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35話 月輪に舞い上がれ

 私立黒橡女学院。大鳳市内に存在する唯一の女子高である。

 偏差値は高い方でいわゆるお嬢様学校として知られている。


 立ち入り禁止の校舎屋上。その隅で空島(そらしま)刹那(せつな)は体育座りで震えていた。

 思えば特別な力が降って湧いたのはちょうど夏になる頃だった。

 退魔師が扱えるという魔力を練る力になぜか目覚めてしまったのだ。


 特別な人間かもしれないという優越感に浸れたのも束の間。

 刹那はある魔物につけ狙われるようになり、契約を迫られることになった。

 拒否したかったが、断れば命はないと思った。彼女の人生が狂い始めたのはそれからだ。


 どうしてこんなことになったのだろうか。そう問わずにはいられない。

 ケチのついた自分の人生を振り返って己の不運を呪うしかない。

 そんなことを延々と考えていると突如として屋上の扉が開いた。


 普通の生徒は今、屋上が開いているなんて知らない。

 来る可能性があるのは教師か彼女だけだ。いや彼女でいいのだろうか。


「こんにちはー刹那さま。やっぱりここにいらしたんですね」


 黒髪をぱっつんにして、夏服を着た同年代らしい女の子が話しかけてくる。

 また外見を変えたのか。どんどん人間のフリも上手くなっているのが恐ろしい。


「えっとぉ、トリスタンさまに報告です。やっぱり退魔局は動くみたいですよぉ」


 刹那を頭を抱えてうずくまった。あいつの声が脳内に聞こえる。


「美しくない事態だな。シェイプシフター、妨害を頼めるか? やり方は任せる」


 この脳内に響く、自分にだけ聞こえる声を伝えるのが刹那の役割のひとつだった。召喚して直接会話をするのは目立ちすぎるため、密談には適していない。


「……妨害しろって言ってる。やり方は好きにしていいって」


 子猫のような可愛らしい女の子の顔がにぃぃ、と邪悪に歪む。

 魔物はどいつもこいつもこんな調子なのだろうか。刹那は指示をつけ加えた。


「でも殺しちゃ駄目だからね。あくまで脅かすだけ……!」

「分かってますよぉ。刹那さまは厳しいんだからぁー」


 間延びした声で返事をすると、ぴしっと敬礼して立ち去っていく。

 刹那は溜息を漏らして屋上の硬質な床に倒れた。

 心臓が早鐘を打っている。早くこんな日々が終わればいいのに。




 ◆




 冥道邸に集まった一同は話も纏まったので解散となった。

 不参加を申し出たり、異論を挟むような者も特にいなかった。

 それよりも雷花が夏休みにみんなで海に行きたいと言い出し、存外盛り上がって解散の時間が遅れた。退魔師が休日に何をしようと自由ではあるのだが。


 泉水たちは電車で来たようなので、若葉は彼らと別れてタクシーに乗る。

 直帰するわけではない。退魔局に戻って残っている仕事を片付けねばならない。

 タクシーは道路を走り始め、運転手が何気なく話しかけてきた。


「お客さんは退魔師の方ですか? 大変ですねぇ」

「あ……いえ。退魔局に勤めていますが退魔師ではないんです」


 かつては退魔師を志していたのだが、若葉は魔力を基準値まで練れない。

 退魔師は資質がものを言う世界だ。魔力の総量は修練で増やせるが、増える量も才能なのだ。若葉のように才に恵まれなかった者はどれだけ努力しても微々たる量しか増えない。


 だから、若葉は後方で退魔師を支援する局員の道を選んだ。

 戦うことはできないがやりがいのある仕事だと感じている。


「いやぁ。そうでしたか。よかったよかった。あなたが記念の一人目ですよぉ」


 妙に声がかん高くなると、運転手はハンドルから片手を離す。

 後部座席へ手をかざすとにゅるんと腕が伸びた。触手のような運転手の手が若葉の首を絞めつける。人間じゃない。この運転手は人間に化けた魔物なのだ。


「トリスタンさまからの忠告だ。星の魔物には手を出すな。手を出せば殺す」


 声が出ない。当たり前だが首を絞められているからだ。

 つまり有無を言わさず、イエス以外の選択肢はないということ。


「そういやぁ、殺しちゃ駄目とは言われてるがそれ以外はオーケーか。ふひひ。たまんねぇな……たっぷり楽しませてもらおうかぁ……!」


 腕が首から離れると、若葉は激しく咳きこんだ。

 運転手の手が五本の触手に変形して、鋭利な刃物のようになる。

 若葉の顔がさっと青ざめると運転手はにぃぃ、と邪悪に微笑む。

 するとタクシーが蛇行運転したので、慌ててハンドルを切る。


「おっとつい興奮してしまった。その顔が見たかったんだよ。その顔がね」


 少しずつ近づいてくる腕の触手が、若葉の整った顔を切り刻もうとした時。

 タクシーのボンネットに何かが降ってきた。それは真紅の身体と翼を備えた魔物。真紅の魔物はフロントガラスを軽く蹴破ると、タクシーが急停止する。

 後ろに車が走っていないのは幸運だった。危うく追突事故になるところだ。


「大丈夫ですか。蛇行運転してたのが気になったもんで、助けにきましたよ」


 タクシーを襲ったのは遠野と、その契約した魔物ガルーダの犯行だ。

 若葉が後部座席から出てくると遠野に近寄ってくる。


「助かりました! 突然魔物に襲われて……!」

「なるほど。勘が的中して良かった。そのままでいてくださいよ」


 そう言って遠野は、若葉の顔面に思い切り蹴りを入れた。

 若葉は驚いた様子だった。無理もない。他人の顔に遠慮なく蹴りを入れられる人間なんておおよそ普通ではない。


「てめぇ魔物だろ。猿芝居は終わりだぜ。さっさと正体を現すんだな!」


 だが、この若葉は本物の若葉ではない。魔物が化けた偽物だ。

 遠野は鋭敏な魔力探知能力を有しており、魔力波形から魔物か人間かを見分けることができるのだ。


「ぐぐぐ……バレたとあっちゃ仕方ないですねぇ……私はシェイプシフター! 退魔師には……現場判断で死んでもらいましょうか!」


 シェイプシフター。あらゆる姿に化けることができる魔物だ。

 その能力を活かして、シェイプシフターはミノタウロスへと変身する。


「パワーイズストロング! 死ねぇッ!!」


 そして拳を振り下ろす。だがその拳が届くより早く、横からガルーダが飛び蹴りを浴びせる。シェイプシフターは体勢を崩して地面に転がっていった。そして力の差を一瞬で悟った。こいつには勝てない。


「……作戦変更ですっ。失礼しましたぁ。ではでは」


 ミノタウロスにざわざわと豊かな毛並みが生え揃っていく。

 口はどんどんくちばしのように変形し、四足獣のような姿勢に。

 最後には翼を生やして羽ばたかせる。空飛ぶ魔物、グリフォンに変身したのだ。


 シェイプシフターは満月がうっすらと浮かぶ空へと逃げ去ろうとする。

 だが空中戦こそガルーダの本領。追撃を仕掛けるべく飛翔する。

 グリフォンに化けたシェイプシフターを飛び越して空へと舞い上がった。


 ガルーダはくちばしを開いて口部に魔力を溜める。

 充填が完了した時、それは閃光となってシェイプシフターを焼き尽くした。

 ――短射程魔導砲。その威力は並みの魔物を殺すのに十分な威力を有している。


「倒したのはいいが……泳がせた方がよかったかもしれねぇな」


 どうも通り魔的犯行とは思えない。

 退魔局の局員を偶然襲うなんて出来過ぎた話だからだ。

 タクシーから降りてきた本物の若葉を見て、遠野は無事を喜んだ。


「あの魔物……別の魔物の指示で動いていたようです。星の魔物に関わるなと」

「……気になりますね、それは。アストライアに関わってるってことですか……」


 どうやら今回の事件も一筋縄ではいかなさそうだと、遠野は頭を掻くのだった。

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