或る剣士の一生
世に名を轟かす剣豪がいた。
若く、野心もあり、筋がいい。
剣の道を極めんと、全国津々浦々、西に最強を謳う剣士がいれば決闘に行き、東に勢いのある流派が起きれば早速道場破りに行った。少しでも強くなろうと、日々の鍛錬はもちろんのこと、蘭学なども積極的に取り入れる勤勉ぶりであった。
ある日のことである。
「たとえ世界一の剣豪であっても、此れは斬れますまい」
そういって異人から差し出されたのは、軽く、小さな金属の塊であった。試しに男が刀を抜いてみたところ、確かに硬いのは硬いが、まるで刃が立たぬと言うほどでもない。むしろ刀の勢いと重みで形がひしゃげてしまい、それで斬るというところまで行かないのだった。
「面白い」
鉄の塊を前に、男は武者震いした。此れを斬るには、強さだけではなく、柔らかさ、しなやかさが要る。この塊を斬れるようになった暁には、自分は剣士として、さらに上の境地へと辿り着くに違いない。それで男は、早速修行を始めた。
剣の道は生涯を捧げるに相応しい。男はそう信じていたし、向上心を欠かさなかった。毎日朝日が昇る前には起き出し、滝に打たれ、断崖絶壁を素手で昇り、熊と格闘したりした。生傷も絶えなかったが、これも剣の腕を上げるため。日が落ちるまで素振りを繰り返し、気絶するように眠る。再び里に戻る頃には、何十年もの月日が経っていた。
男は人を集め、例の金属の塊を用意させた。群衆の前で、彼は自信満々に叫んだ。
「数十年間、山に篭り、血の滲むような鍛錬を積み上げてきた。本日はその腕前、とくとご覧に入れよう」
そういって男は刀を上段に構えると、
「キェェェェェエエエッイッ!!!」
と絶叫し、一刀両断、目の前の塊を真っ二つにした。周囲からどよめきと歓声が沸き起こった。男は刀を鞘に収め、
やった……!
達成感に包まれていた。とうとうやってのけた。数十年前、まだ未熟だった頃、斬ることのできなかったあの塊を、こうして斬ってのけたのだ。
世界広しと云えども、此れを斬れるのは、俺しかいまい。
思えば険しい道のりだった。修行中、何度命を落としかけたことか。雨露をしのぐ屋根もなく、野ざらしのまま熱病に侵された日もあった。野盗に襲われ、数十人と大立ち回りしたこともあった。何人もの辻斬りと対峙し、時代の寵愛を受けた剣豪たちと、幾度となく剣を交わし……そして、ようやく。
気がつくと、男は泣いていた。
今やすっかり髪は抜け落ち、皮膚は皺だらけになっていたが、それでも彼は、生涯をかけて己の腕を磨き、そして斬ったのだ。
そして胸の奥から湧き上がってきたのは、感謝だった。
ここまで己を育ててくれた剣への、圧倒的な感謝の情。
これがおれの人生……剣に捧げた一生。後悔はない。彼は天を仰いだ。青々と広がる空も、彼を祝福しているような気がした。
「おめでとう、おじいちゃん!」
実演を見ていた近所の子供達が、放心していた男の足元にまとわり付いてきた。
「おめでとう!」
「おじいちゃん、みかん食べる?」
子供達は缶切りで、男が斬ったのと同じ金属の塊をいとも容易く空け、中からみかんを取り出して彼に差し出した。




