第六話 陸軍赤羽飛行場
昭和二十年の冬の晴れた朝、陸軍赤羽飛行場では日本陸軍の戦闘機、飛燕が翼を休めていた。
その飛行場の一角に建てられた建物の中を、顔立ちの整った若き陸軍士官、伊吹芳彦中尉は廊下からドアを開け、自分の執務室に入った。
そこには部下の本田史郎軍曹が少し緊張感のない顔で、勝手に机の前の椅子に座って待っていた。
「どうした?」
伊吹は脱いだ軍帽を机の上に置きながら本田に言った。
「ニュースがあります。
いいニュースと普通のニュースと悪いニュース。
あ、それ本部の通信係の女の子が持ってきてくれました」
本田は陸軍の軍人としてはあり得ない軽い口調で、机の上の羊羹を指差した。
羊羹の横には茶が添えてあった。
「二切れあったので一つは俺がもらいました」
「おい」
伊吹は呆れたように眉をひそめ、口元だけで小さく笑った。
「さすが伊吹さん、異動早々モテますね」
伊吹は自分の椅子に座り、羊羹を楊枝に刺して頬張った。
「まぁいい。
……航空糧食じゃない羊羹は久しぶりだな。
悪い方から頼む」
「悪いニュースはルソン島に敵が上陸しました」
「そうか、いよいよだな」
伊吹と本田は深刻な顔で目を合わせた。
彼らは先月まで、フィリピンのルソン島で制空戦を戦っていた。
だが、戦闘機隊は壊滅し、生き残った二人は日本本土への引き上げ命令を受けた。
そして現在は、本土防衛を担う飛行第百九十一戦隊に所属している。
「普通のニュースは二つ、一つは第三中隊の編成が認められるみたいです、伊吹さんが中隊長。
自分もそこに入ります。
もう一つは近所の菓子屋で定期的に甘いものが買えるそうです。
さっき食べたのがそれです」
伊吹は椅子にもたれ、静かに息を吐いた。
口調は淡々としているが、少し期待するような響きがあった。
「菓子はともかく、新しい中隊は多少やりやすくなるな。
で、いいニュースは?」
「いいニュースは我々が昨日捕捉し損なった、単機でやってきたB-29の件です。
落とした爆弾は浅草に落ちましたが、やっぱり不発だったみたいです」
「よかった」
その報告に、伊吹はわずかに目を細めた。
安堵の色が顔に浮かぶ。
「ただ、調査中の工兵隊の上に不審者が落っこちてきて、騒ぎになったみたいですが」
「落ちる?どういうことだ?」
伊吹は少し眉を寄せて、本田の言葉の意味を測るように問い返した。
「日本語を話す変な背広を着た少年だったそうですが、結局取り逃したとか。
スパイですかね」
本田の口ぶりは軽いが、その背後にある不穏さを伊吹は見逃さなかった。
「白昼堂々と潜入するスパイがいるとは思えないし、落下傘で降りた乗員もいなかったはずだ」
「そうですね、自分も見てませんし。
ところで、電話はしたんですか?」
伊吹は居心地悪そうに窓の外に視線を動かした。
「まだだ、暇がなくてな。
今日もこれから小牧に行ってくる。
新中隊分の飛燕をぶんどってこないと」
「電話なんて、すぐできるじゃないですか。
いいんですか、女心と……」
そのときドアをノックする音が室内に響いた。
「永野伍長であります!藤田戦隊長殿からのお届け物でお伺いしました!」
本田が慌てて立ち上がり、直立不動の姿勢をとったのを見てから、伊吹は永野伍長の入室を許可した。