、身体にしみこんだ習慣というのは発揮されるらしい。まるでこれから朝練に向かうような時間帯に起きてしまったし、起きた後すぐに体を動かしても何の問題もない。
「……暇だ」
だからってこれから朝練など始まらない。この部屋で稽古をするに壊してはいけない物が多すぎる。
うーん、と頭を抱える。
しかししばらくした後、勇者の部屋は誰もいなくなっていた。
神殿というだけあって、どこか清廉な空気が流れている気がする。単純に早朝だからかもしれないが。
初めはふらふらと目的も無く散策していた琉生だが、今はこの建物で一番初めに行った所に向かっている。つまり、自分が召還された場所だ。
「あれ? 聖女様?」
広間には先客が居た。翡翠色の短い髪に赤い髪飾りを付けているのは、治癒の力を持つ少女アリアだ。
彼女は神を模したと思われる女性の像に向かって熱心に祈りを捧げている。
その横顔は真剣そのもので、自分が来ている事にも気づいていなさそうだった。
そして彼女のやや後ろに立つのは彼女の護衛騎士ルーヴェルだ。彼はこちらにちゃんと気づいているらしく手を振ってきた。
振りかえしてから足音を立てないように近づく。
「日課ですか?」
「いや、どっちかと言うと義務だ」
「聖女故、ってやつですか」
「ああ」
なるほど、と思って祈り続ける聖女の小さな背を見る。
自分が勇者という役目を持ってこちらに来たように、彼女にも使命があるのだ。
(頑張ろうね)
勇者として自分が何をすべきで何をしなくてはいけないのか、まだそんな事も分からない。
だがそれでも、彼女の真摯な姿に突き動かされるようにそう思った。
祈り終えた聖女は顔を上げる。
さて、部屋に帰ろう。毎朝つきあって貰っている護衛騎士にそう促そうと後ろを振り返ったら、自分のあこがれの人物がほほえみを浮かべてたたずんでいた。
「ゆゆゆ、勇者様っ!?」
「おはよう。驚かせてごめんね?」
苦笑して謝る彼は本当に素敵だ。彼が笑うとさわやかな風が吹くのは一体どういう訳なのだろう。聖女は顔が熱くなるのを感じつつ首を横に振った。
「とんでもないですっ! ゆ、勇者様はどうしてここに?」
勇者は口を開いたが言葉を出さず、考えるように首を捻ってからにっこりと笑った。
「私の名前は、琉生」
「る、琉生様」
「様もいらないよ。君…貴女のお名前は?」
「あ、アリアですっ!」
「アリアちゃんね」
嬉しすぎて噛んでしまった。まさか勇者に名前を聞かれるとは思わなかった。
(まぁ、知ってるんだけど)
しかし彼女自身に名を聞くのはこれが初めてだ。これでやっと聖女様なんておかしな呼び方しなくても済む。ただちょっと気になるのが、ちゃん付けをするか否かだ。
試しに付けてみたが特に反応はない。構わないのだろうか。
代わりに保護者の反応を伺うことにした。ルーヴェルの方へ顔を向ける。
(わぁ…)
目が合ってもすぐにそらされ、眉間に皺がよっている。なにやらとても複雑そうな顔だ。
あえて台詞を付けるとしたら「俺の目の前でやるな」だろうか。もしくは「妹が口説かれている」だろうか。そんなつもりはまったくない。
「散歩してただけなので、私は部屋に戻りますね」
ため息を堪えて、どちらとなく告げる。
このままではもっと墓穴を掘りそうだったので部屋に戻ることにした。
「あ、あのゆう……琉生さん! 頑張りましょうねっ!」
「…そうだね」
一生懸命な彼女がとても微笑ましいかった。これからもずっとそのスタンスでいてもらえたら良い。心底そう思った琉生だった。
部屋に戻る廊下で、先ほどの会話を反芻していた琉生は不意に笑いがこみ上げてきた。
なんだか先ほどの会話は、勇者もののゲームにありそうなイベントだ。
(頑張るヒロインと最後に結ばれるタイプの…………)
聖女エンド、と妹はよく言っていた。メジャーな物語だと勇者である主人公は仲間の誰かと添い遂げる。それは治癒魔法を使う聖女だったり女騎士だったり、そして故郷の国の王女だったり。
そして、添い遂げる相手とはどこか特別なイベントが発生する。フラグ、というらしい。
(……………)
琉生はしばらく廊下のど真ん中で硬直していた後、何事も無かったように部屋に戻っていった。
今朝の出来事は全部無かったことにしよう。そう固く誓ったが、もはや手遅れな気がするとも自分で思った。