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2話 -桃尻ふにょん-

 


 九十九つくも 正義まさよしは目の前の少女の顔のドアップを見る。


 少女は微動だにしていない。


 絶対に気づかれてしまったと思っていたが、もしかしたら大丈夫なのかもしれない。気付いたら普通は大声を上げるはずだ。


 目も口も真ん丸にして固まっている。そしていまその口からポテトチップスの一枚が落ちた。たぶんあれは海苔塩だろう海苔と畳の臭いがする。


 微動だにしていない少女の髪型は前髪ぱっつんの桃色のセミロング。全体的にぽっちゃりとした輪郭で、ほっぺたがぷにぷにしていて柔らかそうだ。


 驚いたのは日本人離れした七色の色彩を持つその瞳。可愛いと言って問題ないだろう。組長の臥龍岡ながおか びんには全く似ていない。


 白とピンクの縞々ふわふわのパジャマでうつ伏せ。顔の下にクッションを引いていて、その周辺にはビックサイズのポテチとコーラとチョコと携帯用ゲーム機が見える。


 どうやら巨大なモニターでアニメを流しながら、好き放題に食い散らしゲームをしていたらしい。いわゆる至福の時間というやつだ。這いずって音を立てないようにゆっくりと距離をとる。


 そこでようやく気が付いた。


 尻。


 どうやらあれを踏んづけて倒れてしまったらしい。なぜ分かるか、といえば位置関係的にほかに踏みそうなものがないということ。それに可愛らしい縞々のズボンが半分ずれ下がっているから。それにしても形の良い尻だ。桃尻だ。


 そのとき少女が瞬きをした。


 そしてゆっくりと体勢を変えて左手を伸ばした。大丈夫、まだバレていないはず。多分リモコンとかをとるために動いているに違いないんだ。そうだ、そうに決まってる。


 黒い暴力の塊。


 ゆっくりと現れたのは拳銃だった。


「は………」


 しっかりとゴツイ銃口が自分の顔の中心を捉えている。ヤクザの自宅、銃、本物に違いない。


 七色の色彩を持つ少女の瞳に威圧感。


「あ、ああ………」


 死。


 大蛇のように冷たい死が巻き付いてきたのを感じて全身が総毛立つ。初めて感じる本当の死の感覚。


 そしてゆっくり遅れてやって来たのは安心感と幸福感。


 心がふわっと軽くなった気がする。


 終われる。


 振り返ってみると碌でもない人生、未来にも希望は無い。だからこそ大事なのは死に方。


 可愛い女の子に殺される。これはなかなか悪くない死に方じゃないか。病死、事故死、過労死、自殺。そのどれでもなく俺は少女に本物の拳銃で撃ち殺されて死ぬんだ。


 あの柔らかさを思い出す。


 踏んづけた桃尻はものすごい弾力だったな。できれば足の裏じゃなくてもっと違う場所でもあの柔らかさを感じたかった。揉んで揉んで揉んで顔をうずめたかった。


 決意のある美しい瞳。


 この子はきっと俺のことを忘れないだろう、思い出すだろう。些細なことをきっかけにして過去を思い出すというのはよくあることだ。


 うつ伏せになった時、あのアニメを見た時、海苔塩ポテチを食べた時に、俺のことを思い出す。


 悪くない。


「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」誰か有名な詩人がそう言ったと聞いた。少なくともこの少女にとって、俺は忘れられない男だ。


 それに一瞬。顔の中心に向けられた銃がもたらす死は一瞬だ。痛みも苦しみもない楽な死。これは望んでいた通りじゃないか。この世界は天国でも地獄でもないというが、俺にとっては地獄だった。


 終わることへの幸福感が全身を包む。


 炸裂音。


 目の前が真っ暗になった。


 ありがとう、ありがとう桃色かわい子ちゃん。


 殺してくれてありがとう。





 ◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆




「んはっ!」


 自分の息を吐く音が目が覚めると、そこは闇だった。


 辺りは闇に包まれている。質量を持っているような濃密な暗闇。空気が違う。この独特な暗闇には覚えがあった。


「死ねなかった………」


 生きるという苦しさからの解放。納得できる死に方が、安楽の死が消え去ったことを悟った。


 暴力団組長 臥龍岡ながおか びんの自宅から、一瞬でどこか別の場所に移されたことに気が付いた。


 暗闇の中に少女の姿は無い。


 あの強くて美しい瞳はどこにもなかった。寂しさを感じながら九十九は自分がいま地球の地にいないことを確信した。


「ここって、あそこだよな」


 あの時と全く同じ。死んだと思った瞬間のワープ、それは高校生だった時と同じ。


「それが条件なのか?」


 うつ伏せの体を起こそうと暗闇の中の地面に両手をついた時。ラベンダーの香りがした。


「良い匂いだ」


 匂いなんて前に来た時には無かったはずだ、記憶にない。暗闇の中でその正体を確かめようと犬のように嗅ぐと、地面に近いほうが匂いは強かった。さらにその匂いが欲しくなる。


 ふにょん。


 押し下げた鼻先に柔らかさを感じた。


「あ………」


 なんとも心地の良い感触、もう一度顔を下げてみる。


 ふにょん。


 鼻先だけだった柔らかさが唇にも感じた。ふにゃっとふわっとふにょん、だ。今までに一度も感じたことのない感触。テンピュールまくらでも、人をダメにするクッションでも、こんな気持ちのいい感触は今までになかった。


 幸福。


 夢中で顔を擦り付け、バウンドさせ、顔全体で楽しむ。


 ふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょんふにょん。


 幸福。


 あまりにも幸福。


 さっきまで目の前にあった死という快楽も、再びやってきてしまったこの空間も、すべてがどうでもよかった。


 いま幸福につつまれている。


 柔らかくて温かくて良い匂いのするこの気持ちのいい感触を味わっていたかった。


 生きていてよかった、そう思う。ついさっきまで死がもたらす甘くて苦い解放感が人生で絶頂の喜びだと思っていたのだが、いま感じているのはそれ以上の幸福感だ。


 食べても食べても満腹にならず、ただただおいしさだけが続き、満たされることがない夢の世界にいるようだ。


 このままいつまでもこの幸福を堪能したい。九十九は地球外の暗闇の中で永遠の幸福を願った。


「なにしてんの?」


 低音ボイスが桃尻から響く。


 音階としての低さ、だけではなくそこには心としての低さがあった。名残惜しい、しかしこうなってしまっては止めなくてはなるまい。引き締まった表情で九十九は両手をついてゆっくりと立ち上がる。


 本当は気が付いていた、気がついていて見ないようにしていた。その柔らかさの正体を。その柔らかさは部品の一つでしかなくて、視点を広くしてみてみるとその柔らかい部品の下には足があり、その上には腰がある。


 尻だった。


「ふぅ………」


「ふぅ、じゃなくて!」


 振り向いた七色の瞳が睨む。


「おい!!」


 咆哮。


「信じられないんだけど!あんた何してんの?それと私は何でいきなりこんなところにいるの?なにもかも全然意味が分からないんだけど!なんか言え!!」


 まるで獅子の咆哮。


「なんだ!ここはいったいどこなんだ?!なんだこの場所は!俺たちは今どこにいるんだ、だれか、誰かいないか!誰か教えてくれ!」


「は?もしかしていま気が付いたの?」


 両手をおろおろと動かしながら周囲を見回している九十九を冷めた目で睨みながら、小袖はゆっくりと立ち上がった。


「き、君は誰だ?!これはなんなんだ!?俺いまどこにいるんだ、誰か、誰か教えてくれーーーーーー!うわーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


 九十九は突然、頭を抱え叫んだ。


 まるで舞台俳優のような大きな動きでそこら辺を動き回る。誰が見ても遠くから見ても、わかりやすく混乱している男の姿。


「そうなんだ………いま気が付いたんだ。かわいそう、パニックになってるじゃん。それじゃあさっきのあれは無意識だったんだ、覚えていないんだ。それじゃあそうがないよね、なるほど………」


 小袖は大きく息を吸いこんだ。


「って!騙されるわけないじゃん!馬鹿なの!?騙されるわけないじゃん!!そんなんで!!馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!死ねーーーーーーーーーーーー!!!」



 九十九つくも 正義まさよしによる地球外一人芝居は、完璧に見破られていた。




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