勇者の言い分
「そなたこそ、我が世界を救う黄昏の勇者じゃ!」
口ひげをたくわえた厳格そうな中年の男の声が、神殿内に響き渡った。
数々の輝石で彩られた冠を乗せて、王は力強く言った。
「黄昏の勇者よ。この世に住まう魔王を滅ぼしてくれ。さすれば、そなたを無事にここから還そう」
王の隣に座る、少し幼さを残した少女―――王女は顔を赤らめて勇者を見ていた。
王女だけではない。その場にいる、女性という女性が頬に朱をさして勇者に熱っぽい目を向けていた。神殿で最も尊ばれる聖女さえも。王は後に語る。王妃を連れてこなくて良かったと。
王の前にしゃんと背筋を伸ばして立っている若者に、すべての人間が魅せられていた。
夜の海のような漆黒の髪は纏められておらず、背中あたりでなびいている。王をひたすらに見るその灰色の瞳を、誰もが渇望した。
すっと通った鼻筋に、やや大きめな、けれど鋭さを持った目。ただひさすら無表情を貫き通すその顔が、もしも自分に笑んでくれたら、と期待してしまう。
魔女は人知れずぐっと両手を握った。
(あれが、……勇者)
彼が自分で名乗らずとも、誰もがそうと気づくだろう。気づかぬわけがない。蒼と白の単調な上着と、その蒼と同じ色を使ったズボン。簡素すぎると言っても過言ではないのに、彼が着ると途端に王家御用達のお抱え仕立屋が作った物以上の物に見えてしまう。
「……分かりました。」
ほうと、どこからか嘆息が漏れた。見た目は青年にかかっているのに、声は若々しい少年のような少し華奢な声だった。
夏の夜風のような涼やかさを持った声が、言葉を紡いでいく。
「魔王は、私が倒しましょう。」
「おお…!有り難う、異世界の民よ。黄昏の勇者よ…!」
「………ですが」
勇者は申し訳なさそうな顔をした。そんな顔も麗しく、むしろ母性愛が沸いてしまいそうだ。
「一つお願いが」
「何だ? 叶えられるのこともあろうが、できるだけ応えて見せよう」
ありがとうございます、と勇者は少し口の端をゆるめた。ばたり、と何人かの女性が倒れた。王女は踏ん張って、聖女はできるだけ勇者の顔を直視してしまわないようにした。
「魔王を倒しても、私はこの世界にいたいんです。…あっと、でも一度家に帰して、そこからまたこちらに召還、みたいなことはできないでしょうか」
王は驚いていた。
異世界から勇者を喚ぶなどと言うのは本来外道以外の何物でもなく、このたびのように魔王が現れた場合にしか許されていない。しかも、許されているというのはこちらの事情で、勝手に呼び出された勇者は基本的に怒り――それしか還してもらえる方法が無いとしって渋々承るのだけれど。
目の前の、少年とも青年ともつかない若者は。
怒ることなく、悲しむことなく、ただ頷いた。
そして、役目を終えてもここにいたいと。家族に別れを告げてまで、ここにいたいと。
王は心が震えるような想いがして、目頭を抑えた。
隣にいる王女を横目で見やる。潤んだ瞳で勇者を見つめるその顔は、間違い無く恋をした乙女のそれだ。父親として少し寂しさを覚えたが、この若者になら何の不安もなく託せる。
決意した王は穏やかな声で言った。
「了解した。そして魔王を倒した暁には、このミリアーティナをもらってくれ。この国の王として、この世界で暮らすが良い」
神殿内が一気にざわめいた。男達は少し悔しそうに勇者を見ていたが、やがて何か認めるような顔で頷きだした。逆に女達は一気に悲しみに暮れた顔をした。聖女などは失神さえした。
そして王女は胸に溢れる喜びのままに破顔し、勢い余って勇者にだきついた。
王さえも感涙しているなか、魔女だけが冷ややかな目で周りを見てから、抱きつかれている勇者の顔を見た。魔女以外誰も見ていない勇者の顔は、ものすごいものだった。魔女は勇者の思いを正確に読み取り、同情した。
勇者は引きつった顔を懸命に元に戻して、笑みを浮かべようとして―――失敗した。
顔が歪む。困惑と怒りによって。
「ちょっと待ったー!!!」
べりっと勇者は王女をはがす。王女が傷ついた顔をして、それに一瞬ひるんだが自分を叱咤して勇者は叫んだ。
「私は女だぁぁぁあああああ!」