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第十二話

 スルト・キルクスの破滅、そしてライヴァート・キルクスの勝利の時から数十分の時が経過した。


 未だ、兄妹の抱擁ベーゼは続いている。

 初めはただ重ねられるだけであった唇は、今やスルトの側からライヴァートのそれを、頬を、肌を貪るように喰らいつく。

 女の腕が、脚が、相手の肢体に絡みつき、捕える。

 唾液による粘性的な音が室内で鳴いていた。


 男は、スルトの求めるままに、彼女に成されるがままに全てを受け入れていた。

 元より、己が快楽のために身を堕とし、悪を求めた男である。

 勝者の特権として従者の奉仕に身を委ね、これを愉しんでいたが、いつまでも悦楽に身を浸す訳にもいかない。

 再誕こそは成ったが、今の彼にある物はこの身体と、眼前の女のみである。

 再び力を蓄え、集団を結成し、「家の再興」を果たさねば…。

 と、考えた所で、彼は、やっと自身の違和感に辿り着いたようであった。


 彼が「再興すべき家」とは一体何か?

 それは「キルクス家」に他ならない。

 16年前、当時の若き当主ライヴァート・キルクスの死とその後の混乱により衰亡し、スルト・キルクスの武により辛うじて命脈が保たれたその家である。


 しかし、何故彼がそれを成さねばならないのか?

 それは当然『彼は、ライヴァート・キルクスである』為である。


『彼は、ライヴァート・キルクスである』


 その「囁き」を聞いた男の目が驚愕に見開かれる。


「どうか、なさいましたか?兄さま?」


 彼の首元に舌を這わせていた妹が、怪訝な顔で見上げる。

 漆黒の瞳が、不安げに彼を覗き込んだ。


「何か、ご不安な事があるのですか?」


 首を傾げ、無垢な声で、どこまでも優しく、甘えるように問いかける。


「ご安心ください。兄上の事はスルトが必ずお守りいたします」


 スルトの細い、しかし節くれだった指が、そっと彼の頬を撫でる。その仕草は少女のそれではなく女のものである。だが、同時に、かつての彼女そのものでもあった。


「スルトは、強くなりました。誰よりも、何よりも」


 その実力を彼が知らぬ筈がない。

 だが、何故知っているのだろうか?

 ライヴァート・キルクスは16年前に毒で斃れた。

 当時のスルトは才能の片鱗こそあれ、所詮は12歳の少女でしかない。


 ならば、この彼の首に残されている斬撃の熱い感触は何であろうか?

 半年前の痛覚は一体何なのであろうか?

 数刻前に、軽く遇らわれた屈辱の記憶は一体「誰」の物なのか?


「兄さまには何者も近よりません。兄さまには何ぴとたりとも近よらせません。私が、お側に御座います」


 スルトの腕が彼の首に絡みつく。先ほどまでの甘美なる抱擁とは異なる、強い力で抱きしめる。


「何時までも、何処までも、ずうっと一緒でございます…」


 熱を帯びた、黒曜石のような目で最愛の人を見つめている。


 ライヴァートは、その瞳の奥に揺らぐ何かを見た。


 そして、彼は自己の身体の「決定的な欠落」に気がついた。

 己が半身として存在していた、深淵との繋がりが失われている事を。


 当然である。

 彼は、ライヴァート・キルクスであるのだから。


 当然である。

 彼の魂は、表層へと自ら戻り、自ら作り出した器に収められたのだから。


 当然である。

 我の中には、既に別なる魂、スルト・キルクス嬢の魂があるのだから。


 我は、来たりし者を拒む事はない。


 求める物を、求めるままにを授けよう。


 汝の成したい事を、成せば良い。

 ただ、その因果の応報を歴史の影より眺るのみ。


「あ、あああ…、あああああああああ!!!」


「兄さま?!ライヴァート兄さま?!どうなされたのですか?!落ち着いてくださいまし!スルトは!スルトはここに居ります!」


 男が狂騒し、女が縋り付く。

 両名に体格の差はさほど無く、男は女の拘束を力で解く事は敵わない。

 技であっても、その生前において数年の経験しか持たぬライヴァートの実力では、ベテランの実績を有するスルトからは逃れられない。

 暴れようにも、それは容易く鎮められる。

 そして、妹は狂乱する赤子を宥めるように、力強く、そして優しく兄の頭をその胸に抱きしめた。


 我は、去る者は追わぬ。

 正しく言えば、追えぬ。

 我が逆らえぬ「絶対の理」の為に。


 故に汝は現世に解き放たれた。

 最早、その元の名を知る術のない、新たなるライヴァート・キルクスの生に幸多からん事を願う。


 そして、スルト・キルクスの前に開かれた、新たにして遥かなる前途に思いを馳せ、ここにペンを置く事とする。


 fin


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