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民泊

作者: shonansurf2003
掲載日:2025/12/20

三流の大学で2度の留年をしたものの、親のコネで一部上場の会社に20年近く勤め続けてきたのだが、経営陣の突然の辞任や他社への鞍替え、幾度となく繰り返される会社の方針転換、その都度指示が手のひらくる〜な上司に嫌気がさして、数ヶ月前に会社を辞めてしまった。そろそろ40代も終わるというのにまるで子供だなとは思いつつも、気持ちは晴れ晴れとして不安などは何もなかった。


さて、仕事は辞めてみたものの...


次の仕事のあてもなくしばらくは家でボーっと過ごしていたのだが、1週間を過ぎた頃になると流石に外へ出かけたくなり、何かやる気が起きるまで、と、これまた無計画なまま、ほんの少しの貯金を下ろし軽自動車で無計画な1人旅に出ることにした。外界の情報は一切シャットダウンしてしばらくは一人の世界を過ごそう、そんな風に考えていた自分の左ポケットには、いつもiPhone12が入っていた。


最初は温泉宿を転々としていたのだが、次第にそれもつまらなくなり、少しづつ、あまり人が泊まらないような宿を探して泊まる、そんなことを繰り返していたある日のこと、一軒家の古民家に一人で宿泊できるという場所を民泊紹介サイトで見つけた。写真を見ると外観は古びた感じだが、室内は20畳はありそうな板の間に長い廊下、部屋からはずっと先まで続く田園風景が一望できそうだった。居心地が良ければ連泊しよう、そんな風に考えながら、宿泊申し込みのボタンをポチッと押して、ここから100km以上離れたその古民家へと車を走らせた。


宿に着く前に一度連絡をするようにとオーナーからメールが届いていたので、宿に近いコンビニで1人宴の材料を買い出してから、オーナーに電話をすることにした。


『もしもし、斉藤と申します。今日、そちらに宿泊予約をした斉藤です。いま、すぐそばのコンビニにいるので、10分くらいしたらそちらに到着すると思います』


『ああ、斉藤さんね、いま、ちょっと手が離せなくて、娘を向かわせるので、ついたら玄関先で待っていてくださる?』


そう言って電話は切れた。


私はすぐに車を走らせてその古民家へと向かった。信号のない交差点を右折し、左手に小川が流れている細い道を進んでゆく。見渡す限りに広がる田園風景が心を和ませてくれた。やがて左手に橋がかかり、そこを渡った先にある、薄暗く赤い鳥居が正面にある鎮守の森を左に曲がってしばらく行くと、今日宿泊する古民家が見えてきた。写真で見たより随分と古く、瓦屋根や土壁は少し崩れているような感じであったが、人の手入れはされているYouTubeでよく見るような雰囲気の古民家であった。


私は古民家の先にあった納屋の前に車を止めて、言われた通りに玄関の前で娘さんが来るのを待っていた。部屋の中はどんな感じだろう?玄関に少し手をかけると、ほんの少しだけ横にカラカラと玄関の扉が開いた。鍵が、かかってないのか。。。

そう思ってゆっくり扉を開けて玄関の中を見たその時、私は驚いて半歩後退りした。

そこには、制服姿の女の子がガラス戸の隅から顔を覗かせて、じっと、こちらを覗くように見ていた。


『あ、斉藤です。こんにちは。こちらの娘さん?』


そう話しかけても返事はなく、ただじっと、こちらを見つめていた。


気まずいと感じた私は、車から荷物を持ってくると娘さんに伝えて車に戻り、もう一度玄関に行こうとした。その時、後ろから声をかけられた。


『こんにちは!母から案内するように言われて来ました』


また、驚いた。先程の娘さんだった。さっきは恐る恐るという感じで覗くように見ていたのに、今度はにこやかに話しかけてくれた。


『ああ、さっきは驚かせてごめんね』


娘さんはその言葉に一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐ笑顔になると、何も無かったかのように玄関へ向かい、カタカタっと、玄関の鍵を開けた。


『どうぞお入りください』


私は言われるまま、娘さんの案内に従い部屋へと入っていった...


入ってすぐの部屋は障子戸に囲まれていて、鈍く黒光りした板の床がどこか薄暗い雰囲気ではあるが、人の温もりが感じられる20畳はあろうかという広い板の間で、天井が抜けるように高いのが特に印象的だった。部屋の奥の障子戸を空けると、長い廊下があって、そこからガラス戸越しに見えたのは、ずーっと田んぼが続いている田舎の風景だった。


『この家は築70年以上経っているんです』


娘さんはそう言って、トイレや炊事場、奥にある荷物置き場になっている小さな畳の部屋を順に案内してくれた。一通り案内を終えて広い部屋に戻ると、部屋にある押し入れを開けて


『ここにお布団があるので使ってください。他にぬいぐるみとかあるけどそれは気にしないでくださいね』


といって微笑んでいた。確かに布団のとなりには、あんぱんまんやらキティーちゃんやら、そこにあるのが似つかわしくないぬいぐるみが置かれていた。


『ありがとう、お手伝いお疲れ様でした』


そう言ってお礼を言うと、娘さんは嬉しそうな顔をしてぺこっと頭を下げて、玄関の扉を開けて家を出ていった。


時間はまだ16時を過ぎくらい。少し早いとは思ったが、特にやることもないし、移動で疲れていたので、買ってきた焼酎を紙カップに入れて、つまみを広げて一人で飲み始めた。テレビもなく周りには他の家もないせいか、部屋の中は静まり返っていた。紙カップの焼酎がすぐに消えてゆく。

私は何をするでもなく、気がついた時には鈍く黒光りする床に寝そべって、ぼーっと部屋の障子を眺めていた。コンビニで買ったイカのゲソをくちゃくちゃと噛みながら寝たり起きたりを繰り返しているうちに、いつの間にか眠りについていた。


どのくらいの時間が過ぎたのだろうか、

まどろみの中で私は、


『ふさっ、ふさっ』


と、小さな音を聞いていた。


『ふさっ、ふさっ』


『んー、なんだろう、ネズミか何かいるのかなぁ』


そう思って私は、重たくなっていたまぶたをゆっくりと開けてみた。部屋は暗く、障子戸の白がぼんやりと部屋を明るくしているように見えた。どうやら、すっかり日が暮れているようだった。


しばらくして、薄暗い部屋の1番奥に見える障子戸の前に、誰かが座っているように見えてきた。薄目を開けたままジーッとその姿を凝視していると、


『ふさっ、ふさっ』


と、その人影は左手で何かを投げては取ってを不定期に繰り返してしいる女の子のように見えた。


『あ、あの娘さんだ』


そう、徐々に見えてきたその人影は、明らかに、制服を着たあの娘さんだった。私は急に起き上がっては怖がらせるかも知れないと、うーんと言って寝返りを打つ素振りをしながら、ゆっくりと上半身をもちあげて『ふぁーっ』と大きなあくびをした後に、iPhoneを手に取って時間を見た。まだ、19時を過ぎたくらいだった。


『あ、娘さん?こんばんは。ごめんなさい、すっかり酔って寝てしまって。まだ何か手続きがあったかな?』


そう言って話かけながら、部屋の電気をつけた。

広い部屋はまだ少し薄暗いものの、ふわっと白色に照らされていた。娘さんは先程と同じ制服姿で左手には紙風船を持っていた。

『ふさっ、ふさっ』という音は、紙風船を手のひらで打ち上げていた音のようだった。


『今日は、ここに泊まるの?』


ふいに、その娘さんは私に聞いてきた。私は咄嗟に、この娘さんは何か精神的な問題を抱えていることを疑った。受け答えは慎重にしないといけないな、そう考えて、聞かれたことには素直に受け答え、変だと思っても、それは繰り返し聞かないことにした。


『そうだよ、ここはとても雰囲気が良いから、もう一泊してもいいかもね』


そう答えると彼女は嬉しそうに微笑んでこう続けた。


『ここはずっと昔から沢山の人が集まる家だったけど、コロナ禍になってから、ほとんど誰も来なくなって、だから、ずっと寂しい感じだったけど、でも、こうしてまた泊まりに来てくれて嬉しいです』


『そうだよね。お父さんお母さんも大変だったんじゃないのかな?』


『母は誰かが来てくれないと家が朽ちてゆくと言っていました。だから、私は毎日ここに来て、床や窓を拭いたり、掃除をしたりしていました』


『凄い!偉い!感心だねー』


そんな会話をしている時にふと、

この状況があまり好ましくはないと思い始めていた。何故なら、40代のおっさんと高校生くらいの女の子が夜に同じ屋根の下で2人きり。

もし誤解でもされたり、娘さんが何かを訴えれば、

全ての責任は私に・・・。


そう思って私は


『ちょっとお母さんに電話するね』


そう言って先程かけた番号に再び電話をした。



『あ、もしもし斉藤です。今、お嬢様がこちらに来ているのですが、もう19時を過ぎていますし、心配されているんじゃないかってお電話をしたのですが』


『あ、斉藤さん、すみません、わざわざ連絡いただいて。だいたい娘がいない時にはそこにいっているので、今日もまた行ってるんだろうなと思っていましたが、何かご迷惑をおかけしたでしょうか?』


どうもよくあることのようで、むしろ申し訳なさそうな口調でこう続けた。


『ご迷惑でなければ娘がそこで掃除やら片付けやらしていると思いますので、そのままお気になさらぬようにお願いしてよろしいでしょうか?』


『もちろん私は大丈夫ですが、外も真っ暗ですし、帰りが少し心配ですね』


『うちは同じ橋を渡った側なので大丈夫です。ただ、一つお願いしてよろしいでしょうか?』


『はい、なんでしょうか?』


『夜9時にはそこを出て家に戻るようにと、娘に伝えていただけないでしょうか?』


『9時ですね、わかりました、伝えておきます』


『ありがとうございます。お願いします』


そう言って電話は切れた。


『9時には帰ってくるようにとお母さんは言ってたよ』


娘さんにそう伝えると


『はい』


という素直な返事が帰ってきた。


『もし掃除とか何かすることがあれば気にせずにやってくださいね』


娘さんにそう言って私はまた焼酎を飲みかけてやめた。彼女は精神的な問題を抱えている、間違っても傷つくことがないよう、冷静な対応で受け答えをしなくてはならない、とはいっても、この歳の女の子の扱いなど知らぬ自分にとっては、どうしていればよいのかもわからずにいた。そんな自分の気持ちを察してなのか、娘さんは色々なことを話し始めてくれた。


学校の生徒数は田舎のわりに結構多いらしく、男子生徒の方が多いこと。その男子生徒達は皆子供っぽくて、そのくせいやがらせをしたりするから好きになれないこと。学校で飼っていたニワトリが先日イタチに襲われていなくなったこと。若い先生同士が付き合っているのを2人は内緒にしているけど、生徒はみんな知っていること。都会は人が多いから行きたくないこと、早く卒業して家の手伝いを続けたいこと、この場所からはずっと離れずにいたいこと、などなど。


さらに話は続いていった。


『実は友達から服をもらっていて、母には内緒にしているんだけど似合うかどうか不安だしわからなくて』


『そうなんだ、君ならなんでも似合うと思うよ。どんな服なんだろ?』


『みたいですか?』


彼女は急に身体を乗り出して私に見て欲しいような素振りを見せた。


『もちろん、でもその服はお家にあるんでしょ?』


『実は、この家に隠しているんです』


ニッと微笑んだ彼女はそう言って、奥の障子戸をあけて、長い廊下の先にある小さな畳の部屋へと入っていった。


しばらくして、長い廊下の先にある畳の部屋から娘さんが出てくる音がした。ゆっくりと廊下を歩きながら

なにやら『う〜ん、う〜ん』と言っているのが聞こえてくる。障子戸の前に来た時にもう一度 『う〜ん』と言ってから、娘さんはゆっくりと障子戸を開けた。

娘さんはきれいな淡いブルーのワンピースを着ていた。とっても可愛らしかったのだが、見た目にどこか違和感を感じていた。娘さんは両手を首の後ろに回して何やらモゾモゾと手元を動かしていた。


『あぁ、なるほど』


どうも違和感を感じていたのは、ほんの少し大きめのワンピースが、妙に首根っこを掴んだように上に引っ張り上げられていたことだった。それは首の後ろで結ぶ紐が根本まで強く結ばれている為であることが、こちらから見て容易に理解することができた。

娘さんは結ぶ強さのあんばいに違和感を感じて『う〜ん』と、言っていたようだった。


『後ろで結ぶのが上手くいかないみたい?』


娘さんにそう伝えると、彼女はこくりと頷いた。


『いやでなかったら結んであげようか?』


こう伝えると娘さんはニコっとして


『やってもらおうと思ってました』


そう言って私の前に来て後ろを向いた。

私は服の形をみながらちょうど良い位置を探して、

少し大きめの蝶々ができるように結んであげた。


『どうだろ?』


『良いです!』


そう言って娘さんはニコニコとしながら部屋でくるりと身体を一回転して見せた。


『よく似合っているね』


そう伝えると、わーい、と言いながら、部屋を行ったり来たりくるくる回ったりと、喜びを身体で表現していた。自分がまともに結婚をして子供もいたなら、ちょうどこの娘さんくらいの子がいたんだろうな。そんな風に考えていたら、彼女が喜ぶ姿が、より一層嬉しく感じるようになっていた。


『写真を撮ってあげようか?』


そうだ、写真を撮ってあげよう。

そう思った私は家から持ち出したZ6を鞄から取り出しながら娘さんにそう伝えると、娘さんはニコッとしながらこくりとうなづいた。


部屋の中で、撮影は続いてゆく。


カメラのモニターで確認すると、少し暗い部屋の中で淡いブルーのワンピースが良く映えて、とても可愛いらしい雰囲気で撮ってあげられたようだった。


『後でメールでデータを送るね、iPhone持ってるならAirDropで送るけど』


そう言った時、娘さんはちょっと怪訝そうに一瞬眉間にシワを寄せると、奥の部屋へと行ってしまった。あ、まずい、メールとかなんか誤解されたかな?そんな風に考えているうちに、紙すきをした少し厚めの和紙と短い木目の鉛筆を持って娘さんは戻ってきた。彼女は私の目の前まで来ると、その和紙に何かを書いていた。


『写真はここに送ってください』


そこには、この近くの場所であろう住所が書いてあった。


『わかった、了解。お家の住所だね。プリントしたら送るね』


私は娘さんの言う通りに返事をした。 


『ありがとうございます。私、そろそろ戻ります。ゆっくりと休んでくださいね。ここは鎮守の杜の一部で神さまに守られている場所だから、安心して眠れると思います』


娘さんはそう言って奥の部屋へ行くと、少しして制服姿で戻ってきた。


『ごゆっくりどうぞ』


どこで覚えたのか、娘さんは温泉宿のおかみさんのような言い回しで私に微笑んだ後に、玄関を開けて外へと出ていった。時間は、20時55分を少し過ぎたくらいだった。。。



娘さんが家へ帰ると、鈍く黒光りした広い部屋はシーンと静まり返っていた。さてと、飲んで寝るか。

紙カップに焼酎を注ぎ、ゆっくりと飲みながら、部屋を見渡していると、障子戸の下に娘さんが置いて行った紙風船があることに気がついた。

しばらく私はその紙風船をぼーっと眺めながら焼酎を飲んでいた。紙コップの底に薄く溜まった最後の焼酎を飲み干そうと口に近づけたその時、その紙風船は、誰もいないはずなのに、コロコロと、転がっていった。『風か...』そう思いながら紙風船を見つめる。しばらくすると紙風船はまた、コロコロと転がった。

風のせいとはいえ、まるで誰かに転がされているような、そんな不思議な感覚を覚えたのだが、それ以上に酔いからくる眠気が勝り、私は布団に入ってすぐに、そのまま眠りについていった。

...


はっと、目が覚めた時、部屋は明るく外からは鳥のさえずりが聞こえてきた。iPhoneを見ると、5:31と表示されていた。


『もう朝か、気持ち良く熟睡してしまったなぁ』


そう思ったのも束の間、私は昨夜、自分が夢を見ていたことを徐々に思い出していた。そして、その夢は...

まるで現実のような記憶であることに戸惑った...


昨夜、眠りについていた私は、たしか、まどろみの中で、部屋の奥の方から、


『ふさっ、ふさっ』


と、小さな音がしたことに気がついていたのだった。


『ふさっ、ふさっ』


まぶたをゆっくりと開けてみると、月明かりが障子戸を通してぼんやりと部屋を明るくしているようだった。その奥の障子戸の前に、誰かが座っていた。


薄目を開けてその姿を凝視していると、

その人影は左手で何かを投げては取ってを不定期に繰り返してしいる。それは、制服を着たあの娘さんのように見えたのだが、徐々に見えてきたその顔は、白い狐のお面を被っていた。


『今日は、ここに泊まるの?』


ふいに、その娘さんは私に聞いてきた...


夢が記憶として鮮明に思い返されてゆく。昨日娘さんとやりとりしたことと、全く同じことを、私は夢の中でも繰り返していたのだった。

学校の話も聞いたし、早く卒業したいことも聞いた、そして...淡いブルーのワンピースの後ろ、少し大きめの蝶々を作って結んであげたことも、写真を撮ってあげたことも...ただ、夢の中のあの娘さんは、いつも白い狐のお面を持ち歩き、話をする時には必ずそれを被っていた。



『写真...』すぐに私は枕元にあったZ6を手に取り、データを確認した。。。そう、昨日撮影したものも含めて、私は娘さんの写真を300枚近くは撮ったはずだった。


『! 撮影画像がありません』


モニターに映し出された文字に唖然とした。昨日あんなに撮影したのに。私は少し焦って、娘さんの住所が書かれた和紙を探した。和紙はすぐに見つかった。えんぴつでしっかりと住所が書かれていた。


『なんだ、良かった、でも、データが消えちゃったから、後で電話してもう一度、写真を撮らせてもらわなきゃだな』


そう思いながら、その住所の場所が気になり、いけないとは思いながらも、私はGoogleMAPでその住所の位置を検索した。そして、表示をされたのは...


橋を渡って正面に赤い鳥居が見えた、ここからすぐ近くにある、あの、神社だった。


私は焦りはじめていた。


まだ6時を過ぎたくらいというのに、私はあの母親に電話をかけていた。しかし、今はいくら掛けてもコールの音は鳴らずに、『もう一度おかけ直しください』という自動音声が流れて切れてしまう。私はさらに焦っていた。気になってメールも開いてみた。確かにメールは届いていたし、注意事項も書いてある。近くに来たら連絡するようにとも書いてある。少し安心して何度かメールを読み返しているうちに、今まで気に留めていなかった古民家のオーナーの名前が無性に気になりはじめていた。


『岩田哲雄』


私はここに来てから、岩田哲雄という人には、会うどころか、話しもしていない。あの母親からは夫や父親という話は出ていなかったし、娘さんからは『母は』という言い方だけで、両親や父親、お爺さんという話は一度も口にはしていなかった。よくよく考えてみると、昨日私が橋を渡ってから会った人は、あの娘さん、1人だけだった。そういえば、電話の声も、どこか遠く蓄音機のスピーカーから聞こえてくるような不思議な声だった。私は再度メールを読み返し、書かれていた連絡先の電話番号に目をやった。番号を一つ一つ確認していくと、今まであの母親と電話で話をした番号と、書かれている番号は、下二桁目が異なっていた。あの親子と繋がるものが、淡雪が溶けるように一つ一つ消え去っていく事実に、家族を失ったかのような喪失感にも似た感情に、心は支配されていった。



私は連泊の申し入れをする為にメールに書いてある番号に電話をした。時間は7:30を過ぎたくらいだった。


『はい、岩田です』


すぐにオーナーの岩田さんが電話に出た。


『もしもし、おはようございます。斉藤です。

昨夜泊まらせていただいた斉藤です』


『え?斉藤さん?昨日泊まったの?何にも連絡がないから、すっかりドタキャンされたのかと。

だって、鍵は、どうしたんですか?』


『鍵ですか?かかってませんでしたよ』


最初に鍵がかかっていなかったのは事実だった。


『そうでしたか?でも着く前に連絡するようメールを送りましたよね?当日確認の為に宿泊者には必ず連絡してもらうようにしているんですよ。無断で宿泊されちゃうとこちらも困っちゃうんだよね』


『それは、すみませんでした。あ、それで、

今日も宿泊ができないかと思いまして』


『だめだめ、しばらくは予約で一杯ですから。

もうチェックアウトでいいですか?』


岩田さんは立て続けに聞いてきた。私はその勢いに押されて思わず、『はい』と、返事をしてしまった。


『では布団はそのままでよいですが、ゴミは持って帰ってくださいね。はい、どうも』


『あの』


私は電話を切ろうとした岩田さんを呼び止めた。


『はい? 何ですか?』


『岩田さんのご家族に、高校生くらいの娘さんはいらっしゃいますか?』


『いえ、独り身ですから』 


即答だった。


『わかりました。ありがとうございました』


電話を切ろうした私を、岩田さんは呼び止めた。


『何か、ありましたか?』


一瞬ためらったものの、私は、昨日の出来事を岩田さんに伝えた。ここに到着する前に電話をかけたら女性が電話に出たこと、後で調べたら何故か番号が間違えていたこと、高校生くらいの娘さんに家の中を案内してもらったこと、娘さんは部屋の掃除や片付けをしながら色々話をしてくれたこと。岩田さんは、ずっと黙って話を聞いていた。


『信じていただけるかわからないですが、昨日電話しなかったのは、こうしたことがあったからです』


私がこう言い終えてから少し間を置いて、

岩田さんは話し始めた。



『斉藤さん、以前、もう5年以上前になるんだけど、確か、幼稚園くらいの女の子を連れた若いご家族3人が泊まりに来た時があってね、なんでもその女の子が、お姉ちゃんと紙風船で遊んでもらった、そう言ってたことがあって...』


紙風船、私はすぐにそれがあの娘さんだとわかった。


『なんでも小さな女の子が夜中に1人で起きだして、部屋の端っこで誰かと話をするように独り言を言っていたので、若い夫婦が誰と話をしているのか聞いてみると、なんでも、お姉ちゃんと遊んでいるんだとか。それで、今度ぬいぐるみを持ってきたらそれで遊んであげるとか言っていたようで...』


ふふっ、あの娘さんらしいな。

私は微笑みながら、岩田さんの話を聞いていた。


『それでそのご夫婦は気味悪がってしまって、夜中のうちにそこを出て、次の日の昼くらいにぬいぐるみを持って私のところにやって来て、古民家にこれをお供えしてお祓いをして欲しいと。もちろんそんな話、私は信じられなかったんだけど、変な噂話が広がるのもいやだからと、神社の宮司と町内会の責任役員にお願いして、その日のうちに一緒にお祓いをして、それでその夫婦には、ここで起きたことは口外しないよう、お願いしたことがあったんですよ』


押し入れのぬいぐるみは、その時のものだったのか。


『斉藤さん、あなたも何かを見たんですか?』


お祓いなんて大袈裟な。ただあの娘さんは、その小さい女の子がなにもない古民家で1人つまらなそうにしていたの見て、いたたまれなくなって遊んであげただけだろうに。しかも何かを見たかって、そんな言い方...


私は一瞬、オーナーの発言にイラっとしたのだが、私以外の人があの娘さんと会っていたという話を聞いて安心した。


そう、あの娘さんは、確かにこの古民家にいたのだ。


『そうだったんですね。お話しいただきありがとうございました。私はこれ以上の話はもうしませんから安心してください。これ以上、この話をする必要はないように思いました。色々とお話をさせてしまってすみませんでした。そうですね。チェックアウトします。お世話になりました。ありがとうございます...』


『絶対に、誰にも言わないでよ、絶対に...』


『もちろんです。誰かに話をしたところで面白がってからかわれるだけで、誰の為にもなりませんから...』


そう言って、電話を切った。



...私は電話を切ってから、ゆっくりと身支度を整えると、『また来ます』玄関先であの娘さんにそう告げて、この古民家を後にした。

車に乗り、ゆっくりと橋に向かって進んでゆく。すぐ左手には赤い鳥居が見えてくる。私は、鳥居の手前で車を止めて、歩いてその神社へと向かった。鳥居の前で一礼をして前を見ると、奥の方に小さな祠が見えた。境内や祠は少し古い感じはしたが、手入れはされているようで、今も近所の方なのか、祠の周辺を竹箒で掃除をしている方がいた。


『おはようございます』


私はその方に挨拶をしてから、手を合わせてあの親子、というよりは、あの娘さんへと語りかけた。


『お世話になりありがとうございました。また近いうちに伺いたいと思います。あ、それから、カメラのデータが全て消えてしまったので、写真を送ることが出来なくなりました。ごめんなさい。次に来た時に、また、撮影させてください。よろしくお願いします』


手を合わせて話し終えると、祠の周りを掃除していた方が会釈をしてくれたので、私も軽く会釈をして、何かあの娘さんに繋がることはないかと思い、話しかけてみた。 


『お疲れ様です。いつもお掃除をされているのですか?』


『この近所はぁ当番制で、こん月はうちが掃除やっから、毎日朝8時には祠の扉があけて、周り掃除して、夜9時になると祠を閉めてお参りすっから、結構大変なんだわ』


訛りの入った話の中で、夜9時という言葉ははっきりと聞き取れた。あの母親が家に戻るようにと言っていたのは、確か、夜の9時だった。


『大変ですね、夜の9時には必ず祠を閉めるしきたりなんですか?』


この質問にはちょっとまずそうな顔をしながら近づいてきて、小声でこう答えた。


『面倒でたまに忘れっこともあっぺよ、飲んでる時とかなぁ』


そう言ってまた、祠の周りをはき始めた。


そうか、あの時は、閉め忘れていたんだな。

そう思いながら私は核心に迫ろうと、ここには何が祀られているのかを聞きかけて、言葉を止めた。今の私には、何が祀られているのかは重要ではなかった。何故なら私の中で、あの娘さんとの繋がりがまた、作られ始めていたからだった。

私はその方にお礼をいって小さな祠を祀った神社を後にした。



私は車を走らせてすぐ、行き道で寄ったコンビ二に車を止めると、コーヒーを買って車に乗り込み、次はどこに行こうかと、携帯で行き先を探そうとしていた。ふと、iPhoneの画面左側、SnapBrigeのアイコンの右上が、赤く1.と表示されていることに気がついた。


『あれ? これは.....なんだったっけ?』


私はSnapBrigeを開くと、真ん中の携帯のマークに小さな黄色い丸を見つけた。


そこをタッチして見た時に...


溢れ出す感情を抑えることが出来ず、私は、

車の中で、声をあげて泣いていた。


そこには昨夜、あの娘さんを撮影したデータが、

一枚だけ残っていた。試しにWi-Fiで飛ばしておいたものが、携帯に残っていたのだった。


『君は.....ここにいたんだ』


家庭を持たずここまで過ごしてしまったことに、ずっと、劣等感を抱いていた。この歳になり、両親に孫を見せてあげられなかったことを悔いていた。いま自分に子供がいたのならと、夜になると考えるようになっていた。子供がいたのなら女の子が良かった、そんなことまで考えるようになっていた。あの娘さんは、私が誰にも言わずに心の奥底にしまっていた感情から生み出された虚像なのかもしれない。心の闇を悟ったあの祠の神様が、昨夜だけ、私に夢を見せてくれたのかもしれない。


どんな理由であれ、目の前の画面の中で、

あの娘さんが座ってこちらを見ているのは、

間違いのない事実だった。


私は、泣き続けた。



あれから私は、旅をやめて家へと戻っていた。

また一からやり直す決心をして、仕事を探し始めていた。最初はコネもない50近い独身男を雇ってくれる会社は見つからず苦戦もしたのだが、そのうち前職の履歴に興味を持った会社が数社声をかけてくれて、

私はその中の1社に採用が決まった。


人生のパートナーを見つけることには消極的であったが、あの件があって以来、不思議と女性との縁が増えているような気がしていた。それでも私は、自分の力で運命を変えるつもりで、マッチングアプリに登録をした。何か新しい一歩を踏み出せるような、そんな気がしていた。


そういえばあの古民家は、民泊をやめてしまったらしい。民泊紹介サイトからは消去されていた。

おそらくあの母娘がなんらかの理由で、あのオーナーへの力添えをやめた為であろう。


あのデータはどうしたかというと、

娘さんと約束した通りにプリントして、

あの神社の住所へと郵送した。


それでデータは消去した。


あの娘さんがあの古民家にいたという事実が、

私の記憶の中で生きてゆくのならそれでいい、

というか、あれからいつも側に、

あの娘さんがいるような、

そんな不思議な気持ちに包まれていたからだった。


ありがとう、いつかまた、夢の中で会えますように。


あの娘さんに感謝の気持ちを伝えて、


私は眠りについた。

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