迷いと揺らぎ
しかし、どんな理由があろうとも人間の霊魂を狙うのならばそれはもう幸の敵である事に変わりない。感情移入する程人間じみた気持ちは残念ながら持ち合わせていないが、自分達のやっている事が憎んでいる奴らと同じだという事に気付いていない愚かさには同情せざるを得ない。
「そいつらと、変わらねえじゃねえか……っ!」
「ちがっ、」
「違わねえよっ、魂を奪われた人間にも大切な家族が居るんだ」
自身の為に弱い生き物の命を奪っている。それはまさしく常闇姉弟が直視してきた光景ではないだろうか。二度と見たくないと思っている景色は自分が被害者でなければどうでも良くなるのか───そんなはずない。
すると、幸が放った言葉に動揺した常闇姉の力は次第に緩まっていく。その一瞬を逃すまいと幸は槍を弾き、距離を詰め寄る。それに気付いた常闇姉は背後に弾き飛んだ槍を目で追いながら手を伸ばしたが、焦ってしまったのか乱れた着物の裾を踏みつけ倒れ込んでしまった。
「家族を失った悲しみが分からない……なんて言わせねえぞ」
地面に倒れた常闇姉の喉元に傘の先を突き当てる。逃げ場を失い、諦めと混乱から激怒していた時とは打って変わって今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
すると───
「姉者!」
急に聞こえてきた第三者の声に驚いた二人は聞こえてきた方向に目線を向けると、満身創痍の酒呑童子と常闇弟の姿があった。別の場所で戦っていた二人が何故ここに居るのか分からなかったが、お互いに戦う気が無い事は理解出来た。
幸は常闇姉に向けていた傘を下げ、離れると弟はすぐに駆け寄って来る。
「お前、何して……」
「姉者……もう、やめよう。俺、姉者が居ればそれでいい」
姉を抱きしめる弟の表情は見えないが声の震えと髪の隙間から滴り落ちる水滴に泣いている事が分かった。それに姉は驚き、慣れた手付きであやす様に背を撫でるが次第に自身も涙を流し───泣いていた。
「ウチは……私はっ、」
姉という立場でたった一人の幼い弟を守る為に必死だったのだろう。何が間違いで何が正しいのか分からなくなってしまった常闇姉弟は子供の様に涙を流す。それを呆れながらも温かい目線で幸と酒呑童子は黙って見つめていた。
ひとしきり泣いた後、常闇姉弟は幸と酒呑童子に頭を下げ謝る。
「謝って許される事ではないですが……もう、やめます。こんな事しても父も母も戻っては来ない」
こんな事で命を落として弟と離れ離れになる方が耐えられないと常闇姉は初めて穏やかな笑みを幸達に見せてくれた。
「まあ、俺達も無駄に力を使いたくはないからな」
「その通りだ」
無駄に使いたくは無いと強がった言い方をしているが、妖気はほとんど消費しているのに加え、幸に関しては身体に対する負傷が酷すぎて戦える状態ではなかった。戦闘中はアドレナリンが出ていたのか痛みを感じる事はなかったが冷静になり始めている今が一番辛い。
だが、明らかに表情が柔らかくなった常闇姉弟の言葉を信じているからこそ言えた言葉でもあった。
「死神はん、気を付けてください。魔王を復活させようとしている奴らはごまんと居はります」
常闇姉は真剣な眼差しで幸を見つめる。
「首謀者は誰なんだ」
「ウチらに指示を出している人物は……っ、」
常闇姉の言葉を待っていると、横から大きな物が倒れる重い音が聞こえ意識が逸れる。次第に酒呑童子の焦った声と地面を駆ける音が聞こえ始め、目を向けると常闇弟の腹部から赤黒い血を流して地面に大きな血溜まりを作りながら倒れている光景が目に飛び込んできた。一体何があったのか驚いていると急に服を強く捕まれ重みを感じる。
「おい……っ!何があったんだ!!」
掴んでいるのは目の前にいた常闇姉しかいない。俯いている姉の肩を掴み何があったのか聞き出そうとしていると、ゆっくり上げる顔に息を呑む。微笑んでいる口から血を流し、弟と同じ様に腹部も負傷していた。
震える手で幸の頬を撫で、何かを伝えようとしているが声が上手く出せないのか息を吐く音しか聞こえないまま力無く滑り落ちてしまった。
一体何が起きたのか、訳が分からず辺りを見渡していると───
「余計な事をペラペラと喋りやがって」
暗闇の中から突然現れた誰かに二人は警戒をする。声からして男であろう人物のはっきりとしない姿を目視しようと目を凝らしていると、今まで顔を出していなかった月が現れ光が部屋の中を照らしだす。
「お前は……誰だ」
月明かりのおかげで次第に見えてきたフードを深く被った男は苛立っているのが目に見えて分かった。
「だから生半端なガキを入れるのは嫌だったんだ」
こちらの問いを無視しながら独り言を話し出す謎の男に幸と酒呑童子は一歩も動けなかった。
姿を見せるまで気付けなかったが───妖気の量が違い過ぎる。本来の力を取り戻した幸と酒呑童子でも勝てない程の妖気量に冷や汗と震えが止まらなかった。
すると、独り言が終わったのかフード男はこちらに向けて手をかざし出す。
何かくると判断した二人は動けなかったのが嘘の様に後方へ跳躍し、距離を取りながら様子を伺っていると黒い刃物の様な鋭い何かをいくつか創り出し、幸達の方向に向けて放つ。避けるか弾くかどうするべきか考えていると角度がやけに下向きな事に気が付く。
「まさか……っ!」
フード男は初めから幸達を狙ってなどいなかったのだ。黒い刃物は手前に倒れている常闇姉弟に向かい、完全に消滅させようとしている。
それに酒呑童子も気が付いたのか地面を強く蹴り、走り出していた。しかし、走り出しが遅れてしまいどう考えても間に合う距離感ではない。
「間に合わない、っ」
救う事が出来なかった悔しさに酒呑童子は歯を食いしばり、どうにか間に合ってくれと強く願いながら腕を力一杯伸ばすが触れる事すら出来なかった。
しかし、黒い刃物が刺さる直前で酒呑童子は動きを止め、目を見開く。それはフード男も予期せぬ光景だったのか妖気が一瞬乱れたのが分かった。
「結界……か」
常闇姉弟の下から眩い光と共に魔法陣が現れ、ドーム状の様に二人の体を覆っていた。
「幸……お前」
酒呑童子とフード男が目線を向けると、幸は汗を流しながら地面に手を付けて集中している様子だった。
人間になってから妖気があまりない幸が魔法陣を使うには酒呑童子と戦った時と同様で手書きで陣を描き、妖力を込めなくてはいけなかった。だが、今の幸は自身の力のみで完璧に魔法陣を描き上げていたのだ。すでに魔法陣を創る程の妖力は残されていないはずだが、幸から湧き出る様に高まっているのをここに居る全員が感じ取っていた。
「まあいい、こいつらの屍くらいくれてやる」
そう言うとフード男は幸に何かを投げ、姿を消して行った。
強い妖気がなくなった事で集中力が途切れた幸は、自身の妖気が一気に消耗したのを感じ取り意識を失いかける。汗を流しながら荒い呼吸をゆっくり落ち着かせていると、足元に何かがある事に気が付く。
「黒い、羽?」
ムラがない綺麗な漆黒の羽を拾い上げる。恐らくフード男が創り出した黒い刃物の正体はこれなのだろう。だとするとフード男は鳥族である事は間違いないがわざわざ敵に正体を明かす必要性はあったのだろうか。一体何の意味があって幸に投げつけたのか謎が深まるばかりであった。
「大丈夫か、」
いつの間にか駆け寄っていた酒呑童子が差し伸べる手を取り、立ち上がるとそのまま倒れている二人の元に向かう。
指一本すら動かす事なく、ただ黙って目を閉じていた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた───その姿に胸が痛くなる。
幸は手を合わせた後、二人の体から霊魂を抜き取る。生の源が居なくなった体は砂の様に散り去っていく。それを見届けながら二階にあるバルコニーから二人の霊魂を空に放ち、冥界に行き届く事を願う。
魔妖怪の霊魂が冥界に行く事は滅多に無い。それは、完全消滅させられるか魂を喰われるかのどちらかしか選択肢がないからだ。常闇姉弟の両親も恐らく冥界には行っていないだろうが唯一の家族を引き離したくはなかった。
これが、今の幸に出来る唯一の弔い方だ。
「あの死神が随分と変わったものだな」
見えなくなるまで見つめていると隣にいた酒呑童子が呆れた様に言い出す。しかし、それは自身にも言える事だ。
「お前に言われたくはないな」
話を聞いただけで弟の気持ちを汲み取り、説得させる為に戦いを止めて姉の元に来た。そして、先程も二人に向けて手を差し伸ばし助けようとした。
変わったのは幸だけではないだろう。
「なあ、お前は魔王復活を望むか……?」
未だに空を眺めながら今回の件で感じた事を問いかける。
魔王は居ない方が自由に出来て良いと考える幸だったが、それは自身が一人で生きていける程の力量があったからの話だ。誰しもが一人で生きて行ける程強いわけではない。魔王が何の為に魔界での無駄な争いを禁止にしていたのか、理由は何であれそれが幸せだと思う奴も少なからず居たという事だ。
常闇姉弟の生い立ちを聞いてどっちが正しいのか分からなくなってしまった。
「俺は誰かに支配されるのは嫌いだ。それは……お前も同じだろう」
魔王復活を阻止するという事は同時に今魔界で苦しんでいる力のない奴らの死を見て見ぬふりしている様なものなのでは無いのだろうかと今まで考えも及ばなかった事ばかり頭に浮かんでくる。
それに対して本格的に呆れ出した酒呑童子は大きな溜息を吐く。
「何考えてるかは知らねえが、今のお前は人間界が棲家だ」
守るものがあるのならそれが己にとって正しい道だと言い放った酒呑童子は幸を見つめる。
「こんな事、お前に言われるなんてな」
何を思い悩む必要があったのだろうか。幸にとっての正解を進めば良いのだ。人間の生活に馴染みすぎて思考まで侵食されていたらしい。
酒呑童子の言葉にどこかスッキリとした気持ちになった。
「フン、馬鹿が。さっさと帰るぞ」
そう言いながら階段を降りて行ってしまった。常闇姉弟の霊魂も姿が見えなくなってしまったので幸も後に続いて歩き出そうとした瞬間───
『お兄さん、ありがとう』
いつの間にか幸の隣に立っていたのは幸達を救ってくれた子供幽霊だった。
「お前……いや、礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう」
感謝を述べると子供幽霊は嬉しそうな笑みを向けてくれたが、幸は謝罪もしなくてはいけない事を思い出す。
「あーそれと、蝋燭全部使っちまった……悪い」
『大丈夫だよ!蝋燭さんも使ってもらえて嬉しいだろうし』
子供特有の無邪気さで返されてしまい、申し訳なく思っていた気持ちが一瞬にして消え去ってしまったのと同時に何故この子は亡くなってしまったのだろうと考える自分がいた。
「お前はこれからもここにいるのか?」
『どうだろう、でも……僕はここが好きだから』
何処か物悲しいそうな表情を見せる子供幽霊は幸を見上げながら手を振った瞬間、先に一階に行った酒呑童子の呼ぶ声が聞こえて来た。
「おーい、何してんだよ」
タイミングが良すぎて驚いてしまった幸は一瞬だけ階段の方を見つめ、視線を戻すと───そこには誰もいなかった。
何も残されていない空間を見て、最初から誰も居なかったのでは無いかと思わせる程だった。幸にはもう一つ、蝋燭の火について聞きたい事があったがそれは自身がそちらの世界に行った時の楽しみに取っておこうと心に決めて階段に向かい歩き出す。
「ありがとな」
最後にもう一度、子供幽霊が居た場所に向けて感謝を述べた幸は酒呑童子と共に帰路に着いた。




