発達障害児を育ててると思ったら自分も発達障害者でした。〜29歳でASD・ADHDと診断された自分が「強度行動障害支援」についての講演を聞いて感銘を受け、書き残して伝えたいこと~
ご覧いただきありがとうございます。
いつも見てくださる方、毎回元気をいただいています。
今回初めてご覧いただいている方、はじめまして。
日々お疲れ様です。この下の本文、書きたいことを書いております。
読んでいてつらいな、苦しいな、と思われる方、ご自分のご健康が何より大事でございます。
ご自分の心に正直に読まなかったり、読んだり「あなたがあなたを大事にして行動していただけること」が私にとっての幸いでございます。このあとも素敵な一日を過ごされますように。
こんにちは! ハルユキと申します。
前回のエッセイ【短編】 『発達障害児を育ててると思ったら自分も発達障害者でした。〜29歳でASD・ADHDと診断された自分の人生〜「怒りのコントロールができない」ことがお医者さんに相談するきっかけだった自分が、憧れてた"あんまり怒らない人"になれた理由』を見返したら約3年前でしたので、まずは自己紹介をさせてください。
現在自分は36歳。夫と10歳と8歳の息子がいて、10歳の息子はASD(自閉スペクトラム症)と知的障害、8歳の息子はASD、自分自身はASDとADHD(注意欠如・多動症)と診断されています。病名など難しいと思われた方もいらっしゃるかもしれません。大まかにまとめると、私と息子二人は病院で発達障害と診断を受けています。
今回は2025年4月27日に拝聴した「強度行動障害」についての講演会にて感銘を受けたので、日々思っていることを書き残して一人でも多くの方に伝えることができるなら、それにより何か行動が変化していったら、と心からの切実な願いを綴りたいと存じます。
「書いてください。そしてそれを発表してください」
講演後講師の御方へ質問をしに伺ったときに、私に言ってくださった言葉です。
思っているところから一歩踏み出して書いて伝えます。
「なぜ強度行動障害の状態にある方への支援は広がらないのでしょう?」
そもそも「発達障害」はよく耳にする機会も増えたけれど「強度行動障害」って何?
そう思われる方、多いと思います。
自分もここにたどり着くのに時間がかかりました。
私の現時点での願いは、たくさんあるものを整理するとこの三つ。
①福祉を「情報戦」にしないでほしい。
②社会全体もチームで動いてほしい。
③加算したものなどが正しく使われているのかチェック機能がほしい。
①から説明してまいります。
とにかくわかりずらい。支援にたどり着くまでの道が果てしなく遠く感じる。
読んでくださっている方へ「強度行動障害」を説明すると「本人のいのちや健康を脅かす行動、周囲の生活に大きな影響を与える行動が著しく高い頻度で起こるため、継続的に特別に配慮された支援が必要になっている状態のこと(このために使ってくださいよと加算(資金)がつく)。
厚生労働省が使用している用語であり、医師の判断(診断書)ではなく、自治体の福祉課などで判断される状態像のことである。
自閉スペクトラム症は生来の脳の機能障害と言われているが、強度行動障害は彼らの変わらない「特性」を変えようとしたり、ニーズの把握をしない「環境」にさらされ続けた人が困った「行動」を起こす状態像である。
(周りから見て「困った」行動は本人がなにかに「困っている」から起こす行動だと思う。)
(「強度行動障害」について私はこう認識しています。誠実に示しましたが、お詳しい方、ご意見お持ちの御方は感想欄などで教えていただけると大変助かります)
というかね、難しいよ!!!!
「強度行動障害」という単語を知らないと、次の一歩を打てなかったりする。
かかりつけのお医者さんが判断することではないから「この子は強度行動障害ですね~」とか言われないし。
福祉課に尋ねてみても「それって24時間じゃないですよね、では違いますね」って対応だったりする。(今回講演会で「強度行動障害」の状態にある方の映像を見せていただいたが、環境設定の差でずいぶん様子が異なっていた。不安な時は暴れていらっしゃったし、安心しているときは穏やかでいらっしゃった。)
普段の生活では、子を観察し、講演会などにでかけ学び、自身も特性のスペクトラム(連続体)上にいる、子に愛情の眼差しを向けた母親と父親が対応しているのだ。ひとりで通行人しかいない駅(いち例)で「強度行動障害」の状態にならなくて、はじめて「強度行動障害」の状態ではない。といえるのではないだろうか。
個々の判断で判断基準がバラバラでは困るため「強度行動障害判定基準表」というのが用いられるが、こういうものがありますよと教えてももらえなかった。(24時間困った行動をしていないとあてはまらないのか~と素直に受け取っていた。)
①福祉を「情報戦」にしないでほしい。
藁にもすがる思いで解決を願っていることがある。
こちらがその名を口にしないと出てこない常連さん向けの店の裏メニューみたいにしないでほしい。
支援や用語、誰もがたどりつけるわけではないよ。
私はご縁に恵まれて、たくさん今も周りの方にお世話になっていて、だから自分ができる恩返しや循環の気持ちでこの文章を綴っています。
今苦しんでいる方、どうかあきらめないで。
疲れていたら画面を閉じて深呼吸をして、できればできるときに休んでほしいと願いを届けます。
私は28日に参加した講演会で泣きました。勉強しに行ったのにね。
特性や学習スタイルには光があれば影がある。困難さの側面と強みの側面がある。と教えてくださったことが嬉しくて。こんなにも「得意なことを見出そう」をしてくれる視点を持った方が世の中にいるんだと思うと勇気が湧いてきました。だからこれを書いています。
②社会全体もチームで動いてほしい。
「ひとりで抱え込まないで」よく福祉や医療の関係者の方がおっしゃる言葉だと思うので、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
「チーム作りが大事」だと。自分もその通りだと思います。助けてもらって、時には幸いなことに助けになったりして、生きています。
ただ①で示した通り(私自身が感じていることではございますが)用語や支援の情報が得られず家庭で抱え込んでいらっしゃる方もいるでしょう。
「ひとりで抱え込まないで」というわりには「家庭で解決して」と言われているような梯子を外された気持ちになること、多くないですか?
そういうとき「相談に費やしたこの時間、寝て少しでも回復に努めればよかった。」と失敗体験がたまっていき結局「ひとりで抱え込む」状態になることもありますよね。自分はそういうとき、自分には合わなかったけれど他の誰かには合う方なんだろうな。どなたかが救われますように、と願って心を慰めます。
ただ、こどもが暴れ手が付けられなくなり警察の方に来てもらったとき(普段から相談している管轄の児童相談所に先に連絡しましたが「こちらに直接来てもらえたら対応できます。や、お願いだから警察を呼んでくれないかと懇願しても、こちらでは出来かねます。だったため自分で110番しました。親が子を通報するのはつらいですね。(主語が大きいかもなので補足。私は自分のいのちを守るためとはいえ大変つらかったです。)
本当は「発達障害」や「知的障害」に理解がある児童相談所の方に来ていただきたかった。
ただ、その方がケガをするかもしれない状況に来ていただくのはその方のお仕事の範囲外かもしれないし、その方の親御さんや周りの方は大切な人が業務の範囲外で危険な目に合うのも想像外のとても嫌なことだと思う。
最寄りの警察の少年係さん(?)には、こどもの力が強くなり今後が心配である。こういう子が地域にいることを知っておいてほしいと相談済みであった。記録も残してくださった。
しかし、急行できる方がその情報に基づいて行動できるわけではないし、取調室でもこどもが暴れている声が同じ警察署内の別の部屋にいた私にも届いてきていた。
警察官の方は一生懸命に対応してくださっていたし、私が別の警官の方と話している部屋を往復して対処法を聞きに来てくださっていた。
私は聞こえてくるこどもの声から「不安になっているのでこのあと家に帰ることを伝えてください。その際刺激が少なく、残る(声だけだと情報が消える)ので、書いて伝えてください」などお願いした。
警察についてからの彼は恐怖や不安、怒りからか混乱し威嚇していたが、あのくらいは普段の生活でも「あばれてるな。たぶんこうだからだろうな、じゃあこうしてみようかな」と対応していた状態だった。
それでも「話ができません!」と駆け込んでいらっしゃった警察官の方を見て110番を迷っていたが、普段は警察官も対応に困る状況を過ごしてきている自分が「いのちの危険がある」と判断したのなら、110番は緊急事態の解決方法として選択肢に入れておこうと思いました。
でも、難しいんです。
いろいろ終わって、児童相談所の職員の方は「トラウマになるからできればやめていただいた方が……(もう正確に覚えていませんがそういったニュアンス)」、私の気持ちに寄り添ってくださった警察の方は「行政に期待しても難しいかも。医療の力に頼った方がいいかも」などおっしゃり、かかりつけのお医者さんは「入院するなら一般病棟には入れられないから閉鎖病棟。でも普段にこやかに話すこともある子だからマッチしてないと思う」などぐるぐるして、波が過ぎるのを待つ、みたいな感じで。(毎日の服薬や、環境を変えるために学校の転校は行動しました。)
世の中にいろんな相談窓口がありますが、縦割りの情報には強くても横のつながりは希薄だなと感じることがあります。
前置きが長くなりましたが、私は「②社会全体もチームで動いてほしい。」。
対処に当たる方々は、日々研鑽を積まれている得意な分野があると思います。
「ひとりで抱え込まないで」と言いながら「家庭で何とかして」を感じられるように「『厚生労働省』だけで何とかして」となっていませんか? 「厚生労働省」だけで抱え込むのではなく「文部科学省(教育)」「国家公安委員会(警察)」「法務省(弁護士)」と連携し縦割りを越えたチーム作りを是非していただきたいと存じます。
児童相談所の職員として日々頑張っている友達も、警察官の知り合いもいます。学校の先生になられていらっしゃる近所のお兄ちゃんも。
目指すもの、志、尊敬します。
知らないこと、思ってもないことに対応するのはそういった方をもってしても難しいと思います。
だから経験した自分にしかできないこと、いつも皆さんに助けていただいている当事者だから感じる生の声を書き記し届けたいと思います。
人材が足りない。予算が足りない。時間が足りない、いろいろあるとは存じますが、専門家チームの皆様が動いてくださって、社会に浸透してきた未来には、駅などで遭遇するかもしれない通行人の方も「困る人」は「困っている人」なのかもしれないという視点の引き出しがふえているといいなぁと願います。
こんなに長い文章にお付き合いくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
『「困る人」は「困っている人」なのかもしれない』もし良かったらこの視点あなた様の引き出しの一つに持ち帰ってやってください。
③加算したものなどが正しく使われているのかチェック機能がほしい。
「加算」とは何か。私自身もよくわかっていません。
障害児の親であり、発達障害の当事者でもあるのによくわからないのです。
「強度行動障害」の方は「本人のいのちや健康を脅かす行動、周囲の生活に大きな影響を与える行動が著しく高い頻度で起こるため、継続的に特別に配慮された支援が必要になっている状態」であるため職員さんの人員を増やしたり環境整備のために、加算がつきます。つまり支援を生業としていらっしゃったりする事業所さんの収入を増やすことができます(「強度行動障害」の状態にある方に継続的に特別に配慮された支援をするため)。
こどもが幼稚園に通ったとき「加配」をつけていただくため診断書を提出しました(申請方法など記憶があいまいですが、かかりつけのお医者さんに相談していた記憶はあります)。
「加配」についても詳しくないので申し訳ないのですが特別な支援が必要なこどもに対し、追加の人員を配置し個別にサポートできる環境を整えるため、幼稚園は自治体から、保育園は国から補助金が出ます。(ここも正確なことは専門の方に教えていただきたいですが、自分なりに自分が理解している範囲で誠実に記しました。)
「補助金」や「収入」という言葉が出てきましたね。
私はここに「③加算したものなどが正しく使われているのかチェック機能がほしい。」という願いを持っています。
交付した「補助金」や資金が正しい目的のために誠実に使われているか。
私はチェック機能を知りません。
「加配」をつけていただくため診断書を提出した幼稚園では、担任、副担任と、ほかのクラスと変わらぬ人員配置でしたし、全く関係ないかもしれませんが遊戯室をきれいにする工事が始まりました。(これは本当に関係ないかもしれないので、いやな想像をするくらい私の心は疑心暗鬼になっていたと解釈してください)
こどもとともに保護者も登園することを願われ付き添っていましたが限界を感じ、1年で加配制度が自治体の基準に基づいて実施されている公立保育園に転園しました。
「加配」の「補助金」も「加算」の点数や収入になる金額も、追いかけて調べれは出てくるのだろうけれど、保護者が追いかけなければわからないのはどうしてなのだろう。
「いくらでいくらのことをしていますよ。」とわかりやすくしていただきたいと、切に願います。
特別な支援を受けて、本人と周りの安全安心が守られているなと実感できるのならば、チェックするのは手間も人員もかかることですし、必要ないかもしれません。
ただ、やはり性善説や各個人の信念や理念に基づいて制度運用されているように(自分は)感じてしまいます。
支援しやすい人に支援をする。
形だけは整える。
そんな現場がないといえるでしょうか。
講習で「強度行動障害」の方は虐待のターゲットになりやすいと聞きました。
たとえば悪魔のような考えを持った人間が「『強度行動障害』の方を受け入れますよー」と謳い、いろんな施設に断られていたりして疲弊している家族が信じて預けたとして、特別な支援のために得た「収入」を正しく誠実に使うことなく私腹を肥やすことも、悲しいですが考えられます。
せめて保護者や相談支援員の方には、いくらをどんな支援に費やしているのかフィードバックがあってもいいと思います。
そして、国や自治体は「補助金」や「加算で得た収入に対する補助」を事業者に交付するだけでなく、相談支援員や保護者とも連携してチェックを行っていただきたいと思います。
心苦しいのは、正しく誠実に運用されていらっしゃる方の手間が増えてしまうこと。
理想は、観察や記録を重ねニーズを把握し、特性に合った環境づくりに努め、「強度行動障害」の状態像、「ご本人が、困っているから表出する(動くだけでなく止まるも)行動」「周囲が困る行動」の変化によりもたらされる安心や安定が、社会のいたるとこで花開くといいなと思っています、
ここまで、約6,000字に及ぶエッセイに目を通してくださり誠にありがとうございます。
ここからはぜひ、ご協力願えませんでしょうか。
「パレートの法則」から派生した「262の法則」というものがございます。
「2割の方は好意を、6割の方はどちらでもない、2割の方は嫌だと思う」
「書いてください。そしてそれを発表してください」
講師の方はそうおっしゃいました。私にできることは保護者や当事者だから直面した、気づくことができた実体験を、できる限り誠実に書き記し発表すること。
私にできることは、精一杯務めたつもりです。
「262の法則」があるのなら、せめて母数を増やしたい。
講師の方に貴重だと言われるほど、多数少数でいえば少数の話です。
ただ、同じ世界の話です。同じ時間の話です。
「こういう願いがあるんだと」一人でも多くの方が興味関心を向けてくださること、それが願いが叶っていったり、議題に上がったり、誰かに気づいてもらえる力になります。
ぜひ拡散、ご家族、職場で話題にしたりして、広めていただければ幸いです。
この度は本当に知ってくださりありがとうございます。
あなた様の大変貴重なお時間と心を寄せてお読みいただき、誠にありがとうございました。
このエッセイを書くきっかけとなった、講師の方の眼差しのように、あたたかい日差しが皆様にこれからも降り注ぐことを心より願っております。
最後まで根気強く読み切ってくださりありがとうございました!!!!
Xで「書きたいものができた」と言っていたのはこれです。
応援してくださっていた方へ、無事に書き上げましたよ。この場で感謝申し上げます。
あとひとつ、甘えますがお願いを聞いてください。
普段自分が書いている小説とは違い、自分も家族も現実を生きている人間ですし、いろんな方にお世話になっている人間です。
「あ、もしかしてこのひとかも?」と思っても公には内緒にしていてください。
私に直接連絡いただければ、感謝と感激をいたします。
日頃より、ありがとうございます!!