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第二話

 乾杯の声が広間に響き、列席者たちは杯を掲げた。

 だが、やはり彼らの笑顔には張り付いたようなぎこちなさがあり、視線はなおもスルトを避けていた。


 スルト・キルクス。

 齢12において武家の名跡を兄より継いで剣を取り、30に満たぬ今にして彼女は既に英雄であった。

 賊を討ち、夷を払い、乱を均し、そして此度は悪を滅した。

 その過程において常に先頭にあった彼女の功は多く、しかして罪は数えられていない。

 そうであるにも関わらず、その名は常に黒い噂と共にあった。


「悪魔憑き」の呼称は、彼女が刈り取った人魂の数に由来する物ではない。その数が少なくないのは事実であるが。

 むしろ、それ以上に恐れられたのは彼女の行動そのものだった。


 スルトが剣を抜くとき、そこには一瞬の迷いもなかった。

 彼女は敵を見定めると同時に、ほとんど本能のように刃を振るい、慈悲も躊躇もなく瞬く間に相手を葬り去った。

 その判断の速さは周囲の追随を許さず、味方ですら彼女の真意を理解する前に事が終わる事もあった。

 例えば、城内でいきなり使用人を斬り捨て、いよいよ乱心したかと思われたまさにその瞬間、遺体の袖口から毒の小瓶が転がり出た時のように。

 「敵」に対して容赦なく、時に冷酷、むしろ残酷とも思えるほどの決断を下すその姿は、あたかも人の情を持たぬ「悪魔」が憑依しているかのようだと称されたのである。


 故に、彼女がその刃で以て敵を屠り、罪を処し、謀を暴くたびに噂が立った。

「魔が彼女の中に宿り、剣を振るわせているのだ」と。

 その恐れは、彼女が戦功と骸を重ねるごとに確信へと変えられ、そしてやたらと尾鰭が付与されて世に広まったのである。


 開宴から暫くすれば、酒気が気を紛らわせ、脂が口を軽やかとさせる事で、場の雰囲気は多少なりとも宴らしくなっていた。

 その時、広間の隅で誰かが囁いた。


『結局のところ、あれが悪魔を討てたのは同類だからではないのか?』と。


 小さな声の筈だったが、その声は僅かにも存在した宴の喧騒の間隙を抜い、広間に渡り、列席者全ての耳に届いた。


 曲がりなりにも存在した賑わいが、水面に広がるが波紋が如く静けさへと塗り替えられる。

 声を上げて囃し立て、肯定や同調をする者こそ居ない。

 しかし、この流言への否定は勿論、嗜める者も、冗句として笑い飛ばす者もまた存在しない。


 黙認と追従。


 参列者達の反応は、それ以上の何物でもなかった。


 ぱりん。と小さな音が鳴った。

 「囁き」に続いて発せられた「小さな破砕音」が、静まりかえった空間の壁に反響する。

 ホールに存在するほぼ全ての目は、音の発生元へと向けられた。

 それは、宴席の上座。

 正客として、王の横に座する騎士の手元であった。


 その拳は硬く握り締められていた。

 手にしていたグラスを粉々に砕きながら。

 

 指の間から、赤いワインが溢れ、滴り落ちる。

 それは純白のテーブルクロスに、まるで鮮血を思わせる真紅の染みとなって広がった。


 騎士は目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込む。

 その彫像が如き容貌には、怒りも悲しみの色も見出せない。

 ただ、湖面に漂う氷のような冷たさだけがある。


 暫くの空白の後、彼女は低く、そして鋭く言い放った。


「失礼。粗相をいたしました。謂れ無き中傷に心乱すとは我が身もまだまだ未熟にございます」と。


 その声色にも一切の感情が感じられない。

 

「悪魔は滅しました。我が手にて、確実に葬り去りました」


 拳が開かれ、指に挟まる破片がこぼれ落ちる。

 そして、彼女は手に残る赤い液体をそっと見つめ、告げる。


「アストラゴルは既にこの世に存在いたしませぬ。一体、我が身には如何なる魔が取り憑くと言うのでしょうか。もし、左様なる存在が未だあるとするならば、今一度打ち滅ぼしてご覧にいれましょう」


 その後、彼女の視線が広間を巡る。その目は列席者たちの視線を睨み返しているかのようだった。

 その内に「発端」がいるならば、その内心は果たして如何なる物であったか。


 ともあれ、騎士の反駁に対する答えもまた、沈黙にて返される。

 しかし、その行為で示される意思は、先の「黙認」とは異なる物であった。


「陛下」


 騎士の顔は隣を向き、王の方へと向けられる。


「些か酒精を浴びすぎたようです。無礼を承知で願い奉りますが、今宵はお暇を頂けますでしょうか」


 その言葉は許可を求める物ではあったが、実質的には宣言であった。


 そして騎士は王の許しを得て、宴席の場より立ち去った。

 その席には、全く手をつけられていない皿が、開宴時の姿そのままにあった。


 後に残されるのは、主役と喧騒が消え去った、音の無い奇妙な「宴の場」である。


 恐怖と困惑が会場を支配する中、ごく一部の者の内心には一つの疑問が立ち上っていた。


 スルト・キルクスが「悪魔憑き」であると揶揄されたのは昨日今日の話ではない。

 口さがなく、思慮も足りぬ無謀者達が、彼女の眼前でその語を発した事も一度や二度の話ではない。


 しかし、今日のように、静かであっても、この中傷を強く否定する姿を見た者はいなかった。「居なくなった」だけだと囃す者もいるが、それはさておき。


 冷厳冷徹なる彼女の心は、何故。


 今宵は、揺らいだのであろうか。

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