8話 光の剣
帰り道。泉水と綾瀬の家は近いので駅から降りてもしばらくは一緒だ。
泉水は今日告げられた事実を頭の中で反芻したが、実感はまだ追いつかない。
「……まだ信じられないよ。遠い先祖に退魔師がいて僕が封印の鍵だなんて」
「……そうだよね。私も当事者だったらきっとそう思う」
だが事実として何度も魔物に襲われた以上は信じるしかないのだろう。
目を逸らさずに向き合うしかない。
「けどいつも通り私が守るから安心して。きっと解決できるよ」
「うん。ありがとう、綾瀬さん」
駅前の噴水広場を通り過ぎようとした時、異変は起こった。
広場にある噴水の周囲に設けられたプールから、ゲル状の流動体が湧きだした。
地面を這うように二人に近づいてくる。
「……言ってる傍から襲ってくるのね。泉水くんは私から離れないで……!」
ゲル状の流動体は不透明でプラチナのような輝きをもっていた。
それは噴水からだけでなく近くの排水溝からも湧いてどんどん集まっていく。
やがてずんぐりむっくりした人間に近い姿へと変形して二人に立ち塞がった。
「この魔物は……スライムね。色からしてプラチナスライムってとこかしら」
夜を迎えて間もない時間、まだ人通りも少なくない。
魔物が現れるのに慣れた住民たちは足早に駅前から逃げ去っていく。
綾瀬は手をかざして地面に青白く光る魔法陣を出現させ、ペイルライダーを召喚する。
「スライムか……厄介な相手だ」
ペイルライダーは開口一番にそう呟いた。
眼前に現れた障害を排除するためスライムはペイルライダーに殴りかかる。
大振りな一撃を見切ってカウンターの手甲剣で切り裂くと、スライムの身体の一部がばしゃっと飛び散る。
地面に落ちた飛沫は這って動いて本体のスライムと元通り合体した。
「ペイルライダーさんの攻撃が効いてない……!?」
泉水はその特性に驚いた。流動体ゆえか剣で斬っても効果が薄いとみえる。
ペイルライダーが厄介だと言うのも頷ける相手だ。
「スライムにも弱点はあるわ。『核』を狙って破壊すれば倒せるはずよ」
「さつき……こいつは不透明なタイプだ。見た目から『核』の位置が特定できない」
「任せて。そんな時は……この魔導具、透視眼鏡よ!」
学生鞄から外縁がダイヤル状になったモノクルを取り出して装着する。
これも導きの振り子や結界札と同じ魔導具のようだ。ダイヤルをいじってペイルライダーに指示を出す。
「……見えたっ! 私たちから見て右の脇腹に『核』がある!」
スライムが連続で繰り出す大振りな拳を流れるような動きで回避。
右の脇腹に手甲剣を突き刺した。しかし綾瀬が慌てて叫ぶ。
「駄目っ、『核』が動いたわ!今は心臓の位置にある!」
ペイルライダーの剣はスライムの核を貫くことができなかった。
スライムはゲル状の身体を硬質化させて膝蹴りを叩き込む。
痛みを覚えたペイルライダーは態勢を整えるためいったん後退した。
「……手間だが細かく切り刻んでやろう。奴の再生速度よりずっと速くに」
「分かったわ。魔力に糸目はつけない。それでいきましょう」
即座に作戦を立て直すと再びスライムに挑みかかる。
両腕から手甲剣を伸ばし、ゴーレムと戦った時のようにその身体を切り刻む。
常人の目ではペイルライダーの腕が目視できないほどの高速の剣捌き。
結果、いくつものスライムの断片が周囲に散らばることとなった。
「それが『核』のある部位よ」
指示に従って断片の一つを突き刺すと、プラチナスライムは呆気なく光の粒となって消滅していく。
戦闘も終わり安堵したのも束の間。排水溝から異音が響き、またゲル状の流動体が溢れてくる。
「綾瀬さん……こ、これは……!」
「一体だけじゃなかったのね……!」
ゲル状の流動体はどんどん膨れ上がって、ゆうに五メートルはあろう巨人の姿を形成していく。
綾瀬はモノクルのダイヤルを調節して絶句した様子で告げた。
「『核』が複数ある……! しかも全部が体内を動き回ってるわ……!」
「……群体型か。さっきの個体は小手調べだったようだな」
戦闘に熟練しているゆえかペイルライダーは平静を保ったまま独白した。
巨人と化したスライムが拳を振り下ろす。狙いは核の位置を見抜ける綾瀬だ。
青き騎士は地を蹴って駆け、綾瀬と泉水を脇に抱えて距離を取る。スライムの拳は舗装された地面を大きく抉った。
「……二人とも問題ないな」
「……ペイル。私達も切り札を使いましょう。一気に決着をつけるわ」
「あれは魔力の消耗が激しいぞ。いいのか?」
「ええ。長引くと周囲の被害も大きくなってしまう……やるしかない」
ペイルライダーは無言で肯定した。二人を降ろして前に出る。
手甲剣を伸ばした腕を前に突き出すと余った手で前腕を抑える。
この切り札は絶大な威力があるものの反動も大きい。狙いがブレないよう身体を固定する必要がある。
「……私の魔力、好きなだけ持っていって!」
泉水は見た。綾瀬の身体から青白いエネルギーが放出されるのを。それがペイルライダーの剣に集まっていく。
ペイルライダーが召喚されるときに出現する魔法陣の光にも似ている気がする。
きっと今までも目視できないだけで同じことをしていたのだろう。
今回は放出される魔力の量が膨大だったから泉水の目にも見えたのだ。
「チャージは完了した。発動する……!」
ペイルライダーの手甲剣から光の奔流が発射された。
それは瞬きの速さでスライムに迫り、スライムは首を傾けて間一髪回避する。
「避けられた……!? いや違う……!」
泉水の勘違いだ。光の奔流は手甲剣から照射され続けている。
いや照射というのも適切な表現ではない。ペイルライダーが放ったのは剣だ。
全長数メートルにも及ぶ巨大な光の剣がその正体なのだ。
「はぁぁぁぁっ!!」
叫びと共に振り下ろした光の剣はスライムに袈裟斬りで命中した。
複数の核の位置が動いて分からないなら、まとめて破壊すればいい。
直撃した光の剣はゲル状の身体を一瞬にして消し飛ばしていく。
残された頭部や末端の手足が地面に落ちる。スライムの断片は時を待たず光の粒となって消滅した。
「ふぅ……終わったね。まさか群体型の魔物だとは思わなかったけど」
モノクルを外した綾瀬の顔色が悪い。泉水も今になってようやく理解できた。
退魔師というのは戦う時に魔力というエネルギーを消費しているらしい。
さっきの光の剣の発動に魔力をたくさん使ったから綾瀬も疲れているのだろう。
「……スライムでも駄目か。ならば私が直接相手をしよう」
声がして反射的に振り向く。そこにあったのは空中に渦巻く真っ暗な闇。
闇から現れたのは顔をバイザーで隠した、漆黒のマントを纏う少年だった。