表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/12

第五話

『まこと、惨めよの。スルト・キルクス』


 悪魔が、「音」ではなく「意思」で騎士の意識に囁きかける。


『我が首を刈りし日の覇気は何処へやら。斯様なる醜態を見せられては、我が身も滅びし甲斐が無いという物』


 その体に実体が有れば、おそらく嘲笑の一つでも挟んでいたであろう口調で語りかける。


「黙れ。搾り滓が」


 小机に置いた片手でその身を支え、もう片方の手で「傷」を抑えながらスルトが吐き捨てる。


『その渣滓に怯え竦み、女子おなごのようにびくびくと震えておるのは何処の何奴であったか。おお、確か汝も女だったな。これはしたり』


 悪魔の声は、嘲弄そのものだった。

 目に見えぬ相手だからこそ、その声音に浮かぶ愉悦の色が一層際立つ。


『しかし、左様なるか弱き乙女の腰布に縋り付き、その臀部が向こうに身を隠すとは、当代の益荒男共の実に頼もしき事よ。それでいて、彼奴等はその恥を省みず、恩に報いる事もない。汝が護りし同胞は汝を疎み、汝が傅きし王は汝を恐れる。かくの如き不義理が!不道徳が!不条理が、果たして許さるるべきにやあらん?!』


「条理と道徳の、その対極に座する者が、何をほざくか」


 悪魔の煽言を騎士は撥ね除ける。

 しかし拒絶こそあれども、一句一句で息を継ぎながら答える様では、その言葉は強さに欠けていた。


『ほほ。なればこそよ。堕ちたる我が身であるが故に、その行いの醜悪さをあからかに知る。おお!世の理のなんと非情なる事か!泥濘に堕する者どもが、清らかなる汝を「魔」とそしるとは!』


 壇上の役者が、まさに悲劇のクライマックスを演じるかの如く、悪魔の声は張り上げられる。


『哀れなり!スルト・キルクス!そのかいなは空を掴み、その脚は宙を踏む!汝が身は至尊にあれども、依る辺を失い、虚を漂わん!』


 そして、「清らかなる」身に「疵」を与えた、まさにその存在が、騎士を憐れみ、慮り、慈しまんとして語りかけた。


『今ぞ、汝があるべき処に…』

「汝があるべき処に進むべし。王の座を奪い、冠を掴み、自らの頭上に掲げるべし…か?実に、実に魅力的な提案ではないかアストラゴル。だが、急いたな」


『…ほう?』


 しかし、いよいよ「芝居」が最高潮へ達さんとしたまさにその時、彼の言の葉は騎士に遮られ、先んじられた。


「成程、確かに私自身が頂きに立ち、その威と力で以って我が身の潔白と正しさを規定すれば、これを疑う者をなくせよう。だが、そのような「悪徳」、私は求めん」


 騎士の手は、未だ机の上で握りしめられてはいたが、その呼吸は安定を取り戻していた。


「私は正義に従い、正道を成す。だが、自身そのものにその基準を置いてしまえば、それは「傲慢」に堕するのみだ」


『…その「正しき」は、誰がそれを認め、それを知る?』


「アストラゴル。今、貴様自身が認めたのだよ。私が「至尊」にあるとな」


 スルトは身を屈め、その口からはくつくつと笑い声が漏れている。


「結構結構、実に結構!辺獄の底より我を仰ぎ見よアストラゴル!貴様の意図が何処にあれども、選びしその語彙が貴様自身の認識を如実に表す!貴様が!貴様の存在こそが我が「正しさ」を証明する!」


 彼女の拳が力強く机の天板を殴りつけ、その顔は正面を向き、客間の壁を睨みつける。

 目が見開かれ、口元は笑みに歪む。


『…ふふ、ふはははは!いや、いや、これは驚いた。お前が、まことにそのような言葉を吐こうと…』「アストラゴル!」


 女の発声が、またもアストラゴルの言を遮る。


「貴様が焦る所以を言い当ててやろう!それは時間の制限だ!人々の記憶から、その名が薄れ去るまでの間に事を成さねばならぬ!」


 眼に血走らせて口を開き、断言する。


「貴様の名を記し、かつての事績を伝う文はもはやこの世に存在しない!私が焼いた!かくてその名は、我が英雄譚における一節、敗者としてのみ遺される!なればこそ汝は我を惑わし、拐かす!その誘いに我が堕し、乃至絶望に死する事無くば、貴様の名の意味するところが変わらぬ故な!」


 遂にその口からは哄笑が溢れ出した。


「真に憐れぶまれるは、汝也!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ