神話にされるという罰
私は、静かに終わるはずだった。
海の底で、名前も役割も失い、ただの重さとして沈んでいく。それが、私の望んだ結末だった。
だが、世界はそれを許さなかった。
私の死は、語られた。
意味を与えられ、装飾され、整理され、教訓へと変換された。
――太陽に近づきすぎた愚か者。
――忠告を聞かなかった若者。
――慢心の末路。
どれも、私ではない。
私は愚かでも、慢心してもいなかった。
ただ、自分の人生を、自分で終えただけだ。
だが神話にとって、個人の事情は不要だった。
物語は、分かりやすくなければならない。
誰かの役に立たなければならない。
父は、生き延びた。
彼の翼は正しかった。
彼の理論は証明された。
そして私は、その証明のための誤差として処理された。
人々は言う。
「父は正しかった。息子が未熟だっただけだ」と。
違う。
父は正しかったが、私は間違ってはいなかった。
ただ、同じ場所に立っていなかっただけだ。
神話は残酷だ。
生き延びた者の視点だけを、正史として残す。
私は、語られるたびに削られていった。
感情は単純化され、動機は省略され、最後には「墜ちた理由」だけが残った。
私は思う。
死ぬことよりも、誤解されたまま語り継がれることのほうが、ずっと残酷だと。
それでも、誰かがこの物語を読む限り、私は完全には消えない。
神話の形で歪められても、どこかに歪みとして残り続ける。
それが、私に与えられた最後の罰だった。




