一人芝居
私は自他よりも上だと思い込んできた。
口では、「大したことない」「私以外が凄い」と言えども、矢張りその黒い腹の奥底では人を見下し愉悦の中で自己を保っていたのである。
しかしながら、それは、隴西の李徴のように臆病な自尊心と尊大な羞恥心のもとで飼い太らされたものなのだ。
才能はないと言いながらも、他者より下であることを認めず、しかしながらに人に嫌われるのを恐れるが故に自信を持つこともなく。
趣味を一身に磨くことも夢を追いかける努力もしなかったが故に、自分よりも遥かに学力が劣り、そして自分よりあとにその道を進んだ人間より劣る結果となったのだ。
そんな自堕落な私が何故人を恨めるだろうか。
そして、そんな中でも人は変わらぬ。
虎にこそならなかったとは言え、その自身溢れていた表情は暗く下ばかり向くようになり、好きで進んだ道も閉ざし、しかしながら周りと同じように社会に出て働くこともせず、人生というものを空費しているのだ。
「生きるなんて行為に何か価値があるのか」など抜かせども、実際は己の器の小ささに、己の才能の乏しさに、己を未熟さに、気づかれるのが嫌なだけなのだ。
「私は愚かでした」
そう笑ってお道化をすれど、中身は今も変わらぬ。その腹の中の鬱屈とした感情が滲み出て蠢いている。
片付かない部屋と溜まりに溜まった”やらなければならぬこと”が私を崖へと追いやる。
時が経てばこんな独白も笑い話となるのだろうか。しかしながら、それを思ひ出にするための方法が未だにちっとも分からない。
思ひ出になるまで耐えられる方法とやらが分からない。
世の中はどうしてこんにも当たり前に回っているのか。
彼らの腹の中にもこのような事柄が眠っているのではないのか。
嗚呼、私には分からない。
己のことさえも分からぬ者が他者を知ろうとするとはお門違いか。
人は何故悩まねばならぬ。
何故人は生きているだけで苦しまなければならぬ。
嗚呼、嗚呼、そうでございました。
こんな事を言ってはおりますが、私はこうも口を大きくして人生を語るほど長くは生きておりませぬ。
経験もなければ大した過去もありませぬ。
そう、これは一種の狂言なのでございます。
まるで中島敦の山月記のような、太宰治の人間失格のような。
かの文豪の真似事をする子供のお戯れなのでございます。
だからどうか嗤って聴いて下さればよいのです。
才能があると勘違いした一人の人間のどうしようもない起承転結もない日常を。
なんの面白みもありませぬ。
甘酸っぱい恋物語もありませぬ。
ただ、同じ日常を繰り返す単調な物語でございます。
さぁさぁ皆様お聴きくだされ、可哀想な一人芝居を。
嗤って、野次を飛ばして、聞き飽きたら帰って下さって構いません。
物書きに憧れた子供の痛々しい一人芝居。どうか少しばかり聴いては貰えぬでしょうか。