毒林檎 〜白雪姫の義兄ですが、醜いはずの義妹から目が離せません!〜
「あたらしいおかあさまと、おにいさま。はじめまして」
白雪姫と顔合わせをしたのは、シドルが六歳の時。母が王妃として宮廷にあがる、少し前だった。
「まあ! 前の王妃様とお顔立ちがよく似ていらっしゃること。さあ、シドルもご挨拶なさい」
白雪姫は慣れない様子で、頬を染め、はにかんだ仕草でドレスの裾を握った。
柔らかな黒い髪が、風と踊っている。
気づくと、肩に置かれた母の指に、力が入っていた。
「……うん、よろしく」
義妹の「醜い」姿から、シドルはどうしてか、視線を外すことができなかった。
◇◇◇
艶を出す。
彫りの深い顔立ちに、影を入れて引き立てる。
飾り紐で、腰を細く締める。
体調が優れなかろうが、関係ない。
おしろい。香水。髪油。
まじないを染み込ませた櫛で、丁寧にすく。
「シドルや、シドル。支度はできたかい」
「はい。終わりました」
母はいつものように彼の頬を包んだ。
「上出来よ。流石はわたくしの子。美しいわ」
「お母様もおきれいです」
「ええ、わたくし達はこの世でいちばん美しい。誰がなんと言おうと、覆るものではないわ」
「……お母様?」
「いいえ、ゆきましょう」
二人は、待たせていた馬車に乗り込んだ。
離宮を囲む庭園には、花々以上にあらゆる薬草が多く植えられていた。
これらは全て、母が魔法薬の調合のために揃えた貴重なものばかりだ。腕のいい庭師をたくさん抱えて、一つも枯らさぬよう世話をさせている。
「……そういえば、お母様」
「なあに」
「例の『鏡』は育ちましたか」
少しでも何か話したくて、シドルは話題を振った。
母は、ああ、と言って扇子を開いた。
「百のまじないをかけてね……ようやくまともな受け答えをするようになったかしら。大変だったわ」
「さすがお母様。大仕事でしたね」
母が、自分よりあの鏡と話しこむようになったのはいつの頃だったろうか。
全ての知識を注ぎ込んであらゆる魔法を施した、この世の物事の価値を測るための魔道具だという。
仕方がない。
シドルは理解していた。
僕では、答えを間違うことがある。
昔から母は、よく彼に言い聞かせた。
誰よりも何よりも、美しい存在であれ、と。
ーーあの子みたいに、ですか?
そう、返してしまった幼い日のことを、シドルはよく覚えている。
足が浮く感覚。首を絞められる苦しさ。
でもそれよりも、母のあげた悲鳴のほうがシドルの耳には残っている。
「シドルや。カーテンの隙間から外を見るのはよしなさい。肌によくないわ」
「はい。すみませんお母様」
声色にいつもより棘がある。シドルはこれ以上、何かいうのを控えることにした。
きっと今日は、白雪が来るのだ。
◇◇◇
「お妃様とシドル様の、おなり!」
楽師隊はワルツをすぐに止め、一瞬の沈黙の後で王妃のための荘厳な入場曲に切り替えた。
貴族達が、少し遠巻きに二人に頭を下げる。
広間はあらゆる色彩に満ちている。だが、紫のドレスだけは誰一人として着ていない。紫、特に……深く黒に近いそれは、王妃の色だからだ。
出迎えた王を、王妃は広間の真ん中に誘い、二人は見事なダンスを披露した。
ーーよかった。お母様の一番のお楽しみは、このはじめのダンスだから。
「誰も……邪魔しないでよ」
シドルが口の中でつぶやいた、その時だった。
にわかに入り口付近がざわめいた。
「……白雪姫さま?」
「まあ! 白雪姫様だわ!」
ここにいて良いのかすら迷うように、広間の入り口に立っていたのは、あいつだった。
気づいた王が静かに手をあげると、楽師達は柔らかな旋律に切り替えた。
「……ご機嫌よう、みなさま」
小さな声で挨拶し、スカートをつまむ仕草に、出迎える父王の顔は綻ぶ。
シドルは彼女をできるだけ見ないよう目を伏せ、母の側に立った。
シドルの母である現王妃エレノアと亡き白雪の母ネーデリルは、この国で最も美しい二人の姫君として讃えられていた。
「ごらん、エレノア様の研ぎ澄まされた美貌を!」
「しかし、ネーデリル嬢の健やかな可愛らしさにはかないますまい」
高貴で知的なエレノアと対照的に、田舎の下級貴族家出身のネーデリルはさほど、おしろいやドレスにも拘っていなかったらしい。一時は見かねたエレノアが化粧などを教えた事すらあったという。
しかし結局、王に選ばれたのはネーデリルだった。
「新王妃さま万歳! 優しの君ネーデリルさま、あなたこそが国母にふさわしい!」
この頃には民衆にもネーデリルの人柄は広まっており、婚礼の日は宮廷だけでなく城下までもが祝い、騒いだ。
一方、その少し後、エレノアは大貴族の家に嫁ぎ、シドルの母となった。
だから、シドルには王家の血など流れていない。
彼と母が城に住むようになったのは七年前、流行り病の吹き荒れた冬にネーデリルと、シドルの父親が亡くなってからだ。
白雪姫とまともに会ったのはもう、二、三年も前だろうか。
「ほんとうにお美しくなられた」
「お名前の通りだわ。雪のように白くていらっしゃること!」
顔を向けずとも、耳は防げない。口々に彼女を誉めそやす声が聞こえてくる。
人だかりは王と姫をわざと囲んでいるように見えるが、おそらく、気のせいではない。
普段でも、父王や家臣たちが自分達を同じ空間に揃えないよう、気を使っているのはシドルも知っていた。
……まずい。
「シドル様、ご不調でしたら……」
護衛として同行していた母の腹心の狩人、イアンが彼を気遣った。
「触るな」
美貌を追求するまじないを何度も施して磨き上げたシドルの身体には、エレノアの魔力が骨まで染み込んでいる。
今まさに、お母様はご機嫌が悪いのだろう。胸を内側から刺すような強い痛みに、彼はよろけそうになった。
無様な姿を晒すくらいなら、いないほうがいい。シドルは一人、バルコニーへ出た。
だがそこには、さっき人々に囲まれていたはずの、真っ白なレースに空色のコルセットをまとった少女の姿があった。
「おにい、さま」
「……白雪か」
見ないうちに、ずいぶんと背丈に差ができていた。
「え、と、緊張、してしまったので……」
「ふーん」
シドルの目線に怯えたのか、白雪は後退りした。
そのまま、手すりまで追い詰めるのは簡単だった。
昔会った時もこうだったな。
ーーお前はおかあさまがいないから、お仕置きのひとつも受けたことがないんだろう。
そう言って古い香水を飲ませようとしたら、泣いた。
ーー服を濡らしたところで、誰もしからない。うらやましいね。
庭園の小さな橋の上で、落ちるぎりぎりまで追い詰めた。
少し大きくなった今も、白雪は何をされるのかと固まり、目をぎゅっと閉じている。
雪の肌。黒檀の髪。
さっき、皆が彼女に捧げていた言葉を、シドルは不意に思い出した。
血潮のように赤い頬と、唇。
「お前、さ……ほんとに」
鼻先が触れ合いそうなほど、そばによった。
「シドルや! どこにいるの」
広間から、母が呼ぶ声がした。
「はい、……今ゆきます。お母様」
返事をする。
だが、その指はまだあたたかい頬にあった。
一度だけ、そっと撫でた。
「……またね。白雪姫」
座り込んでしまった彼女を振り返らずに、シドルは立ち去った。
◇◇◇
あの舞踏会の日から、母はシドルに、さらに厳しく美を求めるようになった。
「シドルや、シドル。おまえの部屋の臭いはいったい何かしら」
母の剣幕に、シドルは言い淀んだ。
「先日買っていただいた服に香り袋が付いていて……誤って開けてしまったのです。お母様」
「嘘をおっしゃい! あれは薬の匂いだ。わたくしを誰だと思ってそんな嘘をつく!」
「……申し訳ありません。この間の宮廷商人から変身薬を……少し。どうしても肉がついてしまって、そこだけ……」
「ばかもの。一時の誤魔化しではなく、おまえの容姿そのものを磨けと言ったはずだ。そうでなくては偽りだ。意味がない!」
体の芯まで整えてやる、そう言って、母は毎日、彼を何種類もの薬草の風呂に漬け込んだ。
ますますまじないは体にたまり、その爪や髪は毒をおび、ついに髪留めを変色させるまでになった。
青白かった肌にまでも、いくつもの斑が浮いた。どんな厚化粧でももう隠せない。
それを見た母は「ひ」と声をあげ、後ずさった。
塗っても塗っても、あらゆる薬で色を抜いてもだめだとわかった。
母の動揺がシドルに伝わり、彼は顔を歪めて吐いてしまった。
それからしばらく、母は自室に篭りきりになり、シドルも臥せたまま、半月が経った。
◇◇◇
その日、城はひどく騒がしかった。ひめさま、ひめさま、どちらに、と呼びかける、憔悴しきった召使い達の声で彼は目覚めた。
「シドルや、起きているかい」
「お母、様……?」
反射で立ち上がった。
……自分で起き上がれた? 体が格段に軽い。
扉の前までゆき開けようとすると、老いたメイドが彼を止めた。
母の声が向こうから聞こえた。
「お母様ね、気が向いてパイを作ってみたのだけど……少し失敗してしまったわ。メイドに預けたから、おまえも味見しておくれ」
メイドが運んできたのは、不恰好な一切れだった。
「あ……ありがとう、ございます」
きっと、何かの薬だろう。これを食べたら、もしかして死ぬのかな。
母が去ったのち、シドルはパイに手をつけた。
ただのパイだった。味はあんまりだった。
シドルは療養のために部屋を移った。そこにはあの鏡も置かれていた。
母はもう息子を見たくないのだろう。彼にもわかっていた。
それでも時々、週に一度くらいは扉越しに声をかけてくれた。言葉も声色も、以前より少し柔らかかった。
母が最近、庭園でよく散歩をしているのは、シドルも窓から眺めていた。以前とは違って夜中ではなく昼さがりには起き、愛でるための草木を育て、淡いドレスで召使いと笑っている。
そうか。きっと、母はようやく白雪を殺したのだ。
「もっと早くに、そうしてくれたらよかったのに……」
体を引きずり窓辺に座る。
なぜか、目だけはいまだに黒髪の小さな影を探してしまったが、どこにもいるはずがない。
聞こえてくるのは、母が召使いと盛り上がっている声だけだ。
何か他のことを考えたくて、シドルは目の前にあった鏡に語りかけた。
「鏡よ鏡。……お前、捨てられたんだねえ。気分はどう?」
鏡は答えない。
シドルは苛ついて、さらに悪態をついた。
「お前ってさ、ただの鏡を、お母様がまじないで磨いたものだろう。でも……今では、がらくただ。お母様からしたら、作品じゃなくなったんだ」
答えない。
「おい。……返事をしろ」
まだらな肌の不機嫌な顔だけが、こちらを見返している。
「してよ!」
鏡はただ、そこにあるだけだった。
部屋に風が入った。
長い髪がふわりと揺れた。
しばらくしてから、シドルはまた口を開いた。
「……鏡よ鏡、……世界で一番、美しいひとにあわせてほしい」
鏡面が光った。
「……なっ」
遠くから、歌が聞こえる。
……鼻歌?
人影が徐々にはっきりとする。
黒檀の髪。雪の肌。
木々の中で小鳥やうさぎと遊ぶのは、小柄な……
「……しら、ゆき」
「おまえ」
また、会えた。
◇◇◇
白雪は今、森で小人たちに囲まれて暮らしているようだった。
会話を盗み聞くかぎり、やはり母は白雪を、イアンに襲わせたらしい。
だがあいつは、日頃あれだけ忠誠を誓っていた母を裏切り、白雪を逃がしたのだった。
鏡の中では白雪が、仕事から帰った小人達とお茶を飲んでいる。
「あの狩人さん、こわいけど……いいひとだったなあ」
は?
殺しをぎりぎりまで迷っていた男を、いいひと、だと? こいつ大丈夫か?
白雪は城にいた頃が嘘のようによく喋る。
「おかあさま、なんでそんなにわたしを憎むのかしら……どうしてもぴんとこないの」
「……あ?」
シドルはつい声が出た。
そういうところだよ。そういうのが嫌われるんだろ!
「大変だったねえ。お城に味方になってくれる人はいなかったのかい」
小人の一人が、ぼさぼさの髭を服の中にしまいながら尋ねた。そうだ、そうするがいい。さっきからたびたびクッキーに触れていて不愉快だったから。
「ふだん、お世話してくれてた人たちは優しかったわ。おとうさまもたくさん贈り物をくれて、でも、おかあさまの周りの人たちは、たいていこわくて……あの、ね」
シドルはつい息を止めた。
「じつはね、二つ上の、おにいさまも……いたんだけど」
「そいつって、嫌な奴だった?」
小人が尋ねる。
「うん。いじめっこだった」
白雪はこくりとうなずいた。
「でも、でもね。おかあさまのいない時に会えたこと……少ししかなくて」
白雪はそう言ってそっと、自分の頬に触れた。
「あの時だけは……なんだか、ちがう人みたいだったわ」
その日以来、シドルはほとんど一日中、鏡を使うようになった。
白雪について、色々なことを知った。
お気に入りの花。
果物が好きなこと。
だんだん料理を焦がさなくなったこと。
つい、冗談を真に受けるところ。
思っていたよりもすぐに人を信用するし、案外、どこででも寝るし、表情がころころと変わる。
体調の少しましな日、シドルは鏡の縁にもたれ、白雪の歌う歌を一緒に口ずさむ。
王妃が白雪の存命に気づくまで、そんな日々は続いた。
◇◇◇
その日。
密偵からの報告を受けた王妃の悲鳴が、城内を切り裂いた。
胸が割れるような痛みに襲われ、シドルは気を失った。
王妃は久々に、鏡をしまい込んだ部屋を訪ねた。
部屋の隅で、肌は完全に変色し、毒の匂いを強烈に纏う身体で、息子は蹲っていた。
鏡にはあの白雪姫が映って笑っていた。
「おまえもか。おまえもか!」
王妃は動かない息子を揺さぶった。
「誰も彼も、あの娘ばかり見て……!」
その時、息子の口から滴った血が、お妃の
手をひり、と焼いた。
薄い胸の下はまだ、弱々しく動いていた。
いちばん血が集まる場所。毒素の濃くなる部位。
「……使えるわ」
鏡の中では、白雪姫が美味しそうにおやつの林檎を食べていた。
王妃は微笑んだ。
「いいだろう。会わせてあげる。あの子がついつい欲しくなるような姿でね」
懐から取り出した守刀にまじないをほどこし、息子の左胸に当てた。
お妃は唱えた。
「おまえの、姿に、かたちに、いのちに命じる」
刃に変身薬を一滴、伝わせる。
「その器は、肉は、今日までのもの。この先は、熟れて、ぴかぴかで、おもわず齧り付きたくなるような……」
胸から取り出したそれを、高く掲げる。
空間がざわめき、脈打った。
◇◇◇
あの子の声がする。
小さな手が、僕をつつむ。
……馬鹿の白雪。小人達があれだけ忠告していたのに。
狭くて、あたたかい暗闇に呑まれながら、そう思った。
◇◇◇
白雪姫は、毒林檎を口にした。
玄関先で倒れているところを小人達が見つけた。
「白雪姫! 白雪姫、返事をしておくれ」
ひどく悲しんだ小人達は、暗い土の下へ埋めてしまうのを嫌がり、硝子の棺に姫を横たえた。
眠る姿さえ、美しかった。
通りすがりの隣国の王子が、それを見つけた。
運び出そうとした棺が揺れた時、彼女は目を覚ました。
吐き出された毒林檎のかけらが、彼らの足元に落ちた。
「あなたをこれからずっと、すべてからお守りする役目を、私に与えてくれませんか」
姫は王子とめでたく結ばれ、悪いお妃は罪に問われて、焼けた靴で踊る羽目となった。
こうして、白雪姫の物語は幸せな結末を迎える。
義理の兄など、あの物語には影すら出てこない。
毒の林檎が、頑なに姫の喉に引っかかって留まっていたのは偶然なのか。
それも、今となってはわからない。




