笑福
朝起きて夜を待ち、また朝がくる。ただそれだけに、毎朝落胆するだけの人生。いつしかそれに慣れてしまえば、それは機械的。
俺は、壊れるのを待つだけだ。
* * *
夕暮れ時の公園にはタイミングがいいのか誰もいなくなる時間がある。
様々な理由で訪れる大人、たむろする学生。それらが来るまでの少ない時間が俺にはとても貴重だ。
「君はよくここに来るけど、友達と遊んだりしないの?」
俺と同じベンチに座っている名も知らない彼女。公園に到着したばかりの俺に、笑顔で今日のトークテーマと言わんばかりに訊いてきた。
「まー、一人の方が気楽なんで。友達とか面倒ですよ」
光に引き寄せられた虫のように、暗闇の中にある光のように。俺は彼女の誰よりも素敵な笑顔に魅かれている。
なぜ彼女の笑顔に魅かれるのだろうか? 絶世の美女ではないが、見てくれは普通に可愛い。ただ、彼女の笑顔には他の誰にもない特別な魅力があった。まるで美術品だ。
「もしかして友達いなかった?」
「いないですよ。でも、よく遊びに誘ってくれる、やさしい風のクラスメイトはいますよ」
俺の棘ある言い方に、彼女はためらうことなく腹を抱えて笑った。受けを狙ったつもりはないんだが……。
「男子とかって、体育の授業とかでクラスメイトと仲良くならない?」
俺は胸の前で腕を交差してバッテンを作る。
「ならないですね。ポカリのCMみたいな奴らは嫌いでなんで」
「じゃあ部活に入ろう」
「アクエリ嫌いなんで無理です」
「文化系とか」
「午後の紅茶ばかり飲んでそうな偏見があるんで、すんません」
彼女は更に声をあげて笑った。
そんなに面白いだろうか? そう思ってしまうような俺の話でも、彼女は楽しそうに笑ってくれる。何にでも笑う人だし、俺がいなくても時間つぶしに事欠かないんじゃないか?
この公園で今と同じ時刻、彼女と少しの時間を共有することが日課になりつつあった。
ここですることは、浅い関係の二人が楽しく会話するだけ。傍から見れば仲の良いカップルかも知れないが、実際はお互いに名前も知らない奇妙な関係だ。
「あー面白い――、さっきから何言ってんのかよくわかんないけどね」
わかんないのか~……。わかんないのに笑ってたのかこの人? すげーな。俺もわかんね。
「やっぱり君は捻くれてるね!」
知ってる。ってか直で本人に言うか?
数日前、彼女と初めて話した時を思い出すと、今以上にすごかった。だけど少し気持ち悪くもなる。あの時、ある言葉が頭の中に浮かんだからだ。
* * *
朝起きると、働かない脳に変わって習慣的に覚えている身体がリビングに向かう。
テーブルの上には用意された朝飯。それを出勤前の母親と食べながら、俺は無気力に目の前の白い壁を一点に見つめる。いつも通りに寝ぼけているだけなので、母親は気に止める事もなくニュース番組に目を向けていた。
「行方不明だって、怖いわ〜」
徐々に働き出した脳が母親の言葉を聞き取る。
「あ……そ……。俺も……気をつけよう」
相槌レベルで適当に返すと、母親は呆けた顔で俺見つめた。
「何を気をつけんの? あんたを拐うほど、世間様は暇じゃないよ。ふざけてないで飯食って学校行け。もう遅刻すんなよ」
自分の息子に対して言うセリフだろうか。こんな母親に育てられれば、俺の性格が捻くれてるのも仕方がない。嫌いじゃないが、もっとマシな母親が良かったと切に願う。
先に食べ終わった母親はさっさと家を出るが、俺は急がずゆっくり。遅刻する事など気にもせずに朝食を食べ続けた。
俺が家を出たのは、軽く二度寝をかました一時間以上先だ。担任の先生に、これ以上の遅刻を続けると進級に関わると言われたがどうでもいい。最悪休んでしまえば遅刻ではないのだから。
そんな感じに開き直って俺は学校に向かった。
学校につけば案の定担任に呼び出され、説教をくらった後は適当に授業を終えて下校するのが日常。
こんな人生に意味なんてない。卒業できたとして、先の人生も似たようなもんだろう。面倒で退屈。
しかしそんな俺の浅い結論に、少しの変化が訪れていた。
原因は出会いである。
数日前、何の変哲もない下校途中。駅前の本屋に立ち寄った時、俺は彼女を見かけた。
彼女は友達数人と旅行雑誌を観て談笑していた。
その時初めて彼女の純粋無垢な子供のような笑顔を見て、他の人にはない特別な魅力のようなものを感じた。
それ以降あの笑みが忘れられず、駅前を歩けば視界の中で彼女を探してしまう。
純粋なんて勘違いかも知れない。俺がただ女に飢えてただけかも。そんな事を思って忘れようとするも、彼女を偶然とは思えないほど見かけるのだ。
彼女が友達とショッピングをしていたり、迷子らしき子の手を取って母親探していたり。時には映画館で近くの席で見かけた事も。これには流石に驚きと少しの恐怖を感じた。ちょうど観ていた映画もホラーだったから尚更。
これほど何度も見かけると、どちらかがストーキングしない限り不可能に近い。もちろん俺はしていない。きっと彼女もしていない。それは俺がモテないからだ。
しかし、これを偶然と言えるだろうか? 同じ時間の電車で毎日見かける朝のあの子、何てレベルではない。使ってる駅が同じならって考えれば、あるかも知れないが広い駅前でだ。そうそうある事じゃない……。
こうして俺は、悶々とした日々を過ごしていた。
チャイムが鳴って下校時間。学校の校門出る直前、先生に捕まった俺は再びありがたい説教をくらった。日に二度は流石に疲れる。
今日は真っ直ぐ帰るか。暇潰しにゲーセン行くより家で寝てたい。
無理に駅前に寄る理由はない。彼女を探す為だけにって理由で行動を起こすのは、紛れもなくストーカーのやる事。俺は人としての最低限のプライド持ち合わせているつもりなので帰宅一択。
電車に乗って彼女に会える。かも知れない駅を通り過ぎて最寄り駅で降りると、空はオレンジ色に染まっていた。
説教長すぎんだよあのハゲ。
最寄り駅から歩いて数分。自宅の近くにある、正方形の大きい公園に差し掛かる。ここを突っ切ると少し近道だ。
公園に入ると帰宅するであろう子供たちと入れ違いになり、中には俺と制服を着た女子だけに。
女子は俺が入ってきた入り口の対面、向かっている出口の横にあるベンチに座って何をするでもなく、ただ夕焼け空を眺めているようだった。
特に気にすることもなく、出口に向かって歩進めると、視界の隅にいる女子の制服に見覚えがあることに気づく。
彼女と同じ制服だ……。
本人じゃないと思いつつ、横目で女子を見ながら一歩一歩と距離が縮まっていく。
顔が認識できるまで近くになると俺は思わず、
「あ」
っとマヌケな声を出して歩みを止める。ベンチに座る女子は、あの彼女本人だ。
なんでここに……。
俺の声に反応して彼女がこちらに顔を向け、目と目が合う。公園内に少しの間沈黙が生まれた。
やばい、どうしよう。変に思われたか……?
「……っえ?!」
怪訝そうな表情をするかと思いきや、彼女は驚いた表情をして声を上げた。ベンチから立ち上がると、早足で近づいてきて俺の両肩を掴んだ。
「ななな、なんですか?!」
彼女はあの魅かれる笑みで掴んだ肩を揺さぶってきた。
「あーっと、えー……っ君! よく見かける人じゃない?! あー……っ元気?!」
「き、っきづい、って、た、って、ちょっ、あの、はなし……っしつけぇ!」
しつこく揺さぶり続ける手を振り払うと、「ごめんごめん」と彼女は笑みを崩すことなく言って少し落ち着きお取り戻したようだ。
「いやー、よく見かける人とこんな所で会っちゃったもんだからさ、テンション上がっちゃってー」
「だからっていきなり掴んでこないでしょ……ほとんど暴漢ですよ」
予想外の行動に、逆に俺が怪訝な表情になって彼女から少し距離を取る。すると彼女は、「怖くないよ~」と警戒している猫を呼び寄せるかのように手招いた。
俺が思い描いていた彼女とは全く違うとは言わないが、好奇心旺盛にも限度がある。警戒心とかないのだろうか?
まあ、不審者に思われなくて良かったと、俺は彼女に歩み寄る。
「君はさ、幽霊を信じる派?」
不意を突かれた質問に、理解が追いつかない中で答えは、
「は?」である。再び公園内に沈黙が訪れた。
沈黙に痺れを切らしたの彼女はテンション高めで言った。
「トーク! トークだよトーク! 時間潰しに付き合ってくんない?!」
人との接触が少ない俺だが、この人が変わった人なのはわかる。よく言えば自由人、悪く言えば自分勝手。はたまた未知との遭遇だろうか? 時代が令和に入って新人類が誕生したのかも知れない。
こうして俺は彼女との初接触を果たした。彼女の申し出はまさに奇跡が起きたとしたか言いようがない。偶然の重なりとは恐ろしいものだ。
この出会いを表す言葉がある。それは俺の嫌いな言葉だ。
痛々しい上に恥を掻くのを承知で綺麗な言葉で言うと、運命。
その言葉が頭に浮かんだ時、こんな雑で強引な運命なんていらん……と、俺は死にたくなった。
* * *
ポカリだアクエリだと激論を交わしていると、空はオレンジ色から紺色へと変わりつつあった。
そろそろ帰るか。
俺は鞄を肩にかけてベンチから立ち上がると、彼女は「あのさ」と言って俺を引き止めた。
「零歳から二十歳、二十歳から八十歳までの体感時間は同じなんだって」
「へ〜、そうなんですか」
引き止めてまでする知識自慢だろうか? やはり彼女はよくわからない。
「へ〜、じゃないよ。それだけ今が濃密な時間って事。麦茶がどうとか、捻くれてないで今を楽しみなって」
彼女は坊主の説法みたいによく言っていてた。今を楽しめと。そんなにつまんなそうに見えるだろうか? それとも当回しに来るなと言ってるのだろうか? あんだけ笑っているのだからそうは思いたくはない。
こんな時は、今も十分楽しいですよ。そう素直に言えればどれだけ楽だろか。でも、そんな事を言う自分は気持ち悪い。
「そんなもんですかね〜」
こんなことしか言えない自分を過去何度も呪った。気の利いた事を言うのが難しくて、いつしか面倒になって全て捨てたんだ。
まさかまたこんな感情を持つことになるなんて、夢にも思わなかったな。
「なら貴方も、こんな所で時間潰してないで友達と、今を楽しんだ方がいいんじゃないですか?」
気になる事があって訊けずにいた事がある。前まではあれだけ駅前で友達と楽しそうにしていたのに、今じゃ俺がここに来るたび百発百中でいる。
俺の交友関係をどうこう言われたんだ、こっちにも訊く権利があるはず。
彼女は少し困ったような表情をし、目を逸らして言いづらそうに話し出した。
「私は……、楽しんでるよ。これ以上ないってくらいに……」
そして彼女は俺に顔を向け、
「君と話してるのもね」
最高な笑顔で言った。
一瞬迅雷を踏んだように感じたが、幻だったんじゃないだろうか? そう思えてしまうほどに彼女はいつも通りの笑顔で少しホッとする。
これ以上はやめとこう。彼女に何かあったかの真偽を詮索すれば、ここには来てくれなくなるかも知れない。俺なんかと話していて楽しいと言ってくれた彼女と、そんな最期を迎えたくはない。
俺は「じゃ」言って公園をでた。
自宅へ向かう道中、自販機にホットコーヒーが入荷されていた。もうそんな時期か……。
思い出したかのように体は寒さを感じ、俺は迷うことなく缶コーヒーを買ってその場で飲み始める。空は完全に紺色で埋め尽くされている時間だった。
寒さを感じ、夜が来るのが早くなり、季節は変わっていく。
食道に温かいコーヒーが流れ、俺ふと思う。俺は何がしたいのか、と。
人間関係が面倒で一人でいたのに、なぜ彼女とは一緒にいる? 惚れたから? 友情を感じているから?
確かに彼女の笑顔は素敵だが、どれもピンとこない。ならなぜ……?
まあ、なんにせよ、いずれは終わることだ。考えても仕方がない……。
割り切って考えるも消しきれない不安に苛立ちを感じ、缶を握る手に少し力が入る。
恋人でもなければ友達でもない、一時的な関係。彼女の時間潰しをする理由がなくなれば、お互いに元に戻るだけ。
「クソだな……」
彼女との未来が欲しいのだろうか? どんな形でもいいから未来が……わからない。
こんな面倒な思いをするなら、時間つぶしになんて付き合うんじゃなかった。
空の缶をごみ箱に捨て、再び自宅へと歩きだす。
自宅につくと母はまだ帰っておらず、俺は一人で適当に夕食を澄ましてシャワー浴びた。
濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに行くと、いつの間にか帰ってきていた母がテレビニュースを観ながら夕食を食べていた。
「おかえり」
母は口に食べ物入れながら、多分「ただいま」と言ったとも思う。行儀が悪いな。
引き続きタオルで髪を拭きながらキッチンに向かい、冷蔵庫からお茶入りのペットボトルを取り出して飲む。すると口の中の物を飲み込んだ母が「私のもちょうだい」と言ってきた。
『次のニュースです』
母の分のお茶入りペットボトルを持ってキッチンを出ると、
「あ、見つかったんだ……」
母はニュース番組を観ながら、食べる手を止めて言った。その言葉に視線をテレビへ向ける。
……は?
ニュース番組の衝撃的な内容に、持っていたペットボトルを力なく落としてしまう。
何だ……? ……どう言う事……だ?
「ん? どうしたの?」
原稿を読むアナウンサー、画面下部に表示されているテロップ。意味がわからなかった……そして一番わからないのは、
あの素敵な笑顔で、彼女の写真が映し出されてる事だ。
「……いや……、何でもない……。もう寝るよ」
様子の変化に心配する母を無視し、俺は自室に行ってベッドに入る。
今はもう、何も考えたくない。
* * *
その日は学校をサボって昼ま寝ていた。全てにおいてやる気が出ないから仕方がない。でも一つを除いての話だ。
俺はいつもの時間に公園に向かって歩いていた。夕日は昨日よりも早く沈み始め、もう直ぐ夜がやってくる。
彼女の事は詮索しないと昨日決めたばかりだが、事が事だけにそうも言っていられない。
ここまで冷静でいられるのも、ネットニュースを見て一つの予想を立てたからだ。と言っても、突飛すぎて妄想のような感じだ。
しかし否定しきれない俺がいる。ニュース番組で映し出された写真は紛れもない彼女。あの笑顔をのファンとも言える俺が見間違うはずがない。
もし妄想がハズレいたとしても、彼女が無関係とは思えないほど似ている。そこまでのそっくりさんが報道される事なんてそうそうない。まあ、彼女との出会いからしてそうそうないし、俺の妄想も馬鹿にはできない。
可能性は低くも、ただの妄想である事を祈る。
思考を巡らせているうちに公園につき、中には彼女一人がいつも通りにベンチに座っていた。
少し動揺するも、彼女はこちらに気づいて手を振ってきたのを見て、なんだか気が抜けてしまう。
「あれ? 今日は私服なんだ」
彼女の言葉を無視し、今日のトークテーマと言わんばかりに言う。言葉は決めていた。
「幽霊を信じる派ですか……、芹沢凛さん……」
いつもの笑顔からバツの悪そうな表情に変わった彼女は、何を言うでもなくベンチに座り続けた。
黙られると俺の妄想が現実味を帯びてくる。
「ニュースで報道されてましたよ……見つかったって」
何か言ってくれと圧をかけるように見つめると、彼女は頭を描き始めた。
「……ぁあ〜! バレたかぁ〜!」
彼女は悪戯がバレた子供のように声を上げて悔しそうにして言った。
結構重大な事なのになんか軽い。調子狂うな。
「あの、えーと、じゃ貴方は……」
「そうだよ。自殺したら幽霊になってた芹沢凛でーす」
ピースサインを俺に向け「イェーイ」と笑う彼女。
本当の幽霊ってこんな感じなんだろうか?
「バレるの早かったな〜。日本の警察は優秀だね」
外国人の犯人のセリフを言う彼女はいつも通り、変わらない魅かれる笑顔だった。
初めて公園で出会った日の朝、彼女が行方不明であると報道されていたらしい。テレビニュースもネットニュースも観ない俺は、そのことに全く気付かなかった。
彼女の遺体は昨日樹海で見つかったようだ。遺体を調べると死後数日、遺体に争った形跡はなく、毒物による自殺と判定された。
行方不明と報道された時、すでに亡くなっていた可能性が高いとのこと。
「死んで目覚めるとは思わなかったから焦ったよ~。死体バレるな~って隠そうとしても何も触れないし、それに誰も私の事見えない。暇だな~って家族や友達が来なさそうな場所行ってたら、君がいたんだよ。目があってビックリしたな~。霊感とかあるの? あ、幽霊信じない派だったよね? じゃ波長が合った系だ! 気が合うねぇ~!」
関西のおばちゃんみたいによく喋る幽霊にまったく恐怖を感じない上に、いつも通りのテンションで騒がしい。
「四十九日経てばこの世と完ぺきにおさらばできると思うんだよ」
「自殺じゃ極楽浄土には行けないですね」
お互いにホラー映画を見るだけあって中途半端に知識があった。おかげで話がかみ合って笑いあう。これじゃいつもと何ら変わらない。
「ま~だから、それまで死体はバレてほしくなかった。みんな悲しんでるだろうな~私人気者だったし」
「後悔してます?」
俺の質問に彼女は鼻で笑って、「そんなわけないじゃん!」と腕組みをして男らしい笑い方をした。
「いいか! 私がそんな生半可な気持ちで自殺したと思うか!?」
いいや、と顔の前で手を振って答える。愚門だったかこの人には。てかちょくちょく役入れて楽しそうだ。
「じゃ、なんで自殺したんですか?」
なぜ順風満帆な彼女が自殺したのか。一番気になる話だ。
「私はね、幸せなんだ。もうこれ以上ないってくらいに。間違いなくいい人生だったって、胸を張って言える」
自分の死を語るのに、一切の焦燥感もなく喋る彼女は、金メダルを取ったアスリートのようにも見えた。何かをやり遂げた、とても満足そうに誇らしげだ。
「自分の人生を良くするために全力で今を楽しんだ。そして分かったんだよ、『幸せの最高潮で死ねれば、私の人生はとても素敵なものになる』ってね。だからゴールのない漠然としていたものが、明確な目標に変わってすごくうれしかったな~。だから私は前よりも楽しもうと頑張った」
彼女の話を聞いていくうちに、自分の中で何かの答えが出そうな気がする。引っかかってるものが取れそうな、問題があと少しで解けそうな。何かわからないが、続きが早く聞きたくてソワソワする。
「先の未来では不幸かも知れないし、もっと幸せかもしれない。そんな可能性はいくらだってあるけど、私は未来のために生きてるんじゃなくて、今のために生きてる。おかげで今はとても幸せ」
彼女は満面の笑顔で言った。
あぁ、そうか。彼女の特別な笑顔。
こんなにも純粋に笑えるのは、誰しもが抱える未来への不安。思ってる事を言えない人間関係。誰しもが被っているであろう仮面が、彼女にはない。
今だけを見て、自分だけを思えたからなんだ。その仮面を被っていない素顔を素敵だと俺は思い、この身勝手さを羨ましくも思ったんだな……。
結局俺は彼女との先なんて見ていなかったんだ。友達でも恋人でもない、俺は彼女になりたかったんだ。こんなにも特別な笑顔ができる彼女に……。
「流石に、私が死んで悲しむ人たちは見たくないからここにいるけどさ。生きる権利があるなら、死ぬ権利があってもいいと思うんだけどね。そうすればだれも悲しまない、権利を主張した――」
「え?」
彼女は俺の顔を指さし、その指を自分の目から頬へと流れるジェスチャーをした。すると俺の頬を伝う温かいものを感じるのに気づく。
「あ、いやこれは……」
拭っても拭っても涙が止まらない。
「嬉しいよ。やっと素直になってくれた」
彼女は嬉しそうにベンチから立ち上がって俺の顔を除いた。
「これからは楽しもう。青春時代は先の人生では味わえない、今この時この瞬間にしか楽しめないものが沢山あるんだからさ」
彼女との出会いは紛れもなく運命だ。本当の自分に気付いた今なら、そう思える。
「まあ、私みたいになるのはオススメしないけどね。究極の自分勝手さんにしかできない芸当だから」
自慢げに腰に手を当てて彼女は笑った。
「あの世で応援してるよ。ってことで、んじゃーそろそろ行くね」
ベンチの横にある出口へと向かって彼女は歩き出した。
「行くって、どこに?」
「さーね。どっかだよどっか」
急なお別れに、「待って」と彼女に近寄ろうとすると、手で制した。
「今日で君と会うのは最後。これ以上は君の邪魔になりそうだしね。残りの日数は適当に時間をつぶすよ。ま、本当に四十九日であの世に行けるかわからないけどね」
彼女を止めれる人は、この世にはいないだろう。だって彼女は彼女なんだから。そう思って諦めると悲しみが込み上げてくる。しかし、それ以上の感情が俺の中にはあった。
なら俺は、彼女にちゃんと伝えなきゃいけない。
「あの……、貴方に会えて本当に良かった。ありがとう」
立ち止まった彼女はこちらに向いて照れた様子で言った。
「はは、めっちゃいい笑顔じゃん……。んーまー、あれだよ……き、君にその気があればだけどね。幸せになったときには……迎えに来てあげるよ。ここに……ね」
彼女は「またね」と言いって公園を小走りで出ていった。
* * *
彼女の自殺がニュース番組で報道されなくなって数日。ネット上には彼女の謎めいた死についての記事が掲載されていた。
『芹沢凛、謎すぎる死。他殺か自殺か? 警察関係者が裏事情を語る』
俺は珍しく休日の朝食を食べてながらこの記事読んでいた。
「まだ捜査中なのに喋っちゃダメだろ」
記事を読み進めると、面白いことが書かれていた。
「警察が遺体発見時、死後硬直のせいなのか遺体の表情は、満面の笑顔だったそうだ」
いかにも彼女らしい死体で、俺は声を出して笑う。
「あれ? 休みの日は必ず昼まで寝てるのに珍しい」
まだ眠そうな顔をしてパジャマ姿の母がリビングに入ってきた。
「あぁ……まあ、今日は、クラスの奴と出かけてくるよ……」
恥ずかしそうに言うと、母は目を丸くして「い、いってらっしゃい……」と言った。
「じゃもう少し、寝ようかな」
母は踵を返して自室に戻っていった。戻る途中に鼻をすする音が聞こえきた。まさか泣いてる?
あの母が、と驚いていると、クラスメイトととの集合時間が迫ってきていた。
「そろそろ出るか」
靴を履いて玄関を開ける。
「行ってきまーす」
幸せになろう。
(終)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
この作品はSSの会メンバーの作品になります。
作者:アポロ