42話 勇気を胸に
もしそれが単なる召喚解除であったなら避けられただろう。
召喚を解除すると必ず魔法陣が浮かぶ。タイミングを合わせて一緒に回避できたはずだ。だが動きを封じられ、攻撃が命中する直前に予兆のない空間転移。避け切れるわけがない。
「……少しズルかったかな。悪いね、私は姑息な作戦も使うんだ」
泉水に支えられたまま、冥道は片目を瞑って舌を出した。
その泉水の手の中には希少な魔導具、治癒石が握られている。
これによって疲労を回復させ、空間転移を発動させられたのだ。
「くっ……くっくっくっ。いや面白いよ。弱者と侮っていた私が悪かった」
トリスタンの上半身、その左側が完全に消し飛んでいた。
もう助からない。致命傷だ。身体が透けて光の粒となって消えていく。
「もう終わりにしよう……私たちの勝ちだ、トリスタン」
綾瀬の傍に空間転移していたペイルライダーはそう言った。
トリスタンはむしろ喜びながらその言葉を否定する。
「終わり? はじまりだよ。この戦いには新たな発見があった。私は恐怖した。驚いた。不覚を取った。面白い……実に面白い!」
湾曲した剣を握りしめて、トリスタンは地面を蹴って加速した。
確実に死へと向かっているはずなのにまだ戦う力が残されている。
ペルセフォネが空間を操作。トリスタンの身体を転移させようと念じる。
身体の一部を別の場所へ転移させて身体を『削る』、必殺の攻撃だ。
「まだだ、まだ終わらせない! こんな楽しい戦いは! 心躍る戦いはなッ!!」
剣を振るうと暴風が荒れ狂ってペルセフォネを襲った。
風に吹き飛ばされてペルセフォネの集中力が切れる。
空間転移は中断となりトリスタンはペイルライダーに肉薄する。
「認めよう、お前たちを強者であると! 一人一人は脆弱だが、束ねれば強靭な力となる!!」
真央は魔力のほとんどを魔導砲に費やした。もう援護もできない。
まともに戦えるのは傷だらけのペイルライダーただ一人。
トリスタンの斬撃を両腕の手甲剣でガードして鍔迫り合う。
瀕死とはいえ、やはり根本的な魔力量が違う。じりじりと押し負ける。
「お前はいつも強者に拘るな。私には強いことが美しさに繋がるとは思えない」
「ふっ。何を言うかと思えば……この世の中は弱肉強食じゃないか。人間の社会だって能のない奴は淘汰され消えていく運命だ。強い者こそが美しいのだよ!」
ペイルライダーはトリスタンの剣を受け流すと、無防備な左側から刺突を繰り出す。手甲剣の切っ先が敵の姿を捉えることはなかった。紙一重で避けられる。
トリスタンの斬撃が再びやって来る。左腕の手甲剣で防ごうとするが、刀身が折れた。斬撃とともに激しい風が巻き起こってペイルライダーが後退する。
風は綾瀬をも吹き飛ばそうとするが、結界札を投げてなんとか防御する。
トリスタンが使う技のひとつ、『烈風斬』だ。
契約者をも狙った攻撃。死の危機に瀕してトリスタンに余裕が無くなっている。
もう余命幾許も無いことは明白だ。消える寸前の蝋燭の火が激しく燃えるように攻勢が続く。
「果たしてそうなのか? 美しさは物理的な強さや殺傷力に宿るのではない」
「ほう!? では何が美しいと言うんだ。説いてみろ、お前の美しさをッ!!」
右腕の手甲剣も破壊され、ペイルライダーは武器を喪失した。
トリスタンの連続攻撃をギリギリで躱しながら、彼は語る。
「かつて私と共に戦った少年がいた。その少年は臆病で心が弱く……私にはあまりに儚く見えた」
振り下ろされたトリスタンの斬撃がペイルライダーの肩を切り裂く。
光の粒が飛び散るが、それ以上は食い込まない。トリスタンも弱っているのだ。
「だが戦いを経て、少年は強くなった。私とともに敵と戦い、立ち向かうまでになった」
トリスタンの剣を掴む。お互いにもう疲弊し切っていた。
「その心の在り方こそが美しいんだ。弱くとも恐怖に立ち向かう気持ち。人間には……『勇気』がある」
「……馬鹿だなお前は。心の強さが美しい? 人間は肉体も心も脆弱だよ!」
「いいや! 私はそれを知っている! だからお前とも戦えるのだ!!」
ペイルライダーがトリスタンの顔面を殴りつける。二度、三度。
殴る度に顔面の装甲が剥がれ落ちていく。残った攻撃手段はこの拳のみ。
「やはり私を恐れていたか!? ならば今回も勝たせてもらうぞ!」
「そればかりは譲れないッ! 泉水と綾瀬に……明日を届けるためにも!」
ペイルライダーの拳の魔力が籠る。これが全身全霊、最後の一撃。
剣から手を離したトリスタンもカウンターで拳を振るう。
放たれた拳はお互いの顔面に命中した。
「……勝ち逃げできると……思ったんだがね……」
崩れ落ちたのはトリスタンの方だった。
一気に身体が透明になり、光の粒となり消えていく。
「……悔しいよ。負けたのは残念だが……満足だ。君たちの勝利だよ」
刹那はへなへなとその場に座り込んでしまった。
もう駄目だと思っていた。まさか解放されるなどとは思ってなかった。
トリスタンの支配から脱け出せる。自由の身となったのだ。
真央が刹那に近づいて、優しく声をかけた。
「もう……何の心配もいりませんよ。空島さん」
「神薙さん……私……私……迷惑をかけてごめんなさい……」
「いいんです。何も迷惑なんかじゃありません。大丈夫ですよ……」
真央は泣きじゃくる刹那を抱きしめて気分を落ち着かせる。
その光景を眺めていたペイルライダーの肩に綾瀬の手が触れる。
青騎士は静かに振り向くと、その傷だらけの胸に飛び込んだ。
「ひどい傷だね。ありがとう……最後まで戦ってくれて」
「それが私の役目だからな。しばらくは休ませてもらうさ」
召喚を解除すると足下に魔法陣が浮かびペイルライダーの姿が消えていく。
一部始終を見届けた消滅寸前のトリスタンは死ぬ前に忠告した。
「忘れるなよ。星の魔物が近づいている……もう間もなくな。私に勝っておきながら他の奴に負けるのは我慢ならない。せいぜい……生き延びる……ことだ……」
星が落ちてくる。夜空に輝く真っ白な星が。それは徐々に落日山に降下していた。星は上空で花弁のように開く。手が、足が伸びて、女性の顔が露になる。
擬態星アストライア。それが退魔局の命名したコードネーム。
その巨大で優雅な姿はまさしく星の女神。到底魔物とは思えない。
「あれがアストライア……皆さん、準備してください。爆発前に送り返します!」
若葉の合図でこの場に集まった者たちが動きはじめた。
冥道に魔力を送る方法は簡単だ。肉体的に接触するだけでいい。
今回はみんなで手を繋いで輪をつくることにした。
「わ、私も……私も手伝う……!」
「空島さんだったね。仲間が増えると心強い。こっちにきて」
冥道は刹那を招き入れると手を繋いで輪をつくる。
全員が魔力を練って冥道に魔力を供給していく。
同時に、空にいるアストライアの身体も激しく明滅しはじめた。
星の魔物は大鳳市全域に響く声でこう言い放つ。
「時を数えるの止めてどれほどが経ったでしょう……私は再びこの地に戻りました。下等なる人間に与えましょう。祝福という名の滅びを」
すっかり様変わりしたこの土地をアストライアは物珍しそうに観察していた。
山と自然が広がるこの場所に住んでいた蟻のように矮小な生き物、人間。
それを潰して遊ぶのがアストライアの楽しみだった。
今もそれは変わらない。築き上げたものを壊すのがこの上ない喜びなのだ。
「さぁ……その時は間もなく近づいています。もうすぐに……!」
アストライアの声が大鳳市に響く。
その明滅が臨界に達そうとした瞬間、女神の姿は消える。
気がついたら夜空に浮かぶ月の真横が激しく発光していた。
「すげぇ……月まで飛んでいっちまったのかな」
「正確な距離は不明ですが……少なくとも宇宙には転移したはずですよ」
目を凝らして夜空を眺める雷花に、真央はそう返事をするしかなかった。
その時見えたのは一筋の流れ星。雷花は両手を握って高速で願いを唱える。
「やべっ、お小遣い増えますように、お小遣い増えますように、お小遣い増えますように!」
「雷花……あなたは本当にマイペースですね。あんな戦いの後なのに……」
「私は見てるだけだったからな。それに信じてたよ。姉貴たちなら勝てるってね」
雷花は決め顔でウインクするが、真央には調子がいいだけに見えた。
今日は流星群の活動が極大になる日だ。まだ流れ星は降ってくる。
泉水と綾瀬は一緒に空を眺めていた。
「泉水くんも何か願い事した?」
「うん……しようと思ったけど、気がついたらもう消えてたよ」
「そうなんだ。私はちゃんとしたよ、願い事」
それが何か聞いてみると綾瀬は空を見上げてこう答えた。
「大切な人たちといつまでも一緒にいれますように、って。願ったんだよ」
◆
爆発する瞬間、アストライアの目に映る景色は見慣れたものに変わっていた。
真っ暗な暗黒が支配する宇宙。遥か遠くには地球に寄り添う月が見えていた。
長い時をかけて戻ってきたのに、またしても人間のせいで失敗したのだ。
その身体はだんだんと地球から遠ざかっていく。
また見たことも無い星々を巡る旅がはじまるのだろう。
だが、それでもまだ諦めない。アストライアは再び地球に戻ることを誓った。
そして今度こそ人間を吹き飛ばして、苦しめて、嘲笑ってやるのだ。
その時が来るまでは、眠りに就こう。
果てしない宇宙の一人旅はあまりに寂しいから。




