撃剣商売(1)貯金箱
21世紀、何の役にも立たない、連綿と続く、日本古来の古武道。ITの時代、益々、時代からかけ離れ、絶滅寸前。しかし、その技は、受け継がれていく。どうやって、伝え残していくのかを、掌編小説にしてみました。
依頼者は、48歳の大手不動産会社の部長だ。バブル崩壊以後、大手といえども経営は決して楽ではない。
リストラの嵐が吹き荒れていた。4ヶ月ほど前に西岡悟は人事担当の専務に呼ばれた。この瞬間から西岡の人生は、大きく歯車が狂ったと言ってよい。無論、本人は、その時はそれほど重大な出来事になるとは、思いも寄らぬことであった。
専務は西岡に。
「IGセクションの統括責任者になって欲しい」と、言った。IGセクションとは、最近設置された社内のインターネットグループ部門である。
悟は、入社以来25年間、営業畑一筋で、これまで、数々の実績、功績を上げてきた。社内でも、名うての営業マンだった。クライアントに、夜討ち朝駆けは当たり前だ。数十億単位の仲介物件を何度もこなしているのだ。社長表彰も、何度も受賞している。
「落としの西」と、何時しか、社内ではそう呼ばれるように、なっていた。どんな、難物の物件でも「落としの西さん、にかかれば、何とかなる」を名実共に果たしてきたのだ。
不動産関係の業界では、一目も二目も置かれるやり手として、西岡の名前は轟きわたっていた。彼の名前を知らない者は、新参者か「もぐり」と、言われるほどであった。
こうした、風聞は西岡にしても、満更、悪い気はしない。いや、彼にすれば、バブル崩壊は他人事で、順風満帆そのもので「人生絶好調」と、言って良かった。しかも、今回の移動は、その象徴だ。
インターネットは、長足の進歩を遂げている、IGグループ部門は一躍、社内の花形部署になっていた。
悟は、その部署の最高責任者となったのだ。リストラの嵐など、どこ吹く風だ。同期入社組でリストラされた者が沢山いる。
悟にしてみれば、彼らは「リストラされるべくしてリストラされたのだ」と、思っていた。
「陰で上役の悪口を言うだけで、たいした仕事もしていない、リストラされて当たり前」くらいにしか思っていなかったのだ。
悟はガムシャラに人の何倍も働いた。お陰で、悟の頭の中には、パソコン顔負けのデータベースが構築されていた。顧客一人一人の詳細な個人情報だ。これが、彼の財産だ。
「落としの西こと、ディスクマン」とも呼ばれる所以だ。
「俺が、IGセクションのトップに選ばれたのは、当然の人選」悟は専務から。
「責任者になって欲しい」と言われた時、そう思った。バブルが弾け、天地が逆になり、企業もサバイバルの真っ只中。
「会社は、俺に期待している」悟は、確信した。
1ヶ月が経ったある日、前夜、大切な顧客の接待で、少し暴飲し過ぎ、悟は、腹の調子が悪く、下痢気味となり、頻繁にトイレへ、駆け込むハメになってしまった。
「これくらいで、休んではいられない」体調を隠して、悟は出社していた。悟がトイレで脂汗を汗を流していた時、悟の部下がトイレに(連れションか)。
「西岡統括も、もう直ぐ終わりですね~」と、一人が呟くように。
「お気の毒に」誰かが、答える。
「うん、終わりだ!」この声には聞き覚えがあった。西岡がIGセクションに移った為に、営業部長になった男だ。
今は、IGセクションの補佐役も兼務している。何の事か?、悟は、そ~っと、ドアへ耳を近づけた。
「あ~、もう御用済み、と言うわけだ」部長が。
「落としの西さんか~、ネットの時代じゃ必要ありませんからね~」
「でも、部長、人切り専務とは、良く言ったもんですよね」
「そりゃそうだよ、会社の看板見たいな、名物男の西岡統括を、そう簡単にはリストラ出来ないよ」
悟は息を殺して、部下達の話を。脂汗が引っ込み、頭が真っ白に、抜けた(どう言う事だ、こいつら、何を言ってやがるんだ)。
「部長、統括はワープロしか、使えないんでしょう、ネットが出来なきゃしょうがないですよね」
「ああ、毎日、今は、上得意様の接待だけだ」
「あのパソコンは、ハードと一体型ですからね、移し変えるのに時間がかかります」
「でも、作業は、予定通り順調にいっております」
「本人は、接待でいませんから、その点、楽です」
「いまの作業は、統括は勿論、社内秘だからな!、だれにも漏らすなよ!」部長が、語気を強め、トイレを出た。残った二人の部下が。
「時代だね~」
「それで、専務は何時、宣告するんだろうな?」
「うん、俺の聴いた話では、今月の末、とか、、、言ってたな」
「専務もやり手だね、わずか二ヶ月で、統括の顧客データーを見事に引き出したんだから」
「あ~ぁ、25年分だそうだ」水音がして、二人の部下も、用を足し終え出て行った。IGセクションの統括を任命された、翌日から、悟は専務の命で、連日、大口顧客の接待を。
その間に、専務が連れてきた、二人の部下が、悟のワープロ顧客データーを、整理することになっていたのだ。悟は、インターネットの事は、サッパリ分らない。メールも出来ないのだ。
「この俺がリストラに!?」悟は、便座に座り込んだ。IT革命だか何だか知らないが、不動産の仲介業務は、人と人とのやりとりだ。
悟が入社して以来25年間、何百人もの顧客と会い、自分の足で収集し、築きあげて来た顧客データである。家族構成は勿論、趣味、趣向等など。
インターネット等で、出来る仕事ではない。IGセクションにしても、悟にすれば、単なる会社のお飾り、くらいに思っていたのだ。
だが、悟の知らない間に、ネットの世界は長足の進歩を遂げ、企業はこぞってIT化を急いでいた。仲介物件を証券化し、ネットで販売、歩く営業マンを削減できるのだ。
「ネットが出来なきゃしょうがないですよね」悟は、部下が言い捨てて行った、この言葉を何とも表現出来ない気持ちで聴いていた。
IGセクションへの移動で、次はいよいよ役員になれる、と、心密かに思っていたのだから。今月末、悟は専務に呼ばれている事を思い出した。
「うっ!、じゃー、その日か?、この俺がリストラ!、冗談じゃねー」悟は、下痢を忘れてトイレを飛び出した。その、月末。
「西岡君、分ってくれるね!」専務は悟に最後通告した。悟はただ黙って、頷くしかなかった。これまで、リストラされて行った者達の憤りと、やるせない気持ちが、ようやく分ったからだ。
「会社の看板だ!、業界の名物男だ!」と、もてはやされたが、所詮。
「俺も、会社と言う組織の1個の歯車だった」悟は、専務室を出て、悔しさを通り越して、笑いたくなった。
「俺は、ピエロか?」この数ヶ月を振り返り、呟いた。そのまま、社を出た。役員への出世どころか、リストラだ。
「女房に、どう言えばいいんだ、リストラされた、なんて、言えるのかっ!」社を出た途端に現実が。
「君は我が社の功労者だ。それなりの、退職金は当然、出させてもらうよ」
「な~に、君なら何処でも喜んで採用してくれるさ、私が保証する」専務は悟にそう言って笑った。
悟の25年間は、この二言で片付けられたのだ。夕闇が迫り、ビル街に灯りが燈った。首を回し、社屋ビルを見た。人影が動く。悔しさが、涙と一緒に込み上げてきた。
「IT革命だか、何だか、知らないが、俺にもプライドがある」
「会社の財産、笑わせるな、俺達が作ってやった財産だ」
「取り戻してやる」悔し涙が、悟の闘志に火をつけた。
「このまま、黙って首を切られたんじゃ、看板男の名がすたる」落としの西と呼ばれ、業界で名を売った。悟の身体に雷撃が奔った。芯が唸ったのだ。
「後、10日ほど時間がある、このまま、黙って、、、切られてたまるか!、あーっ!と言わせてやる!」思っても、悟には、どうやれば、が、全く分らなかった。刻々と日にちが過ぎた。
リストラまで、4日に迫った。悟は焦った。夕食時、悟の一人息子の直が。
「お父さん、今日ね、凄いもの見たよ!」中学三年生で、部活で剣道をやっている。リストラのことは、未だ、家族に話はしていない。
「京都から、古武道の先生がきてね~、本物の日本刀で、昔の鉄兜を斬ったんだ」直は、興奮した様子で、盛んに話しかけてきた。
「昔は、鎧だって、斬ったんだって。凄かったな~」悟は。
「ふ~ん、そうか」気のない生返事を、繰り返していた。悟の頭は、リストラのことと、ピエロの侭で、終わってたまるか、どう、会社に一矢報うか、で一杯だったのだ。
「お父さん、聞いてるのう~!?」直が、見抜いて。
「あっ!、聞いてるよ、鉄兜を斬ったんだろう、そりゃ、凄いもんだな~」
「だろう」直が大きく頷く。口に出して、始めて悟は。
「なお(直)!、鉄兜だよな!、その先生、日本刀で鉄を斬ったんだよなー」
「うん、凄かった。ビックリしたよ!」悟の頭の中に、鉄、と言う言葉が残った。悟はパソコンに詳しい、息子の直に、俄仕込みで、パソコンの仕組みの手ほどきを受けた。
「分ったー、お父さん、簡単でしょう」悟のパソコンは旧型で、ディスプレイと本体が一体となっていること。
データーは、そのハードディスクに収められていること。で、本体が壊れたら、データーも消滅すること、等が分ったのだ(悟はワープロしか扱えない。データーは3.5インチのフロッピーディスクに収録してある)。
先日から、部下二人が、怪しげな機器を悟のパソコンの傍らに置き、連日何か作業をしていた。直に、そのことを聞いてみた。
「あ~、それはね、データをコンバートしてるんだよ、きっとそうだよ」悟は全てを飲み込んだ。
その夜、悟は直に、リストラされる、話をした。直は、感性の鋭い子だった。で、或ることを、直に頼んだ。
「男と男の約束だ、終わるまで、お母さんには内緒だぞ」悟は直に頭を下げて言った。親子の作戦が開始された。
翌日、悟は二人の部下に、3.5インチのフロッピーディスクを数枚ちらつかせ。
「おう、君達、今日の作業は待ってくれ、これを忘れてた。大口顧客のデーターだ、俺の最期の仕事になるから」二人の部下は、気まずそうに、顔を見あわせ(ふん、リストラのことを知ってるくせに、おくびにも、出しやがらない。せいぜい会社に貢献しろー)。腹の中で、悟は毒づいた。
「では、統括、お願い致します」口を揃えて、頭をさげた(こいつらも、可愛そうなやつ等だ、明日は我が身を、知らずに、、、)。会社という組織は、でかくなれば成るほど、人を喰う、化け物になる。悟は身を持って、それを知った。
「なお(直)君、っか、お父さん思いなんやね~、はい、引き受けさせてもらいます」明日午後9時だ。
「せんせい!、有り難う御座います。よろしくお願いします」西岡直は、深々とお辞儀をした。直から、ことの経緯は聞いた。一人の男の名誉が、かかっている。失敗は許されない。
「25年間か~、西岡さん、貴方の、思いを込めて、斬らせてもらいますわ」直の背中に、そう声をかけた。三条小鍛冶兼定が鍛えた、刃渡り二尺六寸強の大業物を取り出した。刀身を改め、目釘を取り替える。鈍い光を眺める。ゆっくり、刀身を拭い、油を引き直した。
西岡悟は、窓外を眺めていた。オフイス街に立ち並ぶ、ビルの灯りも、点々として、薄暗い闇に包まれていた。
「これで、良いのか、不安の念が頭を過ぎった」それも直ぐに、煮えくり返る思いに、かき消された。悟は、時計を見る。何度も何度もだ。午後8時半を過ぎた。悟は、長年愛用して来たパソコンを撫でた。
「この中に、俺の25年が、、、」最期の決着は。
「俺が付けてやらないとな~」普段、社内は全面禁煙だ。悟はタバコを取り出し、火をつけた。今は誰もいない。この不景気で、残業は殆ど無くなっていた。あの専務がきてからは、徹底されているのだ。
タバコをくゆらせ、窓外を見ていた、と。
「西岡さんですか?、今晩は」背中から声が。振り向くと、ドアの近くに、紺色のスーツ姿のヤサ男が立っていた。
反射的に、悟は時計を見た。午後9時になろうとしていた。男は、どう見ても、どこかの銀行マンのようだ。着衣に一分の隙もない。左手に、青い布でくるんだ、細長い棒の様なモノを持っていた。悟は、その容姿に意表を突かれ、挨拶を、、、。
「あれが、日本刀か?、あんな物で、本当にやれるのか?」忘れて、頭が混乱し、呆として、言葉が出なかった。想像していた、男の姿や様相が、悟には。
「プロレスラー、のような、、、」を、イメージしていたのだ。が、やって来た男は、どう見ても、普通のサラリーマンで、職業は、嫌味なほど、エリート風の銀行マンだ。
ポカン、としている悟にかまわず男は、何やら支度を始めた。これが、素早い。息子の直の剣道着のような、濃紺の胴着に着替え、布から日本刀を取り出し、悟に近づいて来た。
「これですね!」悟を見て、傍らのパソコンを。
「あ~っ、そっ、、、そうです」慌てて、答えた。まだ、悟は挨拶を忘れている。
「危ないですから、合図しますんで、ちょっと、後ろへ下がっとってくれますか」関西なまりだ。
「あっ!、はい」男は、悟のパソコンを持って。
「あの、テーブルを、拝借しますよ」来客用の、簡易応接セットの卓上へ。パソコンを載せ、ソファーを、動かそうと。
「あ~、私がやります」悟は、淡々と行動する男の動作に、気圧されていたが、我を取り戻し、重いソファーを移動させた(どう見ても腕力は、悟の方があるのだ)。
「あ~、すんませんな、力はあんまりないんで」男の顔が綻んだ。何時のまにか、男は腰に刀を帯びていた。
「後悔しませんね!」応接の、卓上に載ったパソコンを指差し、悟に言った。
「では、あちらへ」男は、悟を下がる様に、手で促した。卓上に載せたパソコンに、一礼をし、抜刀、右半身に構え、腰を落とす。見ていると、緩慢な動作だが、穏やかな川に水が流れるような、淀みない所作であった。
男は、パソコンに、刀身をさらすと、上体を大きくうねらせ、刀を背中の方へ、旋回を始めた。薄ぼんやりと、点々とした鈍い光が輪になった。連写カメラのコマ送りを見ているような。いきなり、だった。
「ガシッー!」奇妙な音が、悟の腹を直撃した。悟は全身が固まった。一瞬、悟は男の肩越しから、青い閃光が飛んだように見えた。
「終わりました、改めて下さい」男が振り向き、悟に声をかけた。
「あっ!」パソコンは、真ん中から、一直線に割られていた。いびつにズレた、パソコンを、呆然と眺めていた(25年間が、一瞬だ。かすかにあった、未練が消えた、、、やり直せる)。悟は不思議な時空を体感した、と。
「では、これで、失礼させてもらいます」声が聞こえ、振り向くと、男は、元のスーツ姿に戻っていた。
「はーっ!、有り難う御座いました!」悟は、初めて、まともな挨拶を返し、深々とお辞儀をした。顔を上げると、男は、何事もなかったかのように、ドアの方へ向かっていた。
「お待ちくださいー」悟は、男を追いかけ、用意していた、茶封筒を差し出した。男は、それを制し。
「あ~、もう頂戴しておりますから」と、悟に、黄色い箱を見せた。
「それは!、、、息子(直)の、、、貯金箱」後の言葉は、飲み込んだ。悟は、男の背中に向けて、言葉もなく、自然にお辞儀をしていた。
一年後、ITバブルが崩壊、西岡が勤めていた会社が倒産した。そのニュースを知ったのは、悟が、不動産鑑定士の資格を収得し、自宅で個人事務所を開いた時であった。