コンビニ
店を出ると、ムワッとした湿度と暑さが俺に纏わりついた。日差しは強く、まだまだ太陽は出番を終えそうにない。
ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。ロックを解除するまでもなく、液晶には午後の補習は休講だと、親切にも悠斗からのメッセージが表示されていた。
授業もバイトもない俺は、普段であれば図書館にでも行って、この不快度指数から逃れて涼むところだ。しかし、今日ばかりは残念ながらその希望は叶わない。むしろ、更に不快度指数を上げる人物が背後に居る。
「やっぱり貴殿は変わっている。僕に奢ることをしないなんて」
ワクワクするような声は、まるで舞台上の役者さながらである。店内であろうが、道の真ん中であろうが、彼にとっては些末なことらしい。振り向かなくても、その表情と動きが見えるようだった。
一杯、税抜八百円もする紅茶を何故、初対面の人間に奢らないといけないのか。俺は心の中で悪態をつく。まるで彼に奢るのが普通であるという言い様に、目眩すら覚える。
彼の声が聞こえないかのように、俺はスタスタと歩く。すぐ後ろを、天神がついてくる。まるで、親鳥についてくる雛のようだ。もっとも、可愛さなんて微塵もない。
待てよ。
彼は「行こう」と言っていた。もしかして、俺が彼の行こうと言った先へ向かっていると思っているのだろうか。
いつまでついてくるのか。
どこへ行こうとしているのか。
答えはどうなったのか。
天神の顔を見て、詰問したいことは幾つもあった。
けれど、考えていたことはサラサラと砂上の城のように崩れ落ちる。振り返った俺が言ったのは、ただ一つだった。
「なんで、傘をさしているんだ」
身長一メートル九十センチ近い、スリーピースを着る偉丈夫が、晴れの日にフリルの付いた白い傘をさしている。
一体、誰が想像出来ただろうか。
後ろを歩く男がこんなことになっていることを。通りで、先ほどから妙に視線を感じるわけだ。
この男の心臓は、鋼で出来ているのか? それともタングステンか? せめてアルミであれ。そんな、くだらない言葉が湧いてくる。
「晴れているのだから、当然だろう?」
天神の答えは至ってシンプルだった。さも当たり前のように。さも不思議そうに。男は小さく首を傾げる。
俺と天神は、道の真ん中で睨めっこをするように見つめ合う。笑っても怒っても負けなのだ。俺は目を逸らして、それについて考えることを放棄した。
「……何処へ行くつもりだったのか、教えてくれる?」
「ああ、てっきりわかっているものだと思っていたよ。これは失敬」
恭しくお辞儀する姿も、妙に様になる男だ。最早呆れを通して、感心してしまう。俺は深い溜息をつき、肩を竦めた。
「申し訳ないけれど、俺は天神くんと違って凡人でね。はっきり言われないと分からないんだ」
「いや、そんなことはない。貴殿は、それなりに稀有な人だ」
フォローをしてくれているのかも知れないが、全くありがたくない。しかも、それなりってなんだ。だが、それを伝えたところで何一つとして進展しない。否、そもそも伝わるとは思えない。故に、俺は接客で鍛えられた笑顔を向けて、再度問うた。
「天神くんは、どこへ向かうつもりだったの?」
「もちろん、コンビニさ。貴殿が働いているというね」
「何故?」
「その解は、仮説が立証されたときに分かるよ。さあ、急ごう!」
応えになっていないようで、その実しっかりと答えている。可憐なフリルの傘に隠れて、天神の表情ははっきりとは見えない。けれども、どういう訳か、彼が嘘をついているようにも聞こえなかった。
この男をバイト先に連れて行かなければいけないのか。俺は深く嘆息《たんそk》する。
乗りかかった船、ならぬ舵を勝手に握られた船。行く先は彼しか知らず、降りることも許されない。
気が重くなりながら、ついでに足取りも重く、俺たちはバイト先のコンビニへと向かった。