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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

飛び込み自殺

 朝、田宮徹は駅で電車を待っていた。

 田宮は三十七歳のサラリーマンである。勤めている会社はいわゆるブラック企業で、長時間のサービス残業が当り前だった。

 毎日決まった時刻に出社しなければ散々上司に怒鳴られる。それにも拘わらず、終業時刻通りに帰ろうとすればこれも怒鳴られ、そんなに暇ならと余計に仕事を押しつけられる。

 田宮は人生に疲れ切っていた。ぼーっと電車を待ちながら、なんとなく人生の意味について考える。

 どうして自分は生きているんだろう。どうして自分はここで電車を待っているんだろう。そんなにあの会社に行きたいのだろうか。

 今から家に帰ってやろうか。無断欠勤で解雇になったとして、果たして自分はショックだろうか。

 田宮は頭を振ってその考えを打ち消した。いいや、そういう問題ではないのだ。もし今の会社を辞めても、自分には居場所がない。この歳で再就職は難しいだろう。輝かしいキャリアや資格があれば別だが、そんなものとは無縁だ。だからこそ、今の自分はあんなくだらない会社に勤めているのだ。あそこを辞めても、再就職先は別のブラック企業になるだけに決まってる。

 自分は無意味で苦痛しか無い人生に耐え続けるしかないのだろうか。じゃあ、それはいつまで? 定年後? あと三十年も我慢しなければならないのか?

 いや、そもそも定年後の自分は幸せだろうか。恋人なんかつくる暇は無いし、老後の自分は孤独だろう。金も無いから、孤独を紛らわせるほど贅沢もできない。

 自分にはもう、逃げ場は無いのか?

 田宮がそう思った時、右側から電車が来る音が聞こえてきた。

 いや、逃げ場ならあるじゃないか。

 電車がこっちに近づいてくる。田宮は運転手が警戒しないであろう、ぎりぎりの位置まで前に出た。

 早く来い、早く来い、早く来い。

 田宮は心の中でその時を待ち望んだ。そして、電車が通過しそうになる瞬間、電車の前に飛び込んだ……はずだった。

 なぜか、田宮の体はホームの外へと飛び出す直前に動かなくなっていた。それだけではなく、視界の端で電車までもが動きを止めていた。よく見ると、完全に止まっているわけでもなく、ナメクジのようにゆっくりと動いている。自分の体も同じようにゆっくりと動いているようだ。

 どういう事だろう、と思っていると、どこからともなく明るい男の声が聞こえてきた。

「こんにちは。はじめまして。私は横山和宏と申します。この駅で自殺した幽霊です」

 声だけ聞こえて、姿はどこにも見えない。田宮の戸惑いをよそに、横山と名乗るその男は矢継ぎ早に語り出した。

「今の私は肉体を持たない、いわば思念体のような存在なので、このメッセージは私の意識をあなたの脳に直接送り込むことで伝えています。だから私の姿は見えないし、この声はあなたにしか聞こえません。

「まあ、気になる事が山ほどあるでしょうから、順を追って説明していきますよ。

「今、あなたの体も、そこにある電車も、止まって見えるほど動きが遅くなっていますよね。ただ、正確に言えば、物の速度自体は変わっていないんです。変わっているのは脳。あなたの脳が、ゆっくり動いていると感知しているだけなんです。

「走馬灯って聞いた事あるでしょう? 人が死ぬ前に、今までの思い出が一瞬のうちに走馬灯のように頭に浮かぶっていう、あれです。あれはなぜかというと、死を回避するために、脳の情報処理能力が飛躍的に上昇して、生存する方法を模索するからなんです。要するにリミッターが外れて、日常ではあり得ない程に頭の回転が速くなるわけですね。

「それで、短時間にいつもより多くの情報を見たり聞いたり、思考できたりするので、その分、物が動く速度が相対的に遅く見えるんです。

「今のあなたの脳はまさにそのような状態にあります。あなたは電車に飛び込んで死のうとしました。それにより脳のリミッターが外れて、周囲の物が遅くなっているように見えるのです。そして、私のこの長い説明も、ほんの一瞬で理解できてしまう。

「私はそれを利用して、あなたに言いたい。どうか自殺は止めてください。私も思い詰めて、この駅で電車に飛び込み、自殺しました。そして、とても後悔しています。何でかと言うと、もう痛い、苦しいなんてものじゃないですよ。

「私の体は電車に衝突して、骨も内臓もめちゃくちゃに潰れたはずです。そしたら即死すると思うでしょう? でも違うんです。数秒は意識があるんですよ。しかも、今のあなたみたいにリミッターが外れてますから、その数秒が永遠のように感じられるんです。まさに地獄でした。

「だから、あなたには絶対に自殺してほしくないんです。分かりましたか?」

 田宮は返事をしたかったが、口がゆっくりとしか動かせなかった。

 すると、横山が言った。

「ああ、喋らなくても大丈夫です。頭に言葉を思い浮かべれば、私に伝わるので」

 田宮はそれを聞き、その通りにした。

(横山さん。わざわざ教えていただいてありがとうございます。あなたの言う通り、自殺は止める事にします。そんな恐ろしい目に遭うとは思ってもいませんでした)

 横山は嬉しそうに言った。

「それは良かった。では、後ろに下がるように体に力を入れてください。あなたの体は勢いがついているので、今のままだと飛び込む気が無くても電車に接触してしまいます。後ろに倒れるくらいの感じで足に力を入れてください」

(はい、分かりました)

「これで、あなたは助かります。それではお元気で」

 横山がそう言うと、電車の動きが少しずつ速くなった。その速度は見る見る上昇していき、あっという間に元の速度に戻った。それと同時に、田宮は尻餅をつき、電車との接触は避けられた。

 その直後、けたたましいブレーキ音と、それに紛れて電車に何かが衝突する音が聞こえた。自分以外の誰かが電車に飛び込んだようだ。ホームは客の悲鳴で騒然となった。

 田宮は線路を覗き込み、死体を見た。自殺者は女性で、その顔は苦痛に歪んでいた。

 呆然と立ち尽くす田宮の頭に、横山の声が静かに響いた。

「同時に二人も助けられませんよ」

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― 新着の感想 ―
ラスト。 一工夫加わった意外なオチ。 上手です。
悪趣味。 しかし、面白かった。 強いて言うならば、文字がみちっと詰まってて読みにくいくらい
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