墜落の作法
墜ちるという出来事は、もっと一瞬で終わるものだと思っていた。
叫びがあり、衝撃があり、すべてが断絶される。そんな単純な終わりを想像していたのだ。
だが実際には、墜落は長かった。
時間が引き延ばされ、思考だけが妙に冴え渡っていた。
翼が壊れ始めたことは、感覚で分かった。
音もなく、痛みもなく、ただ「支えられていない」という事実だけが、身体に伝わってきた。私はそれを、どこか他人事のように受け止めていた。
ああ、これでいい。
そう思った。
空気が身体を押し、風が耳を塞ぎ、視界が歪んでいく。
それでも私は、混乱しなかった。恐怖もなかった。むしろ、奇妙なほど冷静だった。
私は、墜ちるための作法を、ずっと探していたのだと思う。
どう終われば、誰にも迷惑をかけず、誰にも期待されずに済むのか。その答えを、ようやく見つけた気がした。
思い出が、断片的に浮かんでは消えた。
迷宮の壁。
空を見上げる自分。
翼に触れた夜の冷たさ。
そして、父の背中。
不思議なことに、父を恨む気持ちはなかった。
あの人は、あの人なりに正しかった。天才であることから、一度も降りられなかっただけだ。
私は、降りる。
それだけが、私と父の決定的な違いだった。
高度が下がるにつれ、海の色が変わっていく。
深い青が、次第に緑に近づき、やがて現実の色になる。
その瞬間、私は少しだけ、後悔した。
生きたい、という欲望ではない。
もっと早く、自分が飛べないことを認めていれば、という後悔だった。
だが、それもすぐに消えた。
後悔は、まだ未来がある人間のための感情だ。
私は、静かに腕を広げた。
落ちる姿勢として、それが正しいかどうかは分からない。
ただ、その形が、いちばん自分らしい気がした。




