勇者は懐かれた
「…とにかく、セクハラ禁止ね」
「拒否するわ」
魔女、フェインティナは長いすに横たわりながらにっこりと笑みを浮かべた。女性だと思っていた頃ならともかく、今はうさんくささしか感じない。
フェインティナが男だと発覚した瞬間、琉生は自分の無防備さを反省した。そして、自分から抱きついてしまったことは、早々に水に流すことにした。
気を抜けばすぐにでも自分を抱きしめてセクハラしようとするフェインから距離を保ちつつ、琉生はあてがわれた部屋をくるくると歩き回っていた。
あからさまに避けられているフェインは、面白くなさそうに頬をふくらませた。
「素直に言うんじゃなかったわ。せめてあと一週間くらいは楽しめば良かった」
「あのね…。いい加減にしないと怒るよ? ていうか殴るよ?」
そもそも、セクハラする理由が理由だった。フェインに問うと、あっさりと答えてくれた。さわり心地が自分の好みだったのだと。そのスキンシップに自分が甘えてしまっていたと思うと、手が拳の形を作っても仕方ないと思う。
先ほどまで好きに触れたのに、今では近寄るのも許してくれない。琉生の手の動きを見ながら、フェインは自らの浅慮さを後悔していた。
だが不意にほほえむと、長いすの上で頬杖をつく。その仕草はとても女性的で、そんなときは女性にしか見えない。だが騙されるな。これはまがうことなきセクハラ魔だ!
「切り替えが早いわねぇ」
「そう?」
「ええ。不安は、解けたかしら?」
手のひらを返したような態度の自分。呆れられたと思ったら、心配されていた。足がぴたりと止まり、上目遣いでこちらを見るフェインを見返した。
そうだ。自分は何も、ただの触れ合いに安堵を覚えたのではない。自らの理解者を得たからだ。自分の話を聞いてくれて、肯定してくれた唯一の人。
「ありがと。フェインのおかげだよ」
「どういたしまして。琉生」
はにかんだ琉生を、フェインはまぶしそうに目を細めて見つめた。
琉生は一通り部屋を探索し終えた。なかなか広いこの部屋は、一人用とは思えない。自分だけで使うのは気が引けるが、この男の前で言えるわけがなかった。「だったら一緒に使う?」という声が今にも聞こえそうだ。そんなことしたらどうなるか、さすがの琉生でもそれくらいは分かった。
休憩しようとこちらに向かってくる琉生に気づいてフェインは体を起こした。そして、空いた自分の隣をぽんぽんと叩く。その意味は分かったが、琉生は無視した。テーブルを挟んだ向かいの椅子に座ろうと歩き出し、その腕が急に引っ張られ体勢を崩す。座り込んだのは恐ろしいことにフェインの膝の上だった。
慌てて逃げだそうとするが、すぐに腹に手が回される。
「ちょ、だから止めてって!」
「さっきは黙認してたじゃない」
すりすりと後頭部に何かがすりよる。何か、なんて。フェインの頭以外ありえない。
「同性ならともかく、君男なんでしょ?」
「そうよー。やーらかいもんないでしょ?」
もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないか。眉間にしわがよるのを自覚しながら、琉生は問答無用に肘鉄をかました。
ぐ、と耳元で潜んだ声が聞こえた。ちょっとやり過ぎたかな、と思ったが拘束がとれないので効果はあまりなかったようだ。
「ねぇ反省してんの?」
「するわけないでしょー? びっくりはしたけど」
「……離してくれない?」
「いや」
「もー、何なの。この世界の人は私の言葉を聞く気が無いのが通常運転なの」
ぐちぐちと未だ離してくれない腕をつねっていると、不意にその手がうごめいた。前が空いたジャージから手を入れられ、Tシャツの上を這い回る。
「えっ、ちょっ…止めてって! 何、ホント何なの!?」
「あんなのと一括りにしないでほしいわ」
「わか、わかったから! 揉むな!」
「いーやーよー」
心底楽しそうな声に、ぶちりと琉生のどこかが鳴った。
二度目の肘鉄に加減は無かった。するりと力が抜けたフェインの腕から抜け出す。さっさと向かいのソファに移って、琉生はずっと聞きたかったことを聞いた。
「ねぇ、何でフェインは私が女だって分かるの?」
「……一目で分かったわ。私が魔女だから」
ソファでうつぶせになるフェインの声は涙声だった。今度からこれくらいの力を込めよう。そのくらいしないとこの人はまったく反省しない。
「魔女だと、分かるの?」
「魔王の呪いだからね。魔女には効かないの」
魔女魔女ってあんた男だろとツッコミたかったが、深い事情がありそうなため何も言わなかった。しかし、魔王と呪いの単語の方には過剰なまでに反応した。
「呪われるの早っ! ていうか意味が分からん!」
「嫌がらせか、精神的にダメージを食らわせるのが目的か」
「後者ならまだ立ち向かえるけど前者だったら困るなぁ。効いてても効いて無くても続くよね、きっと…」
「どっちにしろ、気にしないのが一番じゃないかしら。さすがに権力振りかざすことはしないだろうし、もし夜這いされても返り討ちにできるでしょ?」
「夜這いされるの!?」
「してもおかしくないわ。あの子達見てると」
琉生は王女と聖女を頭に思い浮かべた。聖女の方はたびたび冷静で合理的な行動をしてくれたが、王女の方はまったく信用ならない。
積極的な上に感情で動きそうな雰囲気だ。
「そういえばぐりぐりしてたもんなぁ…」
「されてたわね」
胸に顔を埋めても、それに対して何の疑問も抱いていなかった。あの子の前で全裸になっても、あの子はまったく気にしないんじゃないか?
既成事実はあいにく作れないが、そもそも性的な意図を持って襲われるなんて、それだけで精神的にダメージを受ける。異性だったら自分が死んだとしても必死に抵抗するが、同性の場合あまり強く出れずに好き勝手されてしまうかもしれない。今日のように。
気をつけよう。例え同性だとしても、気は抜かない。
うん、と力強く頷いた琉生は今まさに気を抜いていた。いつのまにか隣に座っていたフェインに気づかないほど。
「女の子だからまだ許せるわ」
「わっ」
いつのまにか隣にいたフェインが静かに呟いた。驚いた琉生を気にせず続ける。けど、と。呟いた声は今まで聞いていた物と違い、低い男の物だった。美形は美声なんだな、と変なとこに感心してしまった。
「男だったら…」
想像したのかフェインの顔が凶悪に歪んだ。ひっと、琉生の恐怖に引きつる声が響く。
「ブッコロス」
「駄目でしょ!?」
簡潔すぎる殺意に思わずツッコんだ。フェインはそれには答えず、女性の声でころころと笑った。
「触って良いのは私だけよ」
「いや…そうじゃ…、ってちょっ! この馬鹿、離せっ!!」
その言葉に何か言い返そうとした瞬間の出来事だった。聖女と同じように、しかし明確な欲を持って琉生の胸に顔を埋めたフェインに、本日三度目の肘鉄が下った。