5話 -交渉失敗-
「あのな、ちょっと言いづらいんだけどな」
「何?」
「向こうの世界に戻ったら俺のことを雇ってくれないか?」
九十九 正義は一息吸い込んだ後で言った。
「え、何言ってんの?いきなりそんなこと言われても雇うなんてできるわけないじゃん。私は別に社長とかじゃないし」
「そこを何とか頼むよ。お前の家は悪の巣窟じゃないか、覚せい剤とか売りまくって儲けてるんだろ?俺のことを雇うくらいなんともないだろ?頼むよ。俺は人生のどん底にいるんだよ」
「私は別にヤクザじゃないって言ってるじゃん。何もしてないのになんでそんなこと言われなきゃならないの!」
臥龍岡 小袖は機嫌悪そうに言った。
「それに九十九って泥棒じゃん。泥棒なんて普通は雇わないじゃん」
「泥棒はしてない」
「何言ってるの?それじゃあなんで私の部屋の中にいたのよ!」
「部屋の中にはいたけどまだ何も取ってない、だから泥棒じゃない」
「なにその屁理屈」
「屁理屈じゃなくて事実だ。部屋の中から何か無くなったり、盗んでるところを見たりしたのか?」
「そ、それはないけど………」
「それじゃあ泥棒じゃないじゃないか。ただの部屋無断侵入者だ」
「キモっ!」
「確かに気持ち悪いのは間違いない!」
「認めてるし」
「そうだ。俺は正直者なんだ、雇ってもいいなって思ってくれたか?」
「思うわけないじゃん。というか九十九ってヤクザになりたいの?それだったら私はもっと嫌なんだけど」
「いやいや違う、そう言うことじゃないんだよ。それだったら小袖には頼まないよ」
「じゃあどういうこと?」
「そういうのじゃなくて小袖の付き人っていうかさ、なんかそんな感じのやつだよ。お菓子買ってきたりとか、そういうような楽な仕事をする専用で雇って欲しいんだよ」
「そんなの全然してほしくない。お菓子くらい自分で買うし」
「いやいや、いたら結構便利だと思うぞ。話したり一緒にゲームしたりとかもできるし、せっかくこうして知り合ったわけだからさ。何とか頼むよ、ほらこの通り」
九十九はあまりにも自然な動きで土下座をしていた。
「そんなことされても無理。というかあんたは私に何をしたのか忘れたわけじゃないよね?私はまだ全然許してないから」
「それも含めて働きながら罪を償っていきたい」
「働くってお菓子を買ってくることでしょ?そんなので罪なんか償えるわけないでしょ」
「ちょっとだけな」
指でちょっとを表す。
「やっぱり馬鹿なんじゃないの」
「頼むよ、もっと馬鹿とか言ってくれていいから」
「確かに私にとってこれだけ何も気を遣わずに喋れる相手なんて珍しいけど。だからといって私が九十九を雇うなんて想像できないよ」
「喋りやすいならいいじゃんかよ。これからもずっと気を遣わずに喋ってくれていいからさ」
「だからそんなこといわれても想像できないの!」
「頼む」
「無理」
「頼む」
「無理」
「頼む」
「無理」
巨大な大岩に立ち向かっているかのように強情な小袖をみて九十九は悩む。
どうしようか。小袖が頷いてくれない以上は、素晴らしいと思っていた計画もどうしようもない。なんとか、何とか小袖を説得するいい方法はないものか。
「そんな目で見られても無理よ」
「ぐむむむむ………」
九十九は唸る。
「ガッガッガッ!ねえ早く決めちゃおうぜ。もう行くってことでいいよな?」
小袖と同時にモニターに向かって振り向いた。
「ガッガッガッ!早くしてよ、僕はちょっと忙しいんだから」
ドットの荒いアヒルがガーガー喋っている。さっきまでモニターに映っていたはずの文章がいつの間にか消えている。
「何者だお前いつ現れたんだ?!」
「ガッガッガッ!もういいってそんなのは。早くあの言葉を言ってよ」
「絶対行かないよ異世界なんか」
小袖ははっきりと言い切った。
「ガッガッ!それマジで言ってる?」
「言ってるに決まってるじゃん」
「ガッガッ!そんなこと言われてもこっちとしては困るな」
「困るとか知らないし」
小袖は大分意志が固そうだ。
「ガッガッ!そんなはずないだろ。異世界なんてみんなが行きたいに決まってるものだ。俺は知ってるんだからな」
「私はそんなことない」
「ガッガッ!この場所にいることが答えだよ」
「どういうことだ?」
九十九は聞き返した。
「ガッガッガッ!この場所に来れるのは元の世界がうんざりしている人間だけ。うんざりして逃げ出したいと思ってる人間だけに来れる資格があるんだ」
「なにそれ」
「ガッガッガッ!なにそれって言われても、ここはそういう場所なんだ。だから口ではそう言ってても心の中では前の世界から逃げ出したいはずなんだ。覚えがあるだろ?」
俺も小袖も言葉に詰まる。俺は確かに最初にここに来る前はずっと元の世界から逃げ出したいと思っていた。
サッカー部だった俺は顧問に練習内容のことで口答えをしてしまって、試合はもちろん練習からも干されていた。そして異世界転生者の小説を読んで、こんな所から抜け出して自由で楽しい世界に行きたいと思っていた。
一方の小袖はどうかと顔を見てみたが、かなり苦い顔をしている。どうやら小袖にもなにか思い当たる節があるらしい。
このアヒルはどうにか異世界に連れて行こうとしている。信用出来なさそうだが、言っていることはどうやら正しいようだ。
「ガッガッガッ!ほらな二人ともあの世界が嫌なんだよ。何で言われないと分からないかな。ここはそういう場所なんだよ」
「るせーーーー!!」
小袖の咆哮。
「行かないったら行かない!」
アヒルの説得はどうやら逆効果になっているようだ。たぶん言い方がムカつくのもあって逆に意固地になってしまっている。
「行くってことに決めたらなにかあるのか?」
「ガッ!なにかって何?」
「例えばチートスキルとか」
前にここに来たときはそれすら聞かずにとりあえず土下座をしていた。そもそもこんなアヒルはいなかったから質問なんかできるとは思ってなかったし、そのときはマネージャーを好きになっていたので、元の世界に戻ることしか考えていなかった。
「ガッガッ!もちろんあるよ、とってもいいのが。ちゃんとわかってるよ俺TUEEEだろ?わかってるわかってる、だから安心してくれよ。凄く素敵なプレゼントは行ってみてからのお楽しみ!」
楽しそうに羽をばたつかせながら行った。
「気を付けろよ小袖」
九十九は真剣な顔を小袖に向けた。
「え、なにが?」
「むかし俺は胡散臭い健康食品販売の会社にいたんだ。だからピンと来たんだが今のは詐欺師の話し方だ。気付いたか?いまこのアヒルは具体的なことは何一つ言ってなかったんだよ。チートスキルをくれるとも言ってないし、何をくれるかも言ってない。こういうやつは気を付けたほうがいい」
「そうなんだ。っていうか九十九って泥棒だけじゃなくてそんな胡散臭い仕事もしてたんだ。なんか余計に信用できないんだけど」
「せっかく教えてやったのになんでそんなこと言うんだよ。それに昔の話だよ、入って2日で辞めたんだから」
「わかった。ちゃんと注意して話を聞くようにする」
まだ何か言いたそうな小袖だが頷いている。
「ガッガッ!何言ってんの、考えすぎだよ考えすぎ。ちゃんといいものは用意してあるんだから俺に任せてよ」
「さっきからずっと何も言ってないやつを信用なんかできると思うか?」
「ガッガッ!そこは信用してもらわないと困るぜ。お互いにギスギスしてたんじゃいい鼻試合はできないぜ?俺が言うからには間違いなく良い条件だからさ、期待してくれていいよ」
「そんなお喋りに乗せられて小袖も行くわけないよな?」
「絶対行かない」
小袖に話を振ってみたところ、予想通りの答えが来た。俺としてはまだ悩んでいる状態だが、もしこれで有利な条件を引き出せるかもしれないなら、言っておいた方がいい。
「正直言って俺は条件次第では行ってもいいかな、とは思っているんだけど」
「え!?マジで言ってる?」
目を真ん丸にしている。小袖の瞳は普通なら黒目の部分が虹のように七色の色彩を持っているのでとてもきれいだ。外国人的というか、人形とかアニメのようというか。