勇者は揉まれた
(どういうこっちゃ!)
勇者、琉生は心の中で盛大に困って、そして怒っていた。最初はただ驚いたが、抱きついてお互いの胸が押しつぶされているこの状況でも自分を潤んだ瞳で見上げる王女に、確信した。
完全に男と間違えられている、と。
それに気づいた瞬間、できるだけ穏やかに言いたかったのに失敗した。失敗するだろ!
思い切り叫んだため、あまり強くない肺がダメージを受けた。軽く息切れしそうになる。そんな琉生の努力はまったく実らなかった。
「そなたはどうみても男じゃ」
「うそよ…! どうしてそんなうそをつくの…」
「………きっと王女がお嫌いだったのよ。あんなこと言うくらい結婚が許せなかったんだわ」
「勇者だからって生意気過ぎやしないか。いくら嫌だからってあんな適当な嘘をつくなんて…」
色々な声に、琉生は泣きそうになった。
(何でそうなるっ! 私はどっからどうみたって女だよ! あと王女様は可愛いと思うよ!)
最後に本音をつけたしつつ、だからといって嫁にもらうわけにもいかなかった。頭を抱えてしゃがみ込んだ。
学校の帰り道、いきなり目の前が真っ暗になりおや?と思ったらここにいた。目の前にはどうみても王様な感じのオジさんが王座にしか見えない派手な椅子に座っていて、琉生は激しく喜んだ。
(トリップとか! まさか自分がそんな体験できるなんて…)
言葉の問題も無く、良識がありそうな王の話を聞く。魔王を倒さなければいけない自分は、どうやらチート能力が備わっているようだ。まだ何とも戦っていないので何とも言えないが、とりあえず困ることはなさそうだ。そして、王の言葉に決心した。ここで生涯を遂げてしまおうと。
ここは元の世界と同じ時間枠で動いており、トリップしたときと同じ時間に戻ることは不可能なんだとか。魔王を倒すのにどれくらいの時間がいるのかは分からないが、どうしたって一年はかかると見た。
そして、自分は今高校3年生。春の桜を見ながら、来年はちゃんと大学に行けているだろうかと内心鬱になっていた。そんな中、一年ブランクは、かなり辛い。元の世界の勉強なんてここでできるわけ無いだろうし、まったくブランクとなるのだ。
魔王を倒したら、一度家族に報告しよう。そんで、ここで暮らそう。
そう思って告げた言葉に、返されたのは了解の意。ほっとしつつ、その後に続いた王の言葉はどうしてもすぐには理解できなかった。
だきつかれて自分よりある胸が腹辺りにおしつけられ、完全に恋する乙女な顔をしている王女に見つめられて、思考がクリアになった。クリアになり過ぎてちょっと気を失いかけた。
最初に周りを見渡したときに気づいた視線には、ちょっとあれ?と思っていた。だからと言って、まさか胸に顔を埋められたあとでも誤解されるとは思わなかった。べりっとはがして待ってと叫ぶ。
(ちょっと王女表に出ろ。大きかないがCはあんだぞ!!)
そう叫んでやりたかったがそれはさすがに控えて、真っ当な言葉を叫んだ。
「私は女だぁぁぁあああ!」
そう。真っ当な言い分のはずである。なのに、なんだこの反応。何で私が悪いみたいなことになってるの。え、私が悪いの?
崩れ落ちた王女を慰める王の、少し責めるような視線に眉尻が下がってしまう。
その反応がまた良かったのか、いや悪かったのか。
まるきり困っているという顔の勇者を守るように進み出たのは、いつ復活したのか、先ほどまで失神すしていた聖女だった。
「王様。きっと、勇者様は混乱なさっているのです。……そう、記憶が」
「…そうか…、やはり無理な召還が祟ったか…」
しゃがんだ体勢のまま、琉生は無言で手のひらをビシッと横にやってツッコミをした。記憶が混乱しそうなほどの無理な召還してんじゃねーよ。言いたかったが、琉生は脱力してしまって言う気力すらなかった。
それでも、これは言わなくてはならない。
「あの、私は女です…」
座り込んだ状態で、上目遣いでそう言うと聖女は顔をリンゴのように真っ赤にさせた。だがすぐに穏やかな、慈愛を含んだ顔になった。
「貴方は混乱されているのです。まずは、落ち着くことが大切ですよ」
幼子を諭すような声で言われれば、まるで間違っているのはこちらのような気分になる。
琉生は折れそうになる気持ちを起こすためにも、自分の胸に手を当てた。もう少しほしいと常々願うような、中途半端な大きさ。でも、確かに膨らんでいる。
「現在進行形で女です! そこまで言うのなら確認してみたらどうですか!」
さあさあと聖女に迫る自分は、傍から見たら完全なる不審者だろう。分かっている。自覚している。だけど、しょうがないじゃないか!
もちろん聖女は真っ赤な顔で後退した。王が慌てた声で制止をかける。
「落ち着け勇者殿! 今宵はもう休むがよい。」
「いやいやいやいや、確かに私も休みたいですけど! ねぇ分かるでしょうこの膨らみ!」
「!」
ばっとジャージを開いて胸をさらした。もちろん下に白いTシャツを着ているため恥はない。さすがにTシャツの上だったら分かるはずだ。現に王は目を僅かに瞠った。思わず笑みを浮かべた勇者を、王は悪気なく奈落に突き落とした。
「胸が腫れておるではないか! すまん、それも後遺症の一つじゃろうな。後で治療師を向かわせよう」
「私が直します!」
泣きそうになる琉生を放置して、高らかに手をあげたのは聖女だった。治癒能力の高い聖女の手が、勇者の胸に添えられて聖女は呪文を唱える。
初めて魔法というものを自らの目で見ることができたのに、琉生が抱いた感想は、(あー、魔法だー)だけだった。
「な、直せない…」
暖かな光が何度か瞬いたが、それ以外は何も起こらなかった。
「当たり前です。これは元々です」
「……これは、呪いのたぐいでしょう…。もしかしたら、魔王の」
(なんでそうなるんだよ…)
結果オーライか、と浮上しかけた気持ちをまた奈落の底にたたきつけられた。どうしてそうなる。というか、人の話を聞いてくれ。頼むから。
琉生は肩を落とした。もういい。こんなところ、魔王を倒したらさっさと帰ってやる。ブランクはきついだろうが、こんなに人の話を聞いてくれない人たちのところよりはずっといい。
悲しげな顔で外界から意識をそらしていた琉生は、後ろの存在に気づかなかった。
「―――っ!!」
息を呑んだ。普段だったら絶対即座に肘鉄をかましていたけど、精神的に多大なダメージを受けている今はそれも不可能だった。
むに、と掴んで揉まれた。